1533年10月3週目。帳面合わせが続く。千代姫にいいところを見せたいからという滅茶苦茶な理由で薩摩川内の侍衆の借金50万文を消すwww
十月三週目、帳面合わせはさらに続いた。
八郎が帳面をぱらぱらと確認する。
「さて、話戻しますね」
「細かいところは後で皆さん見てください」
「今週の八郎商会として残った追加利益ですが……」
少し間を置く。
「百四十二万文です」
広間が一瞬静まる。
そしてざわめいた。
「百四十二万……」
「またとんでもない額が残りましたな」
商人衆が苦笑する。
だが八郎は首を振る。
「いやいやいや」
「残ったように見えるだけです」
「まだ城の借金もあります」
「侍さん方の証文もあります」
「高級湯浴みのツケもあります」
「やること山積みです」
その言葉に周りは笑う。
もう皆分かっていた。
八郎の「金がある」は「使う準備ができた」という意味だった。
貯め込むという考えではない。
銭を動かす。
仕事を作る。
借金を消す。
それが八郎流だった。
そこで八郎は小袋を取り出す。
「それと」
「千代姫」
「はい?」
急に呼ばれて千代が姿勢を正す。
八郎は袋を前に置いた。
ずしり。
明らかに重い。
「十万文です」
「……はい?」
千代は固まった。
「十万文?」
「はい」
「鳥獣対策のお礼です」
「約束しましたから」
「二週間働いていただいた分です」
千代は慌てる。
「いや、私は視察も兼ねて来ただけで……」
「それはそれ」
「これはこれです」
八郎は笑った。
「鹿や猪が減れば農民は助かります」
「肉も手に入ります」
「侍さんにも仕事になります」
「十分価値があります」
そしてさらに続ける。
「それ、お父様への手紙と一緒に送ってください」
「父上に?」
「はい」
「言われた通り、八郎領を見ました」
「そして銭も稼ぎました」
「そう書けばいいじゃないですか」
周囲が笑う。
千代姫は困る。
「そんなことを書いたら父上が……」
八郎がにやりとする。
「慌てるでしょうね」
「え?」
「ひょっとしたら」
「これはまずい、島津本家より先に縁を深めなければ」
「とか言って」
「重臣の娘さんとか」
「血筋の近い姫様とか」
「いっぱい連れて来るかもしれませんよ」
その瞬間、広間が爆笑になる。
「ありえる!」
「島津の殿なら考える!」
千代の侍女たちまで笑っている。
「ちょっと!」
「皆まで!」
しかし顔は少し赤い。
八郎はさらに帳面を見る。
「それと」
「今日は千代姫にいいところ見せたいので」
全員が嫌な予感を覚える。
和尚が目を細める。
「八郎」
「また何かする顔じゃな」
「はい」
八郎は笑顔で言う。
「薩摩川内の侍さん方の証文」
「五十万文分消しましょう」
一瞬。
空気が止まった。
そして——
「えええええ!」
侍たちが叫ぶ。
「八郎様!?」
「本当でございますか!?」
「はい」
「順番的にもそろそろでしたし」
「ちょうどいいです」
「千代姫が来てくださった記念ということで」
すると侍たちが一斉に千代姫へ頭を下げた。
「千代姫様!」
「ありがとうございます!」
千代姫は完全に混乱する。
「え?」
「え?」
「なぜ私に!?」
「消したのは八郎様ですよね!?」
侍の一人が笑う。
「違うんです」
「八郎様はいつもきっかけを探しておられるんです」
「きっかけ?」
「はい」
「借金が多すぎますから」
「どこから消しても誰かが後になる」
「だから理由がいるんです」
別の侍も続ける。
「今日は千代姫様が来てくださった」
「だから八郎様が動いた」
「我らからすれば感謝しかありません」
千代は周囲を見る。
泣いている者。
笑っている者。
喜んでいる者。
ぐちゃぐちゃだった。
「……不思議な場所ですね」
思わずそう漏らす。
一郎が笑う。
「でしょう」
「最初は皆そう言います」
「でも慣れます」
「慣れるものなのですか?」
「……まあ、多少は」
その曖昧な返事に千代姫も笑った。
そこへ八郎が楽しそうに言う。
「いやあ」
「面白くなってきましたね」
「何がですか?」
千代が聞く。
「島津本家」
「島津分家」
「両方来るんですよ?」
「しかも目的は視察と縁談」
「こんな面白いことあります?」
和尚が頭を抱える。
「お前は……」
「普通なら胃が痛くなる話じゃぞ」
母も呆れる。
「八郎」
「人の縁談を遊びみたいに言わないの」
「いやいや」
「遊びじゃないですよ」
「でも楽しまないともったいないじゃないですか」
千代姫がじっと見る。
「……私、遊ばれてません?」
八郎は即答した。
「遊ばせてください」
「こら!」
母の声が飛ぶ。
和尚も叱る。
「三歳児が姫をからかうでない」
八郎は笑う。
「すみません」
「でもですね」
「千代姫が来てくれてから、みんな明るいです」
「それは本当ですよ」
その一言に千代姫は黙る。
茶化しているようで。
ちゃんと見ている。
だから周りはこの幼い領主についていく。
「……変な方ですね」
「よく言われます」
「褒めてません」
「それもよく言われます」
また広間に笑いが広がる。
そして誰も知らない。
数日後。
島津本家の船団がやってきて——
八郎領を舞台にした、薩摩最大の婚姻外交騒動が始まることを。




