1533年5月。庄屋衆の話。殿様が各方面の国人衆に送った裏切りの文について話す。3回目4回目の市を平静を装い回す。
寺の奥の間。
領主が各地へ送ろうとした文を確認した後、誰もが重い顔をしていた。
商家衆。
庄屋衆。
下級武士。
皆が同じことを思っている。
――もう戻れない。
そんな空気だった。
しかし。
「では、来週も普通に市を開きましょう」
八郎がそう言った瞬間、全員が振り向いた。
「……普通に?」
「はい」
八郎は頷く。
「ここで急に動きを変えたら、こちらが文を知ったと気づかれます」
「殿様も馬鹿ではありません」
「何か変だと思えば動きを変えます」
和尚がニヤリと笑う。
「ほう」
「泳がせるか」
「言い方悪いです」
八郎はため息をつく。
「私は三歳児ですよ?」
「そんな怖いこと考えてません」
周り全員が無言になる。
父がぼそっと言った。
「いや、今一番怖いこと言うたぞ」
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八郎は帳面を開く。
「まず、この一週間」
「やることは変えません」
「証文を消します」
「市を回します」
「飯を出します」
「仕事を作ります」
「それだけです」
商人が尋ねる。
「ですが……戦になる可能性は」
「あります」
即答だった。
「ありますけど」
「だからこそ市は止めません」
「え?」
「市を止めたら困る人がいます」
「借金を返す予定だった人」
「働く予定だった人」
「飯を買う予定だった人」
「その人たちには関係ないです」
皆、黙った。
「おそらくですが」
八郎は続ける。
「他の庄屋衆も動きます」
「今回の文の話が広まれば」
「殿様よりこちらへ……という流れになるでしょう」
「そして武士の方々も」
下級武士を見る。
「来ます」
「証文を持って」
「家族を守るために」
武士たちは何も言えなかった。
その通りだったからだ。
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「今、殿様側は五百人ほどですよね」
「はい」
「そのうち半分」
「二百五十人ほどはこちらに来ると思っています」
ざわつく。
「残りは?」
「半分ぐらいは動かないでしょう」
「え?」
「家もあります」
「家族もあります」
「殿様の今回の行動を見たら、命をかけて従う人は減ります」
和尚が目を細める。
「では敵になるのは?」
「百人ほど」
八郎は答えた。
「その人たちが外の国人衆の案内役になる可能性があります」
「薩摩北部か」
「肥後南部か」
「どこかは分かりません」
「でも来るなら、そうでしょう」
父が呆れる。
「……お前」
「本当に三歳か?」
「三歳です」
「毎晩母上の布団で寝ています」
その一言で少し空気が緩んだ。
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しかし次の言葉でまた固まる。
「館を使います」
「館?」
「はい」
「殿様が言っていました」
「入口を壊しておくと」
「攻めやすいと」
「だから」
「攻めてもらいます」
全員が沈黙。
和尚だけが笑った。
「なるほどのう」
「城を守らんか」
「守りません」
「大事なのは館じゃありません」
「人です」
「詳しいことは来週話します」
「今言うと、人が多すぎます」
「まず準備だけ」
武士たちを見る。
「戦になると思ってください」
「ただし」
「こちらから奪う戦ではありません」
「守る戦です」
武士たちは深々と頭を下げた。
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そして、次の市。
何事もないように始まった。
混ぜ飯。
つみれ汁。
天ぷら。
甘味。
マグロ煮。
いつもの声が響く。
「八郎様、今日も美味かった!」
「また来るぞ!」
八郎も笑う。
「ありがとうございます」
でも周りの大人だけは知っていた。
この平和な市の裏で。
大きな波が近づいていることを。
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翌朝。
家族の朝飯。
八郎は箸を置いた。
「皆様」
「少しだけ」
「覚えておいてください」
母が見る。
「何?」
「近いうち」
「状況が大きく変わるかもしれません」
兄たちも顔を上げる。
「何があるんや?」
八郎は首を振った。
「まだ分かりません」
「でも」
「慌てないでください」
「いつも通りしてください」
母がため息をつく。
「また三歳児が背負う話?」
「……」
「否定できません」
兄たちが笑った。
三郎兄が言う。
「飯屋は?」
「続けます」
「混ぜ飯は?」
「続けます」
「甘味は?」
「もちろんです」
「ならええ」
八郎は驚く。
「兄様?」
「お前が飯を作るって言うなら」
「まだ大丈夫ってことやろ」
八郎は少し笑った。
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そして4回目の市。
いつも通り。
いや。
いつも以上に人が来た。
商人も。
農民も。
武士も。
皆が分かっていた。
この市を守らなければならないと。
その中心で、八郎だけが帳面を見ながら呟いた。
「……だから」
「私は飯屋をしたかっただけなんですけどね」
父と和尚は顔を見合わせる。
「もう遅いな」
「遅いのう」
二人は同時に笑った。




