1533年6月。八郎が帳面と戦っている。各所の帳面を眺め収支を見ていると気付いたことがあり関係者を呼ぶ。
五月が終わり、六月に入った。
二度の戦の騒ぎから一週間。
ようやく領地にも、いつもの音が戻り始めていた。
田では農民が鍬を振るう。
山では薪を切る音が響く。
そして今まで静かだった寺や神社には、人の声が戻っていた。
「おい、今日はあっちの寺で市やっとるぞ」
「八郎様の飯屋も来とるらしい」
「甘い団子もあるんやろ?」
「早よ行こうや」
戦の後とは思えないほど、人の流れが生まれていた。
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その夜。
八郎は館で帳面を見ていた。
そこへ四郎と五郎が戻ってくる。
「八郎」
「一通り見てきたぞ」
「ありがとうございます」
「どうでした?」
二人は顔を見合わせて笑った。
「まあ……」
「文句だらけやな」
「でしょうね」
八郎は苦笑した。
「飯が遅い」
「味が違う」
「汁が薄い」
「店の者の態度が悪い」
「並び方が悪い」
「まあ、いっぱい言われとったわ」
五郎が笑う。
「大丈夫なんか?」
八郎は頷く。
「大丈夫です」
「むしろありがたいです」
「え?」
「文句を言うということは」
「また来る気があるということです」
兄二人は黙った。
「……ほんま三歳か?」
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「最初から完璧なんて無理です」
「十三市同時ですから」
「まず動いたことが大事です」
四郎が頷く。
「まあ客は入っとった」
「珍しがってな」
「なら十分です」
次に湯浴み。
「湯浴みは?」
「順番に作っとる」
「大工衆が張り切っとるぞ」
「ただ百二十六は笑われた」
八郎も笑う。
「でしょうね」
「急ぎません」
「あれは長い目で見ます」
そして寺社市。
父が帳面を持ってくる。
「八郎」
「寺と神社の方じゃが」
「十ヶ所動いた」
「ありがとうございます」
「売上は?」
「まあ、お前の元の寺社の市と大きくは変わらんな」
その瞬間。
八郎の目が変わった。
「……ということは」
指で計算を始める。
「一つの市が二百五十文」
周りが静かになる。
「利益か?」
「はい」
「でも大事なのはそこじゃありません」
八郎は帳面を叩く。
「仕入れです」
「三千文の商品の掛けができた」
「つまり」
「三万六千文分、証文を消せる可能性があります」
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和尚が笑った。
「出た」
「また借金消しの話じゃ」
「大事です」
八郎は真顔だった。
「湯浴みは?」
父が聞く。
「湯浴みはまだ放置でいいです」
「作っている途中です」
「完成して回り始めてから考えます」
「寺社市の方は……」
八郎は別の帳面を見る。
「場所代と利益」
「一ヶ所二百五十文として」
「十なら二千五百文」
「これは小さいです」
「でも」
筆を走らせる。
「売掛が出ています」
「一ヶ所三千文ほど」
「十で三万文」
父が首を傾げる。
「また売掛を見るんか」
「はい」
「ここが大事です」
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「商人さんから見れば売掛」
「でもこちらから見ると」
「仕入れ予定です」
「米」
「魚」
「薪」
「野菜」
「全部ここで合わせられる」
和尚が頷く。
「銭を払わず銭を回す」
「そういうことです」
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しばらく帳面を見ていた八郎が顔を上げた。
「父上」
「なんじゃ?」
「人を呼んでください」
「誰を?」
「商人衆」
「それと十の庄屋衆のまとめ役です」
部屋が静まる。
「全員か?」
「はい」
「大きな話になります」
「早い方がいいです」
父が表情を変える。
「何を考えた」
「帳面を合わせます」
「借金」
「売掛」
「仕入れ」
「全部です」
和尚が楽しそうに笑う。
「また始まったの」
「八郎の悪い顔じゃ」
「悪いこと考えてません」
「借金返すだけです」
「三歳児が領内全部の借金返そうとしとる時点で十分悪いわ」
皆が笑った。
そして次の日
館には商人衆。
十の庄屋衆の代表たち。
寺社の者。
帳面係。
次々と集まり始めた。
「八郎様が急ぎで?」
「また何か思いついたんか」
「今度は何を始めるんや」
誰も不安そうではなかった。
むしろ期待していた。
戦が終わって一週間。
八郎の次の戦。
それは槍でも弓でもなく――
帳面との戦だった。




