1533年10月2週目~ 島津分家の姫。千代姫が鳥獣狩りに勤しむ。一郎兄様が分け隔てなく接しているのに好感触っぽいので母親とニヤニヤする八郎。
島津分家の姫・千代が八郎領へ来て数日。
最初は「鷹狩り」という名目だった。
しかし実際に始まったのは――鹿狩り、猪狩りだった。
千代は姫武者たちを連れ、山へ入る。
弓を構え、獣の足跡を読み、追い込む。
普通なら男の武士がやる仕事。
それを若い娘たちがやる。
当然、周囲の目は集まった。
「姫様方が猪狩りとは……」
「すごいものじゃ」
感心する声もある。
だが中には、珍しいものを見るような視線もあった。
「女なのに弓とは」
「嫁入り前の姫が山とはな」
小さな声。
千代には聞こえていた。
慣れてはいる。
昔からそうだった。
武芸を磨けば「姫らしくない」と言われる。
普通の姫のようにしていれば「島津の娘なのに弱い」と言われる。
(結局、何をしても言われる)
そう思っていた。
そんな中、一人だけ態度が違う男がいた。
一郎だった。
「おお、立派な鹿ですね」
「これは肉が取れます」
「皮も使えます」
「骨も出汁になりますね」
淡々としている。
姫だから。
女だから。
そんな反応がない。
獲物を見る。
仕事を見る。
それだけだった。
千代は少し不思議だった。
「一郎殿」
「はい?」
「変わっていますね」
「何がです?」
「女が狩りをしていることに何も思わないのですか?」
一郎は首を傾げる。
「いや」
「鹿を獲れる人が鹿を獲ればいいんじゃないですか?」
千代は一瞬黙る。
「……そういう考えなのですね」
「まあ」
一郎は苦笑した。
「八郎と暮らしていたら、大抵のことでは驚かなくなります」
その名前が出て、千代は聞いた。
「弟君があのように領主として座っていること、不思議ではないのですか?」
一郎は即答した。
「不思議ですよ」
「今でも不思議です」
千代は笑う。
「そうなのですか?」
「当たり前です」
一郎は鹿を処理しながら続けた。
「あいつ、二歳半で文字を覚えたんですよ」
「それから帳面を見始めて」
「米がいくら、銭がいくら、借金がいくら」
「大人でも嫌になるものをずっと見てました」
千代は驚く。
「二歳半……」
「おかしいでしょう?」
「はい」
即答され、一郎は笑った。
「でしょう」
「だから比べないんです」
「比べたら苦しくなるだけです」
「八郎は八郎」
「俺は俺です」
その言葉に千代は少し興味を持つ。
普通なら弟に嫉妬する。
ましてや兄。
幼い弟が領主になり、自分より上に立つ。
面白いはずがない。
「悔しくはないのですか?」
一郎は少し考える。
「最初はありました」
「でも」
「握り飯を作るところから見てますから」
「誰よりも必死だったのも知っています」
そして笑った。
「それに今でも振り回されっぱなしです」
「振り回される?」
「はい」
一郎はため息をついた。
「今は水車で杵を動かす仕組みを作れって言われてます」
「薩摩川内の一万五千石の領内だけで百個」
千代の目が丸くなる。
「百?」
「はい」
「しかも、それが終わったら石臼を改良したい」
「脱穀の道具を作りたい」
「芋で酒を作りたい」
「次から次です」
一郎は空を見る。
「休む暇ないですよ」
だが、その顔は嫌そうではなかった。
「でも」
「一年で変わりました」
「借金の証文が何百万文も消えていく」
「庄屋衆が笑う」
「農民が飯を食える」
「冬でも仕事がある」
「前とは全然違います」
千代は黙って聞く。
一郎は続ける。
「侍も変わりました」
「昔なら偉そうにする人もいた」
「でも今は鳥獣狩りをしたり、訓練したり、民と飯を食べたりしてます」
「それも八郎が仕組みを作ったからです」
「だから」
一郎は鹿肉をまとめながら言った。
「あいつを支えるんです」
千代は少し微笑んだ。
「良い兄ですね」
「いやいや」
一郎は慌てる。
「そんな立派じゃないです」
「ただできることをしているだけです」
千代は周囲を見る。
他の若い男たちは姫武者たちに話しかけようとしている。
「弓がお上手ですね」
「今度教えてください」
明らかに女として見ている。
悪意はない。
だが千代は苦手だった。
「一郎殿は、そういうことを言わないのですね」
「そういうこと?」
「女だから近づく、というような」
一郎は困った顔をした。
「いや……」
「できないだけです」
「できない?」
「へたれなんですよ」
「女性相手に気の利いたこと言えません」
千代は思わず笑った。
「自分で言いますか」
「本当ですから」
そう言いながら、一郎は淡々と猪をさばいていく。
その姿を見て、千代は思った。
強さとは、弓や刀だけではないのかもしれない。
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夕方。
館では大鍋が用意された。
三郎と母が味付けをする。
猪肉。
鹿肉。
野菜。
味噌。
大きな鍋を囲んで皆が食べる。
「美味しい……」
千代が思わず言った。
三郎が笑う。
「狩った人が上手かったからですよ」
一郎は横で苦笑する。
「俺は運んだだけです」
千代はその様子を見る。
飾らない。
偉ぶらない。
でも確かに支えている。
(悪くない)
そう思った。
少し離れた場所。
八郎と母がその様子を見ていた。
八郎が小声で言う。
「……なんか、いい感じですね」
母もニヤニヤする。
「そうやな」
「一郎にも春が来るかもしれんな」
八郎は腕を組む。
「島津との縁もできますし」
母が軽く頭を叩いた。
「そういうところや」
「まず兄の幸せを考えなさい」
「考えてますよ」
「半分ぐらい」
「残り半分は?」
「領地経営です」
母はため息をつく。
「ほんま三歳児らしくないわ」
その横で和尚も笑った。
「まあ八郎らしい」
こうして、戦でも商いでもない。
人と人との縁が、静かに動き始めていた。




