1533年6月3週目。薩摩川内領の南部。島津の宗家ではない一門が話す。八郎を笑っていた面々が商人の説明で笑えなくなる。
薩摩北西部。
島津一門の館では、家臣たちが集まり、最近の噂について話していた。
「聞いたか」
「あの三歳児の話」
「また領地が増えたらしいぞ」
最初、その話は笑い話だった。
川内の小さな庄屋の子。
飯屋を始めた奇妙な子供。
それがいつの間にか国人衆をまとめ始めた。
「しかも聞けば」
「攻め込んだ者たちは負けて、武具を全部取られたそうじゃ」
「情けない」
当主は笑った。
「それで?」
「その後どうした?」
家臣が答える。
「帰った兵たちが不満を持ち……」
「領主を縛って八郎という子供のところへ向かったとか」
一瞬静まり。
次の瞬間。
大笑いが起きた。
「ははは!」
「領主が家臣に縛られるとは!」
「情けないにもほどがある!」
当主も腹を抱える。
「三歳児に頭を下げる領主か!」
「世も末じゃな!」
だが笑いながらも、当主の目は鋭かった。
「しかし」
「これで奴は大きくなった」
「放っておけば面倒になる」
「商人を呼べ」
「兵糧と武具を集める」
「今のうちに叩く」
すぐに付き合いのある商人たちが呼ばれた。
「米を用意しろ」
「槍、弓、矢もじゃ」
「買う」
商人頭は静かに聞いていた。
そして尋ねた。
「お支払いは?」
「何?」
「今回も……」
「掛けでございますか?」
広間の空気が止まる。
「なんじゃ」
「わしが払わんと言うのか」
「いえ」
商人は頭を下げる。
「ただ、我らとしては」
「できれば無駄な戦は避けていただきたい」
「無駄?」
「八郎など三歳児ぞ?」
当主は鼻で笑う。
しかし商人は首を振った。
「その三歳児」
「二度勝っております」
「南から来た軍勢」
「北から来た軍勢」
「どちらも退けました」
「全部本人の力ではないでしょう」
「周りに支える者もおります」
「ですが」
「勝った事実はあります」
「それに」
「今の八郎様は普通ではありません」
「何がじゃ」
「一週間で」
「百万文近い証文を消しております」
その言葉で家臣たちの表情が変わった。
「百万?」
「一週間で?」
「はい」
「飯屋」
「市」
「仕入れ」
「それらを使って」
「商人や民の証文を減らしています」
当主は眉をひそめる。
「ならば余計に攻めればよい」
「そんな銭があるなら奪えばよいではないか」
商人は困った顔をした。
「そこが違います」
「何?」
「八郎様が持っているのは」
「銭の山ではありません」
「仕組みです」
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「米を買う」
「飯を売る」
「人を雇う」
「仕入れで借金を返す」
「奪っても」
「蔵に百万文置いてあるわけではありません」
別の商人も続けた。
「むしろ」
「攻めて壊せば困ります」
「なぜじゃ」
「我々の証文が消えなくなります」
当主が固まった。
「どういう意味じゃ」
「我ら商人は貸しております」
「武士にも」
「農家にも」
「商家にも」
「八郎様は」
「それを返す流れを作っています」
「そこを焼けば」
「回収できるものも消えます」
「我々はそれで飯を食っていますので」
広間が静かになる。
「では」
「何をしろと言う」
当主は不機嫌そうに聞いた。
商人は答えた。
「何もしないでください」
「……」
「攻めない」
「邪魔しない」
「それが一番です」
「そんなに八郎のところは豊かなのか?」
商人は首を振る。
「いえ」
「城の豊かさだけなら」
「大きく変わりません」
「むしろ」
「借金もあります」
「なら何が違う」
「隠していないことです」
その一言。
当主の顔がわずかに動いた。
「城の借金」
「武士の未払い」
「商家の証文」
「全部出しています」
「その上で」
「どう返すか」
「皆で話しております」
「そこが違います」
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家臣たちは黙った。
なぜなら。
自分たちにも心当たりがあった。
未払い。
先送り。
商人への借り。
表に出していない帳面。
「では」
当主が口を開く。
「飯屋をやれば」
「わしらも同じことができるのか」
商人は少し考えた。
「似たことはできます」
「なら――」
「ですが」
「勘違いされております」
「何をじゃ」
商人は静かに言った。
「八郎様が強いのは」
「飯屋だからではありません」
「借金を認めたからです」
「誰が困っているか」
「何が足りないか」
「誰に返すべきか」
「それを全部見てから」
「飯屋を作ったのです」
広間は沈黙した。
三歳児を笑っていたはずだった。
だが気づけば。
笑われる側が、どちらなのか。
分からなくなっていた。




