表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/227

1533年3月。3月2度目の市。「普通」のありがたさ。誰も今のところ大きな病気をしていないことに感謝。

 三月二度目の市。

 大きな騒ぎもなく、一日は終わった。

 以前なら、それだけで「普通の日」だった。

 だが今の八郎の家では、その普通こそが大きな成果だった。

 夜。

 帳面を閉じた八郎は、小さく息を吐いた。

「ありがたいですね」

 父が首を傾げる。

「何がや?」

「皆さんが元気でいてくれることです」

「……?」

「何言うとるんや」

 兄たちが笑う。

「いや、本当にですよ」

 八郎は真面目な顔だった。

「今、当たり前みたいに市をやってますけど」

「おう」

「誰か一人でも熱を出したら変わります」

「……」

「母上が倒れたら、マグロも味付けも止まります」

 母が苦笑する。

「縁起でもないこと言わんの」

「でも本当です」

「……」

「三郎兄様が風邪を引いたら、つみれ汁を見る人がいません」

「あー」

「四郎兄様、五郎兄様が動けなかったら隣の市との付き合いが止まります」

「まあな」

「一郎兄様、二郎兄様が動けなかったら農作業も水車も止まります」

 父が腕を組む。

「……」

「だから」

 八郎は笑った。

「予定通りに物事が動くって、すごいことなんです」

 その場が静かになる。

 そして三郎が吹き出した。

「ほんま、お前何歳や」

「三歳です」

「三歳児が、人が元気でいてくれるありがたさ語らんやろ」

 みんな笑った。

 しかし父だけは少し真剣だった。

「でもな」

「はい」

「八郎の言うことは分かる」

「……」

「最初は家族だけやった」

「はい」

「今は違う」

 父は指折り数える。

「店」

「湯浴み」

「隣の市」

「農作業の手伝い」

「はい」

「もう八郎一人が頑張ったら回る話ちゃう」

「そうです」

「みんながおって初めて回る」

 八郎は頷いた。

「だから、人を増やしたかったんです」

「……」

「銭は大事です」

「うん」

「でも銭だけ追いかけたら、多分誰か倒れます」

 母が優しい顔をした。

「ほんまに……」

「?」

「よう見てるねえ」

 その夜。

 八郎はいつものように母の布団に潜り込んだ。

 布団は新しい。

 柔らかく、暖かい。

「母上」

「ん?」

「少し、道は見えてきました」

「何の?」

「借りです」

「……」

「父上たちの庄屋衆の分は、多分なんとかなります」

 母は黙って聞く。

「今の流れなら」

「うん」

「湯浴み」

「市」

「漬物」

「うん」

「飯屋」

「うん」

「全部合わせたら、時間はかかりますけど返せると思います」

「そう」

「ただ」

「?」

「隣の庄屋衆までは、まだ分かりません」

 母は少し笑った。

「八郎」

「はい?」

「あんた今どこで寝てる?」

「?」

「お母さんの布団」

「……」

「まだ、お母さんの布団で寝てる子が」

 母は八郎の頭を撫でた。

「庄屋衆二つ分背負わんでええの」

「でも」

「でもじゃない」

「……」

「十分頑張ってる」

「……」

「そこから先は、お父さんたち大人の仕事」

 その時、横で聞いていた父が苦笑した。

「いや」

「あなた?」

「正直な」

「うん」

「もう八郎がおらんと回らんぞ」

「父上」

「ほんまや」

 父は天井を見る。

「考えてみい」

「?」

「最初はうちだけやった」

「はい」

「それが庄屋衆」

「はい」

「隣の庄屋衆」

「はい」

「市」

「職人」

「漁師」

「はい」

「もう何人関わっとるんや」

「……」

「全部解決したらな」

 父は笑う。

「三千石分ぐらい、八郎についてくることになるぞ」

「そんな大げさな」

「大げさちゃう」

「いやいや」

「今でもや」

 父は指を立てる。

「仕事くれる」

「……」

「銭を回してくれる」

「……」

「借りを返す道を作ってくれる」

「……」

「そんな相手、普通の民なら誰についていくと思う?」

 八郎は黙る。

「でも領主様がいます」

「もちろんや」

「はい」

「だから怖いんや」

「?」

「領主様より民に近いところに八郎がおる」

「……」

「和尚様も言うてたやろ」

 八郎は布団の中で小さく頷く。

「しかも」

 父が苦笑する。

「これで終わりちゃうんやろ?」

「……」

「まだ考えとる顔や」

「少しだけです」

「ほらな」

 母が笑う。

「何考えてるの?」

「まだ秘密です」

「あら」

「失敗するかもしれないので」

 父が大笑いした。

「三歳児が失敗を考えて動くな」

「大事です」

「そこがおかしいんや」

 しばらく笑い声が続いた。

 だが父は最後に静かに言った。

「八郎」

「はい」

「大きくなりすぎたら気をつけろ」

「……」

「人が集まるということは」

「はい」

「敵もできる」

「分かっています」

「ならええ」

 母は八郎を抱き寄せる。

「でも今日は寝なさい」

「はい」

「まだ三歳なんだから」

「……はい」

 銭を稼ぐ。

 仕事を作る。

 人を救う。

 その小さな積み重ねは――

 八郎自身も気づかないほど、大きな流れになり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ