1533年10月3週目。帳面合わせ。千代姫達も参加するという謎の状況www島津分家の隣の領地についても話す。
十月三週目。
いつものように八郎領では帳面合わせの日を迎えていた。
ただし、今回はいつもと少し違った。
広間の端には、島津分家から来た千代姫と侍女たちが座っている。
それを見た商人衆や侍たちはざわついた。
「……八郎様」
「はい?」
「なぜ島津の姫様方がこちらに?」
八郎は当たり前のような顔で答える。
「せっかく見に来てくれはったんで」
「全部見てもらおうかなと思いまして」
その瞬間、周囲が固まった。
「全部!?」
「帳面までですか!?」
「ええ」
「細かい数字はともかく、どうせ皆さんにも見せてますし」
「隠しても仕方ないでしょう」
和尚がため息をつく。
「お前は本当に……」
「普通、他家に財政を見せる者がおるか」
八郎は首を傾げた。
「でも逆ですよ」
「逆?」
「今の八郎領って、島津分家さんや島津本家さんに見られて困ること、そんなにないんですよ」
千代姫が反応する。
「困ることがない?」
「はい」
八郎は笑う。
「むしろ見てもらった方がいいです」
「うちを敵に回すことが、どれだけ面倒か分かりますから」
場が静かになる。
三歳児とは思えない言葉だった。
「もちろん、大友様とか大内様みたいな大勢力に細かく見られるのは嫌ですよ」
「規模が違いますから」
「でも……」
八郎は千代様を見る。
「島津様とは、仲良くしたいですしね」
「それに最近、領土だけならうちも大きくなってしまいましたし」
周囲が苦笑する。
「最近って……」
「一年ですぞ」
「一年でこんなことになってるんですぞ」
八郎は肩をすくめる。
「まあ借金もいっぱいありますから」
「恥ずかしいところも見てもらいます」
「その上で縁談した方が安心でしょう」
「今週、来週、縁談ありますし」
千代の表情が少し動いた。
侍女たちはそれを見逃さず、にやりとする。
一郎は気づかず普通に座っている。
「ただ……」
商人の一人が苦笑した。
「五千万文借金がある家に嫁ぐのは安心なんでしょうか?」
広間に笑いが起きる。
千代姫は目を丸くした。
「五千万文……?」
「ありますよ」
八郎は平然と言う。
「城」
「侍」
「商家」
「全部合わせたらそれくらいあります」
「でも大事なのは借金の額じゃないです」
「返せる仕組みがあるかどうかです」
そして帳面が開かれる。
「では今週の報告です」
「まず大きいところから」
「千代姫の領地のお隣ですね」
「薩摩北西部三万五千石」
千代が顔を上げる。
自分の家と接する土地。
最近まで疲弊した国人領だった場所だ。
「そこの庄屋衆の証文ですが」
「残り五万文になりました」
一瞬、誰も反応できなかった。
そして——
「五万!?」
声が上がる。
「待ってください」
千代姫も思わず口を出した。
「あそこは戦続きで苦しい土地だったはずです」
「農民が商人から借り入れている。金額も多かったはず」
八郎は頷く。
「そうですよ」
「多かったです」
「でも市を入れて」
「仕入れを増やして」
「銭を回して」
「帳面を消していったら」
「なんか減りました」
一同が沈黙する。
一郎が苦笑する。
「八郎」
「その説明では誰も分からんぞ」
「え?」
「なんか減りました、ではない」
周囲から笑いが起きる。
千代姫も思わず笑った。
八郎は続ける。
「まあ簡単に言うと」
「今まで価値がないと思われていたものに値段をつけました」
「魚の端」
「マグロ」
「甘味」
「湯浴み」
「仕事を増やして、銭を回しました」
「結果として」
「その土地の市だけでも、今週十八万文の利益です」
千代姫の侍女が驚く。
「十八万文?」
「一週間で?」
「はい」
「月なら七十万文前後でしょうか」
千代は言葉を失った。
三万五千石の一部の市。
それだけでその利益。
「もちろん全部自由に使えるわけじゃありません」
「城の借金」
「侍さんの借金」
「まだまだあります」
「でも返せる見込みがある」
「これが大事なんです」
さらに八郎は続ける。
「あと、お侍さんの借金については」
「千代姫にも手伝ってもらっています」
「私が?」
千代が驚く。
「はい」
「鹿や猪です」
「鳥獣対策」
「あれを農家さんから仕事として受けて」
「侍さんに仕事を作る」
「その報酬で証文を消す」
「つまり千代姫が狩ってくださっていることも、領内の借金減らしにつながってます」
千代姫は黙った。
ただ狩りをしていたと思っていた。
だが、この領地では違った。
全てがつながっている。
飯。
仕事。
銭。
借金。
民。
侍。
「……何が何やら分からなくなりますね」
千代が本音を漏らす。
すると一郎が笑った。
「大丈夫です」
「私ら兄弟も最初そうでした」
「八郎の話は先を見すぎています」
「だから一つずつ形にしていくだけです」
千代姫は一郎を見る。
「一郎様は優しいですね」
八郎がその瞬間、にやりとする。
「一郎兄さん」
「優しいですねえ」
「……なんや、その顔は」
「いえいえ」
八郎は笑う。
「何でもありません」
横では母と侍女たちも同じ顔をしていた。
千代姫だけが少し頬を赤くする。
「違いますから」
「別にそういう意味では……」
八郎はさらに笑った。
「僕、何も言ってませんよ?」
広間に笑い声が広がる。
五千万文の借金を抱えた領地。
しかし、そこにあったのは暗さではなかった。
皆が同じ帳面を見て。
同じ飯を食べ。
同じ方向を向いていた。
千代姫はその光景を見ながら思った。
父が見てこいと言った意味が、少し分かった気がした。




