1533年4月。3回目の市と4回目の市の間。寺での集会。八郎の家の借金分16000文が返済される。
三回目の市と、四回目の市の間。
いつものように和尚の寺に人が集まった。
最初は数人だった集まりも、今では様子が違う。
八郎の庄屋衆。
隣の庄屋衆。
商人衆。
帳面を書ける者。
もはや小さな評定だった。
和尚はそれを眺めて笑う。
「最初は握り飯売る相談だった気がするんじゃがな」
父がため息をつく。
「もう誰も覚えとらんでしょうな」
八郎だけが首を振る。
「私は覚えてますよ」
「飯屋です」
その言葉に全員が笑った。
「まだ言うか」
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まず話題になったのは、市のことだった。
商人の一人が口を開く。
「八郎様」
「はい」
「周りの庄屋衆の動きですが」
「何かありました?」
「噂は広がっています」
八郎は少し身構える。
「ただ、今のところ大きな動きはありません」
「そうですか」
「隣の庄屋衆が八郎様のところに入ったことは、皆知っています」
「でも」
「借金をどうこうしてくれるという話までは来ておりません」
父が頷く。
「まあ、普通はそうや」
「こんな話、急に信じられん」
商人も苦笑する。
「そうです」
「証文が消えるなんて普通ありませんから」
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そこで隣の庄屋が口を開いた。
「でも、わしらは本当に助かっとります」
「八郎様が証文を買ってくださる」
「それだけじゃない」
「寺市、神社市ですよ」
周りも頷く。
「あれが大きい」
「今まで市まで行けなかった者が買える」
「必要な物を手に入れられる」
「しかも」
「銭じゃなくても、作物で返せる」
その言葉に皆が深く頷いた。
銭がない。
だから借りる。
借りるから利が増える。
その輪を八郎は変えた。
米でもいい。
野菜でもいい。
働いてもいい。
返す道を作った。
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八郎はそこで手を上げた。
「ただ、お願いします」
「何でしょう?」
「揉めたらやめます」
一瞬で静かになる。
和尚が笑いをこらえる。
「また出た」
「いや、大事です」
八郎は真剣だった。
「あと」
「払えないのに買う人」
「これは困ります」
商人たちも頷く。
「そこは我々も見ます」
「お願いします」
「ただ」
八郎は続ける。
「本当に困っている人なら別です」
「米でも返せない」
「作物もない」
「でも働ける」
「そういう人なら言ってください」
皆が顔を上げる。
「仕事ならあります」
「畑」
「芋」
「店」
「運ぶ仕事」
「水車も作ります」
「やることはいくらでもあります」
「日銭を出します」
「それで少しずつ返せばいいです」
寺の中が静かになった。
商人がぽつりと言う。
「……そこまで考えますか」
八郎は慌てる。
「ただし!」
「はい?」
「仕事欲しさに、わざと借金するのはダメですよ」
一瞬。
そして大笑い。
「そんな奴おらん!」
「いや分からないじゃないですか」
「八郎様の仕事ならありえるぞ」
また笑いが起きた。
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話が一区切りした時だった。
大きな商人が一枚の証文を出した。
「八郎様」
「はい」
「こちらを」
八郎が見る。
自分の家の証文。
一万六千文。
「ああ」
「これですね」
商人は笑った。
「正直、これは残しておきたいぐらいです」
「え?」
「八郎様の家に貸しがある」
「つまり、これからも取引があるという証ですから」
別の商人も頷く。
「今となっては一番価値ある証文かもしれません」
父が驚く。
「借金の証文が価値になるんか……」
しかし八郎は首を振った。
「ダメです」
「え?」
「一旦消します」
「でも」
「借金は借金です」
八郎ははっきり言った。
「きれいにします」
「その上で取引しましょう」
和尚は満足そうに笑った。
「そこを間違えんのが八郎じゃな」
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一万六千文。
支払い。
証文返却。
これで八郎の家の借りは消えた。
帳面係が数字を書く。
「では……」
「庄屋衆全体の残りは」
「六万九千文です」
ざわっ。
最初十六万文。
絶望的だった数字。
それが。
六万九千。
「ここまで来たか」
「本当に消えるぞ」
誰かが震える声で言った。
八郎は普通の顔で言う。
「まあ」
「来週また仕入れがありますから」
「え?」
「一週間で二万五千文ぐらい消せますよね」
「だから」
「もう見えてきましたね」
その軽い言い方に、全員が固まった。
そして。
「いやいやいや!」
三郎が叫ぶ。
「軽すぎる!」
「何年も苦しんだ借金やぞ!」
父も笑う。
「来週の買い物みたいに言うな」
和尚は腹を抱えていた。
「面白い」
「ほんに面白い」
「銭を貯める者は多い」
「だが銭を流して、人を救って、さらに銭を増やす者は少ない」
八郎は首をかしげる。
「そんな大げさな」
全員が同時に言った。
「大げさじゃない」
その日。
庄屋衆の顔から、長年染みついていた諦めが消えた。
借金はもう、恐れるものではなく。
返せるものになっていた。




