1533年7月1週目。薩摩川内の庄屋衆の借金完済で歓声が上がる。他の領地も着々と改善。
七月一週目。
田植えの慌ただしさも、ようやく落ち着き始めた。
農民たちは田へ戻り、商人たちは市へ戻る。
戦、借金整理、新領地編入。
怒涛の日々だったが、少しずつ領内に日常が戻ってきていた。
そして――。
八郎の館では、毎週恒例となった帳面合わせの日だった。
「では、始めましょうか」
三歳の八郎が帳面を広げる。
最初は嫌がられていた帳面合わせ。
しかし今では違う。
商人衆も、武士も、庄屋も、どこか期待した顔をしている。
なぜなら。
毎週、数字が良くなるからだった。
「まず薩摩川内です」
八郎が筆を走らせる。
「庄屋衆の証文ですが」
「残り十九万文」
「寺社市の売掛が六万文」
「合わせて二十五万文です」
商人衆が静かになる。
最初は百六十万文以上。
返せると思っていなかった借金。
それが、ここまで来た。
「そして今週の市の仕入れ原価ですが」
「三十九万文です」
八郎が線を引く。
「つまり」
「相殺できます」
一瞬、誰も声を出さなかった。
そして。
「おおおおお!」
館が揺れるほど歓声が上がった。
「終わった……」
「本当に終わったぞ」
「証文が消えた……」
商人衆の中には涙ぐむ者までいた。
何年も抱えていた貸し借り。
領地の重荷。
それが飯屋と市によって消えた。
「もちろん、これで終わりではありません」
八郎は言う。
「これからは商売です」
「今週、市の利益は三万九千文」
「寺社市も合わせて九千文ほど」
「利益も出ています」
「借金を消す時期は終わりました」
「次は豊かになる時期です」
その言葉に商人たちは大きく頷いた。
「ようやく商売ができますな」
「借金返済ではなく」
「銭を増やす商売が」
和尚が笑う。
「三歳児が一つ領地の借金を消したか」
「全部ではないですよ」
八郎は苦笑する。
「武士の分と城があります」
「まだまだです」
しかし、皆の顔は明るかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「次です」
「薩摩南側の新領地」
空気が変わる。
こちらはまだ途中だった。
「前回」
「庄屋衆の証文は二百八十八万文」
「そこに寺社市の売掛分を加えます」
「ただ」
「市の仕入れ原価九十万文があります」
八郎が計算する。
「差し引きして」
「残り二百九万文です」
「二百九……」
新領地側の商人が呟く。
「最初四百五十万文あったものが……」
「もう半分以下に近づいている」
「はい」
「市が回っていますから」
「そして」
「利益は七万文」
周囲がざわついた。
「七万!?」
「もう利益まで出るのか」
「料理に慣れてきています」
「無駄も減っています」
「味も良くなっています」
「それに」
「湯あみも三十個完成しました」
職人たちが胸を張る。
「これから湯浴みも動きます」
「利益は小さいですが」
「毎日銭が動きます」
「薪売り」
「桶屋」
「水運び」
「働く人」
「全部仕事になります」
武士たちも頷いた。
以前なら戦しか仕事がなかった者たち。
今は違う。
領地そのものが仕事を生んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして最後。
「肥後南部です」
新しく加わった者たちは緊張した。
まだ八郎方式を完全には理解していない。
「報告します」
「市はようやく全部動きました」
「原価商売で九十万文ほど回りました」
「ただ……」
担当者が申し訳なさそうに言う。
「利益は二万文ほどしかありません」
「申し訳ございません」
頭を下げる。
しかし――。
「十分です」
八郎は即答した。
「え?」
「何度も言います」
「最初に大事なのは利益ではありません」
「流れです」
「九十万文分」
「農家から買った」
「漁師から買った」
「職人から買った」
「つまり」
「九十万文分、領内に仕事が出たんです」
肥後側の者たちは顔を上げた。
「計算します」
「前回残り約四百二十万文」
「寺社市分を足して」
「市の九十万文を引きます」
筆が止まる。
「商家衆の証文」
「残り三百三十九万文です」
静寂。
そして。
「おお……」
「また減った……」
「一週間で」
「八十万文以上……」
肥後の商人は震えた。
「本当に同じようになるんですね」
「なります」
八郎は頷く。
「仕組みは同じです」
「市を動かす」
「飯を作る」
「材料を買う」
「仕事を作る」
「証文を減らす」
「順番にやるだけです」
「それに」
「来週から肥後側でも湯あみが動きます」
「湯浴み?」
「はい」
「利益も出ます」
「でもそれ以上に」
「人が集まります」
「商売ができます」
肥後側の武士が小さく言った。
「本当に生活が変わるかもしれんな」
別の者が頷く。
「戦で奪うより」
「飯を作った方が豊かになるとはな」
和尚は笑った。
「ようやく分かったか」
「この三歳児は」
「刀ではなく帳面で国を変えるんじゃ」
八郎は慌てて首を振る。
「そんな大層なことしてません」
「ただ」
「借金を見えるようにして」
「飯を作って」
「仕事を増やしているだけです」
皆が笑った。
だが、その「だけ」ができなかった。
戦で疲れた薩摩と肥後。
そこに初めて、銭が回る音が戻り始めていた。




