1532年11月下旬。八郎2歳11か月。売り上げた820文を仕入れと人件費、寄進を引く、母上にかかる負担を心配する。銭より仕組みを見る
家へ戻るころには、もう日が傾いていた。
市で使った荷物を降ろし、父上が腰につけていた銭袋を開く。
じゃらり。
板の上に銭が広がった。
兄たちの目が一斉に集まる。
「父上、どれくらい売れたんですか」
三郎兄様が聞いた。
父上は少し笑った。
「数えてみい」
兄たちが銭を数える。
一文。
二文。
十文。
百文。
そして。
「八百二十……」
四郎兄様の手が止まった。
「八百二十文!?」
家中が静かになった。
父上。
母上。
男兄弟八人。
全員が、その銭を見る。
「半日で……?」
「飯と汁だけで……?」
兄たちは信じられない顔だった。
無理もない。
農作業でこれだけの銭を得るのは簡単ではない。
それが市に出て半日。
漬物混ぜ飯と魚のつみれ汁。
それだけで八百二十文。
「八郎!」
五郎兄様が俺を見る。
「お前、本当にすごいな!」
俺は首を振った。
「まだです」
「まだ?」
「売上だけ見ても駄目です」
父上が笑う。
「出たな、八郎の帳面」
・・・・・・・・・・・・・・・
俺は銭を分け始めた。
「まず原価です」
「元手じゃな」
「はい」
米。
漬物。
味噌。
塩。
魚。
薪。
笹。
そして今回は場所と火を借りた銭。
「全部合わせて、二百八十文は戻しましょう」
「そんなにか」
兄様たちは少し驚いた。
「はい」
「家の米でも、魚でも、ただではありません」
「次も作るなら、必ず戻さないと駄目です」
父上が頷く。
「続けるためじゃな」
「はい」
・・・・・・・・・・・・・・・・
「次は手間賃です」
「また払うのか」
三郎兄様が言った。
「もちろんです」
「家族なのに?」
「家族だからこそです」
俺は答える。
「ただ働きだと思ったら続きません」
まず父上。
「場所の交渉、売り、全体を見る役」
「四十文です」
父上が苦笑した。
「わしにもか」
「はい」
次。
「母上」
「私?」
「はい」
「味を決めてくれました」
つみれ汁が売れたのは母上のおかげだ。
「四十文です」
母上は少し困った顔をした。
「そんなにもらっていいのかね」
「一番大事な仕事です」
兄たちが笑った。
「確かに母上がおらんかったら無理や」
「魚の臭い消したの母上やしな」
母上は照れた。
「三郎兄様、四郎兄様、五郎兄様」
「はい」
「荷運び、売り、火の管理」
「一人二十文です」
「二十文!」
三人が顔を見合わせる。
「そんなにもらえるんか」
「働いたので」
そして残りの兄たち。
「魚の準備、笹集め、下ごしらえ」
「合わせて二十文です」
合計。
「百六十文です」
銭を横に置く。
・・・・・・・・・・・
「そして」
俺は五十文を別にした。
「これは寺への寄進です」
父上は静かに頷いた。
もう理由は分かってくれている。
和尚様への恩。
そして村への信用。
自分たちだけ儲けていると思われないため。
「残りは」
計算する。
八百二十文。
引く二百八十。
引く百六十。
引く五十。
「三百三十文です」
「……」
「次の商いに使える銭です」
さらに。
「前回の百五十文があります」
俺は言った。
「合わせれば四百八十文」
その瞬間。
「おお!」
兄たちから声が上がった。
「すげえ!」
「もう少しで五百文や!」
「八郎、本当にすごいぞ!」
兄たちは大騒ぎだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三郎兄様が言った。
「これなら、もっとできるんじゃないか?」
「はい」
俺は頷いた。
「考えられることは増えました」
油。
鶏。
卵。
椎茸。
魚加工。
試したいことはいくつもある。
ただ。
「でも、急ぎすぎたら駄目や」
父上が言った。
俺を見る。
同じことを考えていたらしい。
「うまくいかない日もある」
「はい」
「天気もある」
「はい」
「魚が取れない日もある」
「そうです」
父上は兄たちを見る。
「八郎に頼りきってはいかん」
家の中が少し静かになる。
「商いは続けてこそじゃ」
そこで父上が話した。
「実はな」
「はい」
「今日、場所を貸してくれた者が言っておった」
兄たちを見る。
「定期的にやらんか、と」
「本当ですか!」
「毎日でもいいと言われた」
兄たちの目が輝く。
「やりましょう!」
「こんだけ稼げるなら!」
当然だった。
今まで見たことのない銭。
夢を見る。
でも。
「毎日は無理です」
俺が言った。
「なんでや八郎」
「人手です」
「人手?」
「はい」
俺は母上を見る。
「一番大変なのは母上です」
母上が驚く。
「私?」
「はい」
朝から飯を炊く。
漬物を刻む。
魚を整える。
味を作る。
売る。
片付ける。
「これを毎日は倒れます」
兄たちは黙った。
確かにそうだった。
「売れるから増やす、では駄目です」
俺は続けた。
「続けられる形を作らないと」
父上が笑った。
「二歳半に言われるとはな」
兄たちも笑う。
「ではどうする、八郎」
父上が聞いた。
「まず週一回」
俺は答えた。
「慣れます」
「それから?」
「人を増やします」
「雇うのか」
「はい」
「料理できる人、魚を処理できる人、運べる人」
家族だけでは限界がある。
「商いにするなら、人が必要です」
父上は腕を組んだ。
「そこまで考えておるか」
「まだ途中です」
そう言うと、みんな笑った。
でも、俺は本気だった。
八百二十文。
大金だ。
でも本当に得たものは銭ではない。
売れるという証明。
家族の信用。
そして次へ進むための一歩。
八郎の小さな飯売りは、少しずつ形を変えようとしていた。




