1533年4月殿様に返済に行く。4500文。ただすごく不機嫌。みんな八郎ばかり。わしは何なんじゃ。
寺での集まりの終わり。
隣の庄屋衆は、まだ少し落ち着かない顔をしていた。
目の前では八郎側の庄屋衆が、借金を減らし、市を増やし、商人と次の商いの話までしている。
同じ領地。
同じ百姓。
同じ庄屋。
なのに差が広がっている。
隣の庄屋頭が口を開いた。
「八郎殿」
「はい?」
「うちらの二十万文は……」
八郎は手を振った。
「急がないでください」
「しかし」
「証文の整理があります」
八郎は帳面を叩く。
「誰が」
「誰から」
「いくら」
「どれぐらいの利で借りているか」
「そこを合わせないと失敗します」
和尚が頷いた。
「その通りじゃ」
「焦って銭だけ動かすと揉める」
八郎は続けた。
「なので次回ですね」
「次回?」
「はい」
「隣の市がありますよね」
「あります」
「そこで週七千文ぐらい仕入れがあります」
「……」
「そこからで良ければ」
八郎は笑う。
「ゆるゆるやりましょう」
周囲が固まる。
「二十万文をゆるゆる……」
「三歳児の言葉ちゃうぞ」
父がぼそっと言った。
八郎は気にせず商人を見る。
「あと、うちの資金や成績も見せた方がいいですよね?」
「もちろんです」
大きな商人が即答した。
「八郎様がどれだけ動かせるか分かれば、こちらも安心して取引できます」
「やっぱりそうですよね」
「はい」
「信用とは銭そのものではありません」
「この人間なら返せる、と思えることです」
和尚が横で笑う。
「それを三歳児に説明される商人も珍しいのう」
商人も苦笑した。
「返す言葉もございません」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日。
八郎は父と和尚と共に館へ向かった。
持参した銭。
四千五百文。
五万文返済の一部だった。
「よう来た」
殿様は座っていた。
だが――。
明らかに機嫌が悪い。
「八郎」
「はい」
「随分、儲かっておるようじゃな」
空気が張った。
家臣たちも黙る。
八郎は首を傾げる。
「儲かって……ですか?」
「違うのか?」
「違います」
即答だった。
「ほう?」
「銭と仕入れを交換しているだけです」
「……」
「借金の証文を買って」
「その代わり米や野菜や卵でもらって」
「それを飯にして売って」
「また仕入れています」
「だから銭がぐるぐる回っているだけです」
家臣の一人が小さく笑った。
「ぐるぐる、か」
しかし殿様は笑わない。
「だが銭は増えておる」
「はい」
「では儲けじゃろう」
八郎は少し考える。
「そう言われればそうかもしれません」
「……」
「でも」
「でも?」
「私は三歳です」
部屋が静まる。
「何?」
「三歳です」
八郎は真顔で言った。
「朝起きたら母上に着替えさせてもらいます」
「……」
「夜は母上の布団に入って寝ています」
家臣が吹き出した。
「ぷっ」
「おい」
「すまん」
八郎は続ける。
「そんな子供が何か大きなことを考えてるわけないじゃないですか」
「……」
「ただ」
「父上が困ってました」
「村のみんなが困ってました」
「だから飯を作りました」
「売れたから増やしました」
「借金が苦しいと言われたから返し方を考えました」
「それだけです」
家臣たちは笑っていた。
「確かにな」
「母親の布団で寝てる領主狙いはおらんわ」
「かわいいもんじゃ」
だが。
殿様だけは笑えなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「八郎」
「はい」
「わしはな」
殿様は小さく言った。
「腹が立つのじゃ」
「え?」
「お前にではない」
「?」
「いや……少しはお前にもじゃ」
八郎は困った顔になる。
「すみません」
「謝るな」
殿様はため息をついた。
「分かっておる」
「お前は悪くない」
「むしろ助けておる」
そして苦笑した。
「だから余計腹が立つ」
「?」
「皆がお前を見る」
「……」
「庄屋衆も」
「商人も」
「寺も」
「困れば八郎」
「相談は八郎」
「銭は八郎」
殿様は自嘲した。
「まるで、わしが役立たずみたいではないか」
その言葉に家臣たちの笑いが止まった。
八郎も固まる。
「……」
「殿様」
「なんじゃ」
「あの」
「うん」
「どう返したらいいか分かりません」
正直な答えだった。
家臣がまた吹き出した。
「正直すぎる」
「三歳児困らせてどうするんですか」
殿様は睨む。
「笑うな」
しかし、その顔にも少しだけ笑みが戻った。
八郎は言う。
「でも」
「?」
「殿様がいたからできましたよ」
「何?」
「市を許してくれました」
「商売を止めませんでした」
「寺も庄屋衆も動けました」
「……」
「だから、殿様が何もしてないわけじゃないと思います」
殿様は黙った。
そして、小さく息を吐く。
「本当に嫌な三歳児じゃ」
「え?」
「怒ろうと思っても怒れん」
家臣たちは笑った。
四千五百文。
ただの返済。
しかしその日、殿様は理解した。
銭より大きなものが動いている。
そして、それを動かしているのは――。
まだ母の布団で眠る三歳の子供だった。




