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1533年3月。8回目の市。手のひらをこれでもかと周囲が返してくる。市で甘味処は毎日。隣は天ぷら屋と甘味処を毎日追加

八回目の市。

 三月最後の大きな市の日だった。

 朝、八郎の家の前は、もう以前とはまったく違う景色になっていた。

「八郎様、おはようございます」

「だから様は……」

 八郎が言いかける前に、相手は笑う。

「もう諦めてください」

「……」

 米を持ってくる者。

 野菜を持ってくる者。

 卵を届ける者。

 帳面を確認しに来る者。

 借金返済の相談。

 寺市の相談。

 商人からの伝言。

 朝から人の出入りが止まらない。

 母はそれを見ながら呆れていた。

「なあ」

「はい、母上」

「うち、庄屋の家やんな?」

「そうですね」

「なんで毎朝こんな人来るん?」

「……」

「寺より人来てへん?」

 父が横で笑った。

「まあ、しゃあない」

「しゃあないで済ませる話ですか?」

「八郎が銭の流れ作ってもうたからな」

 父は帳面を見る。

「困ったらここに来る、になっとる」

「それがおかしいんです」

 母はため息をついた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 市は今回も大盛況だった。

 特に変化が大きかったのは甘味処。

「あの団子ないんか?」

「小豆の甘いやつ」

「子供が楽しみにしとるんや」

 次々と言われる。

 母と手伝いの女衆が顔を見合わせた。

「八郎」

「はい」

「これ……」

「毎日やった方がいいですね」

「やっぱり?」

 砂糖と小豆。

 最初は珍しさだけかと思っていた。

 しかし違った。

 甘い物を楽しみに来る人が生まれていた。

「利益だけじゃないですね」

 八郎は呟く。

「なんや?」

「楽しみができるって大事やなって」

 父が笑う。

「三歳児の言葉ちゃうぞ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夕方。

 隣の市から帰ってきた四郎兄と五郎兄。

 二人とも妙な顔をしていた。

「どうしました?」

 八郎が聞く。

 四郎兄が頭をかく。

「いや……」

「はい」

「なんか変な感じやった」

「?」

「向こうでな」

 四郎兄は苦笑した。

「八郎様のお兄様ですか、言われた」

「……」

「兄様なのに?」

「そうや」

 周りが笑う。

「弟の名前で呼ばれる兄の気持ち考えろ」

「すみません」

「いや、怒ってへん」

 四郎兄は笑った。

「むしろありがたい」

 そして続ける。

「あと向こうのまとめ役から言われた」

「何をです?」

「店、好きなだけ出していいって」

「……」

「もう一軒とか二軒とか言わんでいいって」

 父が驚く。

「そこまでか」

「ああ」

「八郎のところなら歓迎するって」

 八郎は少し考える。

「なら……市の日は魚のつみれ汁ですね」

「おお」

「ただ毎日は難しいです」

「手間か」

「はい」

「魚を見て、味を整える人を育てないと」

 そして続ける。

「毎日は天ぷらと甘味処を追加しましょう」

「甘味もか?」

「はい」

「甘味は女衆中心でできます」

「天ぷらは匂いで人を呼べます」

「つみれ汁は市の日の目玉」

 兄たちは顔を見合わせる。

「……」

「なんです?」

「いや」

 四郎兄が笑う。

「普通に店主と話してる気になる」

「三歳やぞ」

 五郎兄が突っ込んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夜。

 全員で飯を食べながら父が言った。

「しかし変わったな」

「何がですか?」

「風向きや」

 父は酒を少し飲む。

「最初は八郎が珍しい飯を作っただけやった」

「はい」

「でも今は違う」

 父は指を折る。

「商人が来る」

「寺が動く」

「庄屋衆が見る」

「隣の市まで話が行く」

「……」

「全部、情報や」

 八郎は黙って聞く。

「市っていうのは物だけ動く場所ちゃうんやな」

「はい」

「噂が動く」

「人が動く」

「信用が動く」

 父は笑った。

「そこが一番変わった」

 母が首を傾げる。

「どういうこと?」

「八郎が何か言わんでも」

 父は答える。

「商人が勝手に話を運ぶ」

「寺が伝える」

「市の客が広げる」

「……」

「もう八郎一人の話じゃなくなった」

 その言葉に少し静かになる。

 八郎は苦笑した。

「困りましたね」

「何がや」

「私は飯屋を大きくしたかっただけなんですけど」

 一瞬沈黙。

 そして全員が笑った。

「まだ言うか」

「飯屋が借金消すか」

「飯屋が市作るか」

「飯屋が庄屋衆まとめるか」

 兄たちに次々言われる。

 八郎は布団に入りながら小さく言った。

「でも飯を食べてもらうために始めたんですよ」

 母は頭を撫でる。

「そこだけは変わらんのやね」

「はい」

 父は帳面を見る。

 八回の市。

 たったそれだけ。

 だが領地の空気は完全に変わっていた。

「次は四月か」

 父が呟く。

「殿様への支払いの日やな」

 誰も言わなかった。

 だが全員が感じていた。

 もう八郎を見る目は、三歳児を見る目ではなくなっていた。

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