1533年6月3週目。新たな領地35,000石文の処理。利益の少なさに新領地の者はへこむが仕入れ原価90万文ができていると話す。現物でもらったため証文と交換・90万文。
次に、八郎は新しく加わった三万五千石側の帳面を開いた。
向こうの庄屋衆、商人衆、元領主の家臣たちが、少し緊張した顔で座っている。
「では、新領地側です」
帳面係が頭を下げた。
「申し訳ございません」
「何がですか?」
「市は一応、全部動かしました」
「ただ……」
「味が整わず、馴染みもなく、人の動きも読めず」
「利益は二万文ほどしか出ませんでした」
広間が少し静かになる。
新領地側の者たちは肩を落とした。
「八郎様の元の領地では、毎週かなり利益が出ておりますのに……」
「我らはまだまだでございます」
しかし八郎は首を振った。
「違います」
「そこじゃありません」
「え?」
八郎は帳面を指差す。
「原価はいくら動きましたか?」
「原価でございますか」
「はい」
「仕入れです」
帳面係が答える。
「九十万文ほどです」
八郎の目が少し明るくなった。
「十分です」
「……十分?」
「はい」
「ものすごく大事です」
元領主の一人が恐る恐る聞いた。
「しかし利益は二万文しか……」
「利益は後です」
八郎は即答した。
「今はまず、仕入れが動いたことが大事です」
周囲が首を傾げる。
「いいですか」
「飯屋で米を使いました」
「魚を使いました」
「野菜を使いました」
「薪を使いました」
「余った分はまかないにしました」
「一部はただで配った」
「それでいいです」
「なぜなら」
「その材料は現物で受け取れることが分かったからです」
「現物で受け取れるということは」
「証文と交換できます」
商人衆の表情が変わった。
「つまり……」
「はい」
八郎は頷く。
「新領地側の商家衆の借金」
「四百五十万文」
「そこから今回の仕入れ九十万文を相殺できます」
空気が止まった。
「四百五十万文から」
「九十万文を引きます」
筆が動く。
「残り三百六十万文です」
新領地側の庄屋衆がぽかんとした。
「……え?」
「今、何と?」
「九十万文分、減らします」
「現物仕入れとして受け取っていますから」
「そんな軽く言われますけど!」
商人の一人が思わず叫んだ。
「百萬文近い証文が消えておりますぞ!」
「はい」
八郎は普通に頷く。
「だから大事なんです」
「利益二万文より、そちらです」
元領主たちは青ざめた顔で見ていた。
自分たちが何年も見ないふりをしていた証文が、一週間で九十万文減った。
しかも、銭をばら撒いたわけではない。
飯を作っただけ。
人を雇っただけ。
市を動かしただけ。
「利益が少ないことは気にしなくていいです」
八郎は続ける。
「最初は味も揃いません」
「客も慣れません」
「売れ残りも出ます」
「でも仕入れが動いた」
「これが一番大事です」
「味は直せます」
「値段も直せます」
「人も育てられます」
「でも、仕入れの道がないと借金は消せません」
和尚が笑った。
「普通の商人なら利益二万を見て渋い顔をする」
「八郎は原価九十万を見て喜ぶ」
「変な商売じゃ」
八郎は真顔で返す。
「借金返済の商売ですから」
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さらに帳面係が続けた。
「寺社市の方ですが」
「こちらも動きました」
「大きな市へ行けない者たちに、かなり需要がございました」
「売掛は九万文ほど出ております」
八郎は頷いた。
「それも大事です」
「寺社市は、近くの人が買える場所です」
「大市に行けない人」
「銭が少ない人」
「でも生活用品が欲しい人」
「そういう人のためです」
「売掛九万文」
「これも後で現物と合わせます」
「米」
「薪」
「炭」
「魚」
「働き」
「返せる形を作ればいいです」
新領地側の者たちは、少しずつ表情を変えていった。
利益二万文しか出せなかった失敗報告。
そう思って持ってきた帳面が。
八郎にとっては、大きな成功だった。
「来週もやります」
八郎が言った。
「味を整えます」
「売れ残りを減らします」
「まかないも続けます」
「ただで配るなら、次は理由をつけましょう」
「試食とか、怪我人向けとか」
父が笑う。
「そこまで帳面につけるんか」
「つけます」
「何に使ったか分からないと困ります」
商人衆が頭を下げた。
「八郎様」
「これは本当にありがたい」
「焦げると思っていた証文が、八郎様経由で仕入れに代わりそこから銭になり戻ってくる」
「しかも継続する」
八郎は疲れた顔で笑った。
「まだ始まったばかりです」
「四百五十万文が三百六十万文」
「大きいですけど、まだ残っています」
和尚がニヤリと笑う。
「しかしの」
「一週間で九十万文じゃ」
「あと数週で空気は変わるぞ」
八郎は帳面を閉じた。
「変えます」
「借金が減れば、人は前を向けます」
「そのために飯を作っているんです」
誰も、もう笑わなかった。
新しい領地にも、八郎のやり方が染み込み始めていた。




