1533年6月。帳面合わせのあと、薩摩領内の下の国人衆や島津家の侵入を警戒する八郎。ただ商人はそれは無理と話す。八郎商会の動きがすごいから島津に戦費を貸さないと話す。
帳面合わせが一段落したところで、八郎は集まった商人衆、庄屋衆、侍たちを前に難しい顔をしていた。
「……少し問題があります」
その一言に全員が姿勢を正す。
ここ最近、八郎が「問題」と言った時は、本当に大きな話になる。
「なんですかな?」
商人頭が尋ねた。
八郎は地図を広げた。
「一つ目です」
「南側です」
指差した先。
新しく加わった薩摩北西部のさらに南。
「ここには当然、まだ国人衆がいます」
「それに……」
「大きく見れば島津家があります」
その名前に何人かが頷いた。
「つまり」
「境目ができました」
「領地が増えたということは、守る場所も増えたということです」
「小競り合い」
「略奪」
「あるいは攻め込み」
「可能性があります」
八郎はため息をついた。
「やっと帳面整理を始めたところなのに」
「また戦になったら困ります」
だが。
その場にいた商人衆は笑った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何がおかしいんですか?」
「いや、八郎様」
「それは少し考えすぎです」
「え?」
商人頭が笑いながら言った。
「今、我々商人衆が何を見ていると思いますか?」
「何を?」
「八郎様の帳面です」
「一週間で」
「九十万文」
「証文を消した」
「それを見ています」
八郎は首を傾げる。
「それと戦が何の関係が?」
商人たちは顔を見合わせて笑った。
「あります」
「大ありです」
「戦には銭が要ります」
「兵糧が要ります」
「武具が要ります」
「馬も必要」
「矢も必要」
「それを誰が用意していると思います?」
八郎は黙った。
「……商人さんですね」
「そうです」
「では聞きます」
「毎週九十万文分、証文を減らしてくれる領主」
「商売を増やしてくれる領主」
「借金を踏み倒さず返そうとする領主」
「そこを攻めるために」
「我々が銭を貸しますか?」
八郎が目を瞬かせた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「貸しません」
「米も出しません」
「武具も渋ります」
「矢も高くします」
「戦とは刀だけでするものではありません」
「銭でするものです」
和尚が笑った。
「なるほどのう」
「八郎は飯で城を守っとるわけか」
「いや、そんなつもりでは……」
「結果的にそうなっとる」
さらに別の商人が言う。
「それに島津も簡単には動けません」
「なぜです?」
「今、島津家中もまとまっておりません」
「内で争っております」
「外を見る余裕がどれほどあるか」
「八郎様の五万石を攻めるより」
「まず家中でしょうな」
「だから」
「南は今すぐ大軍という可能性は低いかと」
八郎は少し安心した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「では二つ目です」
「北です」
今度は地図の上側を指差す。
「肥後南側」
「今回攻めてきた人たちです」
「こちらは……」
「多分、動きます」
空気が少し変わった。
「やはりですか」
「はい」
「南側と同じです」
「負けました」
「武具を失いました」
「借金があります」
「領主が敗戦処理できません」
「そうなると」
「不満が出ます」
武士たちが頷く。
自分たちも同じだった。
「だから」
「遅いか早いかだけで」
「北でも同じことが起きると思っています」
和尚がニヤニヤする。
「つまりまた領地が増えるかもしれん、と」
「やめてください」
八郎は即答した。
「今でも大変なんです」
「五万石ですよ?」
「帳面が山ですよ?」
「市を増やして」
「料理教えて」
「岩見増やして」
「借金合わせして」
「武士の給金考えて」
「ここでまた同じことになったら……」
「また最初からですよ」
八郎は本気で嫌そうな顔をした。
「面倒です」
その瞬間。
周り全員が吹き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「八郎様」
商人頭が笑いながら言う。
「それは面倒くさがってはいけません」
「え?」
「おそらく」
「近いうちに来ます」
「いやいや」
「そんな簡単に領地持ってきませんよ」
和尚が腹を抱えて笑う。
「三歳児よ」
「まだ分からんか」
「飯を食わせる」
「借金を減らす」
「仕事を作る」
「給金を払う」
「戦で勝つより恐ろしいことをしておる」
元敵だった武士が苦笑する。
「実際、我らはそれでここにおります」
八郎は頭を抱えた。
「……また帳面増えるんですか」
その一言で、広間はさらに笑いに包まれた。
普通の領主なら土地が増えることを喜ぶ。
しかし八郎が恐れるものは敵兵ではない。
山積みの証文。
終わらない帳面。
増え続ける仕事だった。




