1533年7月4週目。領内の大量の証文の償却と八郎商会の利益で薩摩川内の湯あみのかけ払い60万文を返済。
七月四週目。
宴会と訓練の仕組みを話し終えた後、いよいよ本題の帳簿合わせが始まった。
最近では、この時間になると館の空気が変わる。
昔は違った。
帳面を開くということは、借金を見ることだった。
誰がいくら払えないか。
誰の利息が増えたか。
誰が苦しくなるか。
そんな話ばかりだった。
だが今は違う。
「今週はどれだけ減った?」
そんな期待の時間になっていた。
八郎は帳面を開いた。
「では、こちらで全部計算しました」
商家衆も武士たちも身を乗り出す。
「まず、庄屋衆関係の証文です」
「薩摩川内」
「残り69万文」
ざわっ。
「まあ、今回は鳥獣対策の仕事分を入れていますから増えています」
「ですが予定通りです」
「次に、新しく加わった薩摩側」
「残り155万文」
「最後に南肥後」
「276万文です」
その数字を聞いて、南肥後の者たちは顔を見合わせた。
「……減っておる」
「本当に減っておる」
八郎は苦笑する。
「まあ、少しずつですね」
その瞬間。
商人が笑った。
「八郎様」
「はい?」
「少しずつ、の意味がおかしいです」
周りから笑いが起きる。
「普通は一年かけて数万文減れば喜ぶんですぞ」
「毎週何十万文も消えるものではありません」
八郎は首を傾げる。
「でも、まだ残っていますし」
「いやいや」
「残っている額より、減る速度がおかしいんです」
庄屋衆は帳面を叩いた。
「以前なら」
「この数字を見たら絶望でした」
「でも今は違います」
「いつ消えるか、という話になっています」
その言葉に全員が頷いた。
特に武士たちはそうだった。
鳥獣対策。
山仕事。
警備。
仕事が作られていく。
ただ借りを待つだけではなくなった。
「では次です」
八郎は別の帳面を開く。
「八郎商会です」
皆が静かになる。
最近、一番読めない帳面だった。
「市」
「寺社」
「湯あみ」
「仕入れ」
「諸々合わせまして」
「今回、新しい湯あみ二台分を2拠点」
「八万文を引いても」
「119万6400文あります」
沈黙。
「……」
「は?」
誰かが声を出した。
「119万?」
「湯あみ代を払った後で?」
「はい」
「三歳児の商会ですよね?」
「はい」
「おかしいでしょう」
館中が笑った。
しかし八郎は真面目だった。
「なので」
「ここから支払いをします」
職人衆を見る。
「薩摩川内で作っていただいた湯あみ」
「残りの付け」
「60万文」
「本日返済します」
一瞬、職人たちは固まった。
「……え?」
「返します」
「約束でしたので」
「いやいやいや」
職人頭が慌てる。
「八郎様」
「そんな急がなくてもよろしいんですよ」
「元々、順番に返していただく約束でした」
「こちらも分かって作っております」
八郎は首を振る。
「いえ」
「払えるなら払います」
「職人さんも材料を買います」
「弟子に飯を食べさせます」
「家族もいます」
「銭は止めたら駄目です」
その言葉に、職人衆は黙った。
そして。
「……参りましたな」
職人頭が笑った。
「こんな領主、聞いたことがない」
「普通は」
「待て」
「まけろ」
「後で払う」
「そう言われるものです」
「それを、こちらが待つと言っているのに払うとは」
職人たちは笑顔になった。
「八郎様」
「はい」
「また何か作れと言ってください」
「え?」
「水車でも」
「湯あみでも」
「桶でも」
「何でも作ります」
「これだけきっちり払ってくださるなら」
「職人はいくらでも動きます」
周りの商人も頷く。
「信用ですな」
「銭を持っていることより」
「払うべき時に払うこと」
「これが一番強い」
和尚も笑った。
「また人が集まるぞ」
八郎は困った顔をする。
「いや、人が増えるとまた仕事考えないといけないんですけど」
「それを考えるのが八郎様でしょう」
「また僕ですか」
その一言で館が笑いに包まれた。
数ヶ月前。
ここは借金の話で怒号が飛ぶ場所だった。
今は違う。
借金を減らし。
仕事を増やし。
次に何を作るか話している。
帳面を見る時間が、未来を見る時間に変わっていた。




