1533年5月。2回目の市のあと、領主のにて。庄屋衆が2つ八郎側につく旨を願い出る。殿様大激怒。さらに下級武士30人が退職。
その頃、館では重苦しい空気が流れていた。
領主は上座で不機嫌そうに座っている。
理由は分かっていた。
目の前には二組の庄屋衆の代表。
それも、今まで直接領主に年貢を納めていた者たちだった。
「それで?」
領主は低い声で聞く。
「何を言いに来た」
二人の代表は頭を下げた。
「お願いがございます」
「我らも……」
「八郎様の下に入れていただく許可をいただきたく」
その瞬間。
領主の顔が歪んだ。
「また八郎か」
「お前らもか」
「お前らも、わしより八郎がええと言うんか」
「い、いえ」
「そういう話では……」
「では何じゃ!」
怒声が響く。
庄屋代表は震えながらも言った。
「証文でございます」
「証文?」
「はい」
「八郎様の元の庄屋衆」
「十六万文あった借りが」
「すべて消えました」
「……」
「何?」
「全部でございます」
「今はもう新しく出る売掛の整理に入っているそうです」
家臣たちもざわついた。
噂では聞いていた。
だが実際に数字で聞くと異常だった。
「我々も苦しいのです」
「田畑を守りたい」
「家を守りたい」
「子を守りたい」
「ですので……」
「もし」
「お殿様が証文を消してくださるなら」
「もちろん我々は――」
「なんじゃ」
領主の手が刀に伸びる。
「わしに喧嘩を売っとるのか」
空気が凍る。
「殿!」
家臣が慌てて止める。
「お待ちください!」
「相手は民ですぞ!」
「離せ!」
「皆八郎八郎と言いおって!」
しかし。
周囲の家臣の顔にも疲れがあった。
もう力で押さえる段階ではない。
庄屋衆は深々と頭を下げる。
「申し訳ございません」
「ですが」
「暮らすためでございます」
そして退出した。
不思議なことに。
館を出た二人の足取りは軽かった。
「怒られたな」
「ああ」
「でも許しは出た」
「ああ」
「これで助かるかもしれん」
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しかし問題はそれだけでは終わらなかった。
次に来たのは武士だった。
三十人ほど。
ほとんどは農民兵に近い下級の者たち。
「殿」
「申し訳ございません」
「何じゃ今度は」
「しばらく暇をいただきたく」
「……」
「お前らもか」
「八郎のところか」
誰も答えない。
それが答えだった。
「ふざけるな!」
「お前らまで!」
武士代表は頭を下げる。
「ただ」
「給金遅配分として」
「武具だけはいただきたく」
「弓を」
「勝手にしろ!」
「出ていけ!」
武士たちは弓を持った。
数は最低限。
しかし。
矢は多めに持った。
誰も大声では言わない。
ただ、これから必要になるかもしれない。
そう思っていた。
「裏切るなよ」
領主が吐き捨てる。
「お前ら」
「わしを裏切るなよ」
だが。
返事の声は以前より小さかった。
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一方。
寺の庄屋衆の集会。
八郎は話を聞いて頭を抱えていた。
「……二つ増えました?」
「はい」
「一気に?」
「はい」
「……」
「本当に三歳児に何させてるんですか」
和尚が笑う。
「もうその言い訳も弱くなってきたのう」
八郎は新しい庄屋衆を見る。
「まずお願いします」
「証文整理です」
「誰が」
「誰に」
「いくら」
「利息」
「期限」
「全部まとめてください」
「隣の部屋でお願いします」
「終わったら呼んでください」
新しい庄屋衆は驚く。
「今すぐ消していただけるのでは?」
「違います」
八郎は首を振る。
「順番があります」
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「今日はまず」
「今動いている分です」
「三つ目の庄屋衆」
「毎週一万五千文分」
「予定通り消します」
歓声。
「残り十五万文ですね」
「はい!」
「次」
「一つ目と二つ目」
「寺市、神社市があります」
「そこで新しく出た売掛」
「約一万五千文」
「まず消します」
「商売を止めないためです」
商人たちは頷く。
「当然です」
「残り分」
「合わせて四万文」
「隣の庄屋衆の証文消しに使います」
「合計」
「今日で隣の庄屋衆の債務の残高は六万九千文分」
一瞬。
静まり返った。
そして。
「四万文……」
「一日で……」
「昔なら村一つ潰れる額やぞ」
ざわめきが広がった。
「すごい」
「本当に消えていく」
「夢みたいだ」
庄屋衆は喜んだ。
商人も笑った。
金が返る。
商いが続く。
全員が得をしていた。
ただ。
端に座る武士たちは別の意味でそわそわしていた。
「なあ」
「俺らの四十万文も……」
「いつか……」
その様子を見て父が苦笑する。
「八郎」
「はい?」
「期待されとるぞ」
「やめてください」
「本当に」
「順番ですから」
和尚が笑う。
「だが皆、待てるようになった」
「なぜか分かるか?」
「?」
「お前なら消すと思っとるからじゃ」
八郎はため息をつく。
「だから怖いんですよ」
「人の期待ほど重いものはないです」
父は笑った。
「三歳児の言葉ちゃうな」
「三歳児です」
「なので今日は早く寝ます」
寺中が笑った。
だが誰もが感じていた。
もう流れは止まらない、と。




