1533年3月。3月1回目の市の前、隣の市での追加出店許可がでる。次はつみれ汁かと思いきや天ぷら。
三月に入って最初の市を迎える前日のことだった。
夕飯の後、五郎兄様が少し笑いながら八郎のところへ来た。
「八郎」
「はい?」
「隣の市の話やけどな」
「何かありました?」
「もう一軒出してええって」
八郎の手が止まる。
「本当ですか?」
「ああ」
四郎兄様も頷いた。
「ただしやで」
「はい」
「毎日店を構えるとか、いきなり大きくやるんは無理や」
「でしょうね」
「市の日に一軒増やすぐらいならええって話や」
八郎はほっと息を吐いた。
「十分です」
「十分なんか?」
「十分すぎます」
五郎兄が笑う。
「向こうの顔役も言うてたぞ」
「何をです?」
「最初は怪しいと思ってたって」
「まあ、そうでしょうね」
「急に別の村から来た奴らが飯売ります言うてもな」
「はい」
「でも毎回来て」
「はい」
「ちゃんと場所代も払って」
「はい」
「買い物もして」
「はい」
「寄進もして」
「はい」
「まあ、一軒ぐらいならええやろって」
八郎は笑った。
「良かったです」
「で?」
「?」
「何出すんや?」
三郎兄様が口を挟む。
「そろそろ、つみれ汁か?」
「違います」
「違うんか?」
「はい」
三郎兄様が驚く。
「だいぶ安定してきたやろ?」
「してきました」
「なら」
「だからです」
「?」
「今、三郎兄様が見てるから安定してるんです」
「……」
「弟子だけでできますか?」
三郎は少し考える。
「……まだ怖いな」
「ですよね」
「味見るところがな」
「はい」
「火を通すだけならできるけど」
「そこです」
八郎は頷く。
「つみれ汁は簡単そうに見えて難しいです」
「そうやな」
「下魚の状態も違います」
「うん」
「味噌の量も変わります」
「うん」
「だから、もう少し弟子を育ててからです」
父が聞く。
「じゃあ何するんや?」
「天ぷらです」
「天ぷら?」
みんなが顔を見る。
「油高いやろ?」
「高いです」
「なら儲からんやろ」
「そこだけ見たらそうです」
「?」
「でも、作業が簡単です」
八郎は説明する。
「魚や野菜を切る」
「うん」
「衣をつける」
「うん」
「揚げる」
「うん」
「塩で出す」
「……」
「味の調整が少ないです」
三郎兄様が「ああ」と声を出す。
「なるほどな」
「はい」
「つみれ汁みたいに最後の味を見る必要が少ないんか」
「そうです」
「だから弟子でも出しやすい」
「はい」
父が感心する。
「そこを見るんか」
「店を増やすなら、人ができるものじゃないと駄目です」
「……」
「母上しかできない」
「うん」
「三郎兄様しかできない」
「うん」
「それは広げられません」
「ほんま三歳児ちゃうな」
母が笑う。
「でも油どうするん?」
「そこなんですが」
「うん」
「できれば向こうの市で買います」
「え?」
「持っていかないんか?」
「はい」
「なんで?」
「向こうに銭を落とすためです」
また全員が黙る。
「……」
「うちの商品を売るだけなら嫌われます」
「まあな」
「銭だけ持って帰ることになります」
「そうやな」
「でも向こうで油を買う」
「うん」
「野菜を買う」
「うん」
「薪を買う」
「……」
「そうしたら向こうの商人さんも儲かります」
五郎兄様が笑う。
「だから許してもらいやすくなるんか」
「はい」
「店増やすために仕入れまで考えるんか」
「大事です」
「ほんま采配がおかしいわ」
四郎兄様も笑った。
「三歳児が市同士の付き合い考えとる」
「からかわないでください」
「いや褒めとる」
「絶対違います」
翌日。
三月最初の市。
いつもの店に加え、隣の市では新しく天ぷらが並んだ。
最初は客も珍しそうに見る。
「なんやこれ?」
「魚か?」
「揚げてます」
「揚げる?」
「油で火を通してます」
「油なんか使うんか」
「だからちょっとだけ高いです」
最初は警戒された。
だが。
一人が食べる。
「……」
「どうです?」
「熱っ」
「すみません」
「いや」
男はもう一口食べる。
「うまい」
そこから少しずつ売れ始める。
爆発的ではない。
でもいい。
八郎は最初からそれを狙っていなかった。
店を出すこと。
信用を作ること。
弟子が経験すること。
それが目的だった。
夕方。
片付けをしながら三郎兄様が笑う。
「八郎」
「はい?」
「お前、ほんま怖いわ」
「何がですか」
「飯売ってるようで飯売ってへん」
「?」
「人育ててる」
「……」
「市と仲良くしてる」
「……」
「次の準備してる」
八郎は首をかしげる。
「普通ですよ」
「普通ちゃう」
周りが一斉に言った。
帰り道。
荷車を押しながら父が笑う。
「また一歩進んだな」
「はい」
「でも」
「?」
「次は何考えとる?」
八郎は少し黙る。
「……」
「あるんやな」
「少しだけ」
「やっぱりか」
家族は笑う。
そして誰かが呟いた。
「ほんま八郎様様やな」
八郎は慌てる。
「やめてください」
「なんで?」
「殿様に聞かれたら怒られます」
その言葉でまた皆が笑った。
三歳児の小さな商いは。
もう、ただ飯を売るだけのものではなくなっていた。




