1533年5月。4回目の市のあと、八郎に属していない残りの庄屋衆が八郎側につく旨と領主の手紙を出す。家臣も心離れ。領主は出ていくことになる。
四度目の市が終わった翌朝。
領主の館に、五つの庄屋衆の代表が揃って現れた。
領主は顔を見るなり眉をひそめる。
「……なんじゃ」
「また八郎の話か」
最近聞く話はそればかりだった。
あちらの庄屋が八郎へ。
こちらの商人が八郎へ。
下級武士まで八郎へ。
その名前を聞くだけで腹が立つ。
庄屋代表が静かに頭を下げた。
「殿様」
「我々も八郎様の下へ入るお許しをいただきたく参りました」
その瞬間。
領主の顔色が変わった。
「……なんじゃと?」
「お前らまでか」
「皆、わしより八郎がよいと言うのか!」
怒鳴り声が響く。
だが、庄屋たちは今回は怯まなかった。
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一人が懐から文を出す。
「殿」
「こちらをご覧ください」
「なんじゃ」
受け取った瞬間、領主の顔が固まった。
自分が書いた文だった。
「なぜこれを……」
「お侍様が見せてくださいました」
「これを見て、我々の腹は決まりました」
領主は言葉を失う。
庄屋代表が続ける。
「正直申し上げます」
「八郎様のところで証文が次々消えていること」
「見ておりました」
「羨ましく思っておりました」
「ですが」
「殿様への義理もありました」
「だから我慢しておりました」
そこで文を指差す。
「しかし」
「これは違います」
「他国の兵を呼び」
「この地を取った後は好きにしてよい」
「そう読めます」
領主が怒鳴る。
「そこまでは書いておらん!」
「わしは勝った後の物は好きにせよと書いただけじゃ!」
庄屋たちは首を振った。
「同じでございます」
「攻めてくる者からすれば」
「蔵も」
「米も」
「商人の荷も」
「我々の家も」
「全部、取れる物になります」
「殿様」
「我々の証文は消してくださいましたか」
「……」
「暮らしを見てくださいましたか」
「……」
「それなのに」
「外から兵を呼ぶのですか」
領主は答えられなかった。
「ならば」
「我々も自分たちの家族を守ります」
「本日より」
「八郎様の元へ向かいます」
そう言って五人は頭を下げた。
そして去った。
その足取りは、不思議なほど軽かった。
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その様子を見ていた武士たち。
一人。
また一人。
前に出た。
「殿」
「我らも、お暇をいただきます」
「……お前らまでか」
「はい」
「我らにも家族があります」
「借金があります」
「給金の未払い分ですが」
「武具をいただいて参ります」
「なっ……」
「待て!」
だが止まらない。
すでに気持ちは離れていた。
五百いた兵。
残ったのは二百五十。
領主は残った者を見る。
「お前らは違うよな?」
「お前らはわしにつくよな?」
しかし。
その二百五十の中からも声が出た。
「申し訳ございません」
「我らも……」
「今は様子見させていただきます」
「何?」
「家族がおります」
「田もあります」
「借金もあります」
「外の兵を呼ぶ戦には加われません」
約百五十人。
彼らも戦う意思をなくした。
残ったのは百人ほど。
領主は歯ぎしりした。
「ならばよい」
「外から兵を呼ぶ」
「お前らで使いに行け」
「南薩へ五十」
「肥後南へ五十」
「八郎を潰す兵を連れてこい」
しかし。
そこでまた動きが止まった。
二十人ほどが前へ出た。
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「殿」
「なんじゃ」
「ここまでとは思いませんでした」
「何?」
「八郎様に任せて」
「殿は隠居されれば」
「皆、殿を悪く言わなかったでしょう」
「何を……」
「民を守れなかった」
「それでも仕方ないこともあります」
「ですが」
「民を売る真似は違います」
領主の顔が赤くなる。
「貴様!」
「三歳児につくというのか!」
武士は静かに答えた。
「三歳児だからではありません」
「守ろうとしている方につくだけです」
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結局。
最後まで残ったのは三十人。
十五人が南へ。
十五人が肥後方面へ。
荷をまとめ、館を離れる。
静かになった館。
領主は一人座っていた。
「なぜじゃ……」
「なぜ皆、八郎なのじゃ」
答える者はいない。
城も。
武具も。
肩書も残っている。
しかし。
一番大事なもの。
人の心だけが、すでに館から消えていた。




