1553年2月。2月7度目の市~3月頭まで。領主に5万文のうちの2,500文を返済。領主会いたくないから隠れる。
二月七度目の市が終わった夜。
帳面を囲んで、家族はいつものように集まっていた。
「さて」
八郎が筆を持つ。
「今回の市ですが」
「また増えたな」
父が苦笑する。
「親鳥やろ?」
「あれは試しです」
「お前の試しは怖いんや」
三郎兄も笑う。
「試し言うて、気付いたら店になっとるからな」
「今回は違います」
八郎は首を振った。
「本当に?」
母まで疑う。
「母上まで」
「だって八郎やもの」
家中が笑う。
八郎は少し困った顔で帳面を見る。
「今回は……親鳥は止めます」
「え?」
意外そうな顔が並ぶ。
「やらんのか?」
「やりません」
「うまかったぞ?」
「はい」
「売れると思うぞ?」
「思います」
「ならなんでや?」
父が尋ねる。
八郎は母を見る。
「母上の手が足りません」
「……」
「今でもマグロの味付け、つみれの確認、混ぜ飯、弟子への指導」
「うん」
「そこへ親鳥まで増やしたら」
「……」
「母上が倒れます」
母は少し驚いた顔をした。
「八郎……」
「銭を作るために、家族が倒れたら意味ないです」
父がゆっくり頷く。
「そこ見えてるなら安心やな」
「まず人を育てます」
「うん」
「マグロを任せられる人」
「うん」
「つみれ汁を安定して作れる人」
「うん」
「そこができてから親鳥です」
三郎兄が笑う。
「三歳児が人材育成言うな」
「必要です」
「分かっとるのが怖いんや」
そして収支確認に移る。
「今回は全部合わせて」
八郎が数字を書く。
「三千四百文ほど増えています」
「……」
「もう驚かなくなってきた自分が怖いわ」
父がため息をつく。
「最初は千文で大騒ぎしてたのにな」
「でも」
八郎は言う。
「今回は浮かれません」
「ほう」
「月末があります」
「ああ」
「湯あみの収入も入ります」
「うん」
「でも殿様への支払いがあります」
空気が少し締まる。
「二千五百文か」
「はい」
「前の二千文と合わせて四千五百文」
「残り四万五千五百文です」
「……」
「まだまだです」
父が笑う。
「普通は四千五百文払えた時点で大騒ぎやぞ」
「でも五万文ですから」
「ほんま真面目やな」
「約束しましたから」
八郎は静かに言った。
その後の一週間。
八郎は珍しく新しいことを増やさなかった。
朝は家の仕事。
昼は寺子屋。
夕方は帳面。
和尚はそれを見て笑う。
「珍しいな」
「何がです?」
「何も増やさん一週間」
「僕を何だと思ってるんですか」
「騒動の種」
「ひどいですね」
「事実や」
和尚は笑った。
「ただ、今回は正しい」
「はい」
「広げるだけなら誰でもできる」
「畳まんようにする方が難しい」
「そう思います」
八郎は頷いた。
「今は根を張る時です」
「……」
和尚は苦笑する。
「三歳児の口から出る言葉ちゃうな」
そして三月。
約束の日。
八郎、父、和尚の三人は城へ向かった。
銭袋には二千五百文。
そして和尚が書いた証文。
「これで合わせて四千五百文になります」
八郎は城門で告げた。
しかし。
「すまんな」
取次の侍が困った顔をする。
「殿は今忙しい」
「そうですか」
「今日は会えぬ」
父の表情が少し固まる。
だが八郎は普通に頷いた。
「では、これをお願いします」
「よいのか?」
「はい」
「二千五百文です」
「……」
「証文もあります。受け取りを書いていただければ」
侍は驚く。
「本当に持ってきたのか」
「約束ですから」
和尚が横で静かに見ていた。
「ではお願いします」
三人はそのまま帰った。
しばらくして。
奥から殿が出てきた。
「帰ったか?」
「はい」
「怒っとったか?」
「いえ」
「……」
「普通に二千五百文置いて帰りました」
「そうか」
殿は銭袋を見る。
ずしりと重い。
「……ほんまに返してきよるな」
家臣は頷く。
「はい」
「普通、文句の一つも言うと思ったんやがな」
「ありませんでした」
「そうか」
殿は苦笑する。
「あいつ、分かっとるんかな」
「何をです?」
「わしが少し拗ねとることや」
家臣は困った顔をする。
「殿……」
「いや、分かっとる」
殿はため息をつく。
「あの小僧、民から慕われて、庄屋から頼られて、銭まで作る」
「はい」
「わしの立場ないやろ」
「……」
「でもな」
殿は銭袋を見る。
「こうやって払われると怒れん」
「でしょうな」
「約束守っとるからな」
「はい」
「しかも無理して一気に払わん」
「はい」
「毎回、証文つけて」
「はい」
「堅実や」
家臣が言う。
「おそらく殿をどうこうしようとは考えてないでしょう」
「ほんまか?」
「はい」
「ただ領地を良くして、約束した銭を返しているだけかと」
殿は黙る。
そして苦笑した。
「三歳児に、わしが勝手に焦っとるだけか」
「……」
「情けない話やな」
外を見る。
「あいつ、このままいったら本当に領地変えるぞ」
「でしょうな」
「その時、民は誰を見るんやろな」
家臣は答えなかった。
殿自身も、その答えを少し分かっていたからだった。




