1533年3月。隣の庄屋衆の集まり。八郎の庄屋衆の勢いを目の当たりにした面々が八郎の傘下に入る話をする。
隣の庄屋衆の寄り合いは、いつもより重い空気だった。
囲炉裏を囲みながら、誰もすぐには口を開かない。
ようやく年長のまとめ役が息を吐いた。
「……もう見て見ぬふりはできんやろ」
周囲の庄屋たちが頷く。
「あっちは、もう借金が減り始めとる」
「ああ」
「最初は飯屋遊びやと思っとった」
別の庄屋が苦笑する。
「三歳の子が混ぜ飯売っとる、面白いな、ぐらいやった」
しかし今は違う。
混ぜ飯。
つみれ汁。
炒め飯。
天ぷら。
甘味。
湯浴み。
寺社市。
そして証文の買い取り。
「あっちは銭が回っとる」
その一言だった。
「うちはどうや」
沈黙。
「年貢払って、借りて、利を払って、また借りる」
「……」
「去年もそう。今年もそう。来年もそうや」
誰も否定できない。
「八郎殿のところは違う」
「三歳やぞ」
誰かが呟く。
だが返ってきた答えは冷静だった。
「三歳でも、できとる」
「……」
「大人のわしらができてへんことをな」
そして決まった。
「殿様に願い出る」
「八郎殿の庄屋衆と同じ仕組みに入れてもらう」
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数日後。
城。
殿は報告を聞いて、眉間に皺を寄せた。
「……何と言った?」
隣の庄屋衆まとめ役が頭を下げる。
「八郎殿のところと、同じ仕組みに入れていただきとうございます」
「つまり」
殿の声が低くなる。
「あの三歳児につくと言うのか」
空気が凍る。
「違います」
まとめ役は頭を下げたまま答えた。
「殿を裏切る話ではございません」
「なら何だ」
「生き残る話でございます」
「……」
殿の顔が険しくなる。
「わしでは無理だと言いたいのか」
誰も答えない。
それが答えだった。
「申せ」
殿が促す。
まとめ役は覚悟を決めた。
「では申し上げます」
「うむ」
「八郎殿のところでは、毎週証文が消えております」
「商人は怒るどころか、次の商いを求めて集まっております」
「寺には寄進が入り、民には仕事があります」
「湯浴みでは女衆にも銭が入ります」
「……」
「うちでは」
少し声が震えた。
「一生かかってもできません」
殿は何も言えなかった。
怒りたい。
三歳児に負けたなど認めたくない。
だが、報告は入っていた。
市の賑わい。
商人の往来。
寺社市。
消えていく借金。
全部本当だった。
「……」
しばらくして殿が呟く。
「八郎は何をしておる」
「飯屋でございます」
側近が答える。
「まだそんなことを言うか」
「本人がそう申しております」
「……」
「自分は飯屋だと」
殿は苦笑した。
「飯屋が領内の借金を消すか」
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庄屋衆が帰ったあと。
殿は一人、苛立っていた。
「次の支払いに来るのはいつだ」
「数日後かと」
「そうか」
机を指で叩く。
「あやつ、また普通の顔して銭を置いて帰る気か」
「おそらく」
「腹立つのう」
側近は黙る。
「わしが五万文出せと言った」
「はい」
「普通なら泣きつく」
「はい」
「なのに」
殿は苦い顔をする。
「五万文返すだけでは飽き足らず、周りの借金まで消しておる」
「……」
「嫌味か?」
「違うかと」
「分かっとる」
殿はため息をつく。
「だから余計腹が立つ」
八郎は責めていない。
反抗もしていない。
ただ淡々と問題を解決している。
だから責められない。
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一方。
その空気を、庄屋衆まとめ役は感じ取っていた。
城を出た帰り道。
仲間が聞く。
「どう見る?」
まとめ役は振り返る。
「殿様は焦っとる」
「怒ってたな」
「ああ」
「八郎殿、大丈夫か?」
少し考える。
「大丈夫や」
「なぜ?」
「八郎殿は殿様を倒そうとしてへん」
「……」
「ただ民を助けとる」
そして小さく笑った。
「だから怖いんや」
「?」
「刀で奪う者なら刀で止められる」
「うん」
「でもな」
まとめ役は遠くを見る。
「飯を食わせて、借金消して、仕事作る者を止めたら」
「……」
「止めた側が悪者になる」
誰も返せなかった。
「次の支払いの日やな」
「ああ」
「そこで流れが変わるかもしれん」
そう言って、庄屋たちは歩き出した。
領地の形が、静かに変わり始めていた。




