1533年7月1週目。薩摩川内では庄屋衆の借金完済に湧く。今週くらい例がしたいと仕入れ分を寄付される。
七月一週目。
薩摩川内では、久しぶりに明るい声が響いていた。
理由は一つ。
庄屋衆、農民たちが長年抱えていた証文が消えたからだった。
「本当に……なくなったんか」
庄屋の一人が何度も帳面を見る。
何度見ても同じ。
残高はない。
「親父の代からあった借りじゃぞ」
「わしが死んでも息子が払うものだと思っておった」
「それが……」
皆、言葉にならなかった。
戦が続く時代。
税を納めるために借りる。
不作で借りる。
そして利息だけ払い続ける。
それが当たり前だった。
しかし八郎が生まれ、活動してから変わった。
市を作った。
飯屋を広げた。
現物を仕入れとして扱い、銭の流れを作った。
そして本当に証文を消した。
「八郎様様じゃ」
「今週くらい、わしらで材料出そう」
そんな話が自然と出た。
米。
野菜。
魚。
味噌。
薪。
それぞれが出せる物を持ち寄ると言い出した。
それを聞いた八郎は慌てた。
「いやいやいや」
「そんなことしなくていいですよ」
「皆さんも生活があります」
「ちゃんと仕入れで買いますから」
だが農民たちは笑った。
「八郎様」
「これは違います」
「取られているんじゃありません」
「わしらがしたいんです」
「利息を下げてもらった」
「そして証文まで消してもらった」
「二つ恩があります」
「本当なら二回くらいやりたいところですわ」
そう言われて八郎は困った顔をする。
「でも……」
「分かっております」
庄屋は笑う。
「ずっとは無理です」
「わしらも食わねばなりません」
「だから今週だけ」
「また豊作の時」
「何か祝い事がある時」
「節目節目で少し恩返しさせてくだされ」
和尚は隣で笑っていた。
「受け取るのも仕事じゃ」
「慕われるというのは、こういうことじゃぞ」
八郎は少し照れながら頭を下げた。
「ありがとうございます」
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だが、その明るさとは正反対の場所もあった。
八郎領へ攻め込んだ南肥後の国人衆。
そして薩摩側の国人衆。
そこでは笑い声ではなく、怒号が飛んでいた。
「だから言ったではないか!」
「三歳児だから簡単に落とせるなどと言ったのは誰じゃ!」
「お前も賛成しただろう!」
「わしは兵を貸しただけじゃ!」
責任の押し付け合いだった。
戦には負けた。
兵は捕らえられた。
命こそ返されたが、武具は取られた。
そして何より問題なのは――。
銭がないことだった。
「もう一度攻めればよい」
誰かが言う。
しかし、すぐ怒鳴られる。
「何で攻めるんじゃ!」
「槍は?」
「鎧は?」
「弓は?」
「商人から買えばいい」
「その商人が貸さんと言うておる!」
商人衆も以前とは違っていた。
「申し訳ありません」
「これ以上の掛け売りは難しいです」
「なぜじゃ!」
「今まで貸していたではないか!」
商人は静かに答える。
「戦で勝つなら貸します」
「利益になるなら貸します」
「ですが」
「負けた者同士の争いに銭を出すのは別です」
「もし片方が潰れれば」
「証文は紙になります」
誰も言い返せなかった。
さらに商人たちは八郎領を見ていた。
あちらでは貸したものが返ってくる。
毎週、証文が減る。
商人にとって、これほどありがたいことはない。
「八郎様の味方をするのか」
国人が睨む。
「違います」
「商人は銭の流れを見るだけです」
その言葉がさらに場を重くした。
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そして下級武士たちの不満も限界に近づいていた。
「また戦と言われてもな」
「前の給金もまだじゃ」
「武具も自分で用意しろと言われた」
「どうしろというんじゃ」
捕虜になって戻った者たちは、八郎領の話をしていた。
「向こうでは飯が出た」
「捕虜なのにか?」
「ああ」
「それに借金の話まで聞かれた」
「困ったら相談しろと言われた」
それを聞いた者たちは黙った。
敵だったはずの三歳児。
だが、自分たちの殿より生活を考えているように見えた。
さらに悪いことは続く。
周辺の別勢力まで動き始めた。
「三歳児に負けたらしい」
「なら弱っているのではないか」
境目の村で小競り合いが増えた。
山を荒らす。
田を荒らす。
小さな砦へ圧をかける。
だが反撃する力がない。
武具がない。
銭がない。
商人も貸さない。
南肥後も。
薩摩側も。
同じ悩みにぶつかっていた。
「どうする……」
「このままでは内から崩れるぞ」
八郎はまだ何も攻めていない。
ただ飯を作り、帳面を直しただけ。
しかし、その差が周りの国人衆を少しずつ追い詰めていた。




