1533年2月。市の翌日。和尚様と八郎のやりとり。来週の市が終わればお殿様に2500文返済に行きます。
市の次の日。
八郎はいつものように寺へ向かった。
昔のように毎日寺子屋で文字を習う時間は減った。
だが、和尚とは変わらず顔を合わせている。
むしろ最近は、読み書きよりも大きな相談ばかりになっていた。
「和尚様」
「おう、八郎か」
和尚様は笑った。
「今日は何や。また村がひっくり返る話か?」
「そんな毎回ありませんよ」
「お前が言うても説得力ないわ」
そう言われ、八郎は苦笑した。
まず、いつものように寺への寄進を済ませる。
和尚は受け取りながら聞いた。
「それで、市はどうやった?」
「順調です」
「ほう」
「ただ今回は銭を使いました」
「珍しいな」
「布団を買いました」
「布団?」
「はい。家族十人分です」
和尚の手が止まる。
「十人分?」
「はい」
「……いくらや?」
「四千五百文です」
「……」
和尚は目を細めた。
「八郎」
「はい」
「お前、三歳児が言う金額ちゃうぞ」
「よく言われます」
「やろうな」
和尚は笑った。
「しかし家族に使ったか」
「はい」
「それはええ」
和尚は静かに頷く。
「銭は貯め込むだけでは腐るからな」
「そう思いました」
「で、どうや。新しい布団は」
八郎は少しだけ視線を逸らした。
「……暖かいです」
「ほう」
「母上と一緒に寝ています」
一瞬、和尚様は固まった。
そして大笑いした。
「はははは!」
「なんですか」
「いや、安心した」
「安心?」
「そこは三歳児なんやな」
「三歳児です」
「いや、お前の場合たまに忘れる」
和尚は腹を抱える。
「五万文の返済計画を立てる三歳児が、母親の横で寝るか」
「何かおかしいですか」
「いや、それでええ」
和尚は優しい顔になった。
「そこは忘れるな」
そして話は帳面に移る。
「それで今、手元はいくらある?」
「一万一千七百文ほどです」
「……」
和尚がまた止まる。
「そんなにあるんか」
「あります」
「布団買って?」
「はい」
「人増やして?」
「はい」
「湯あみ増やして?」
「はい」
「……ほんま恐ろしいな」
和尚はため息をついた。
だが八郎は首を振る。
「でも全部使える銭ではありません」
「分かっとるならええ」
「次の週の市を二回終えたら、殿様へ二千五百文持って行こうと思っています」
「ほう」
「前回が二千文でしたから」
「少し増やすか」
「はい」
「理由は?」
「湯あみを増やしたことも、多分耳に入っています」
和尚は頷いた。
「入っとるやろな」
「それなのに銭を渡さず、また新しいものを作ると……」
「また何か買ったと思われるな」
「はい」
和尚は少し考えた。
「それはありやと思う」
「ですか」
「ああ」
和尚は茶を飲む。
「五万文を一気に叩きつけるのは、気持ちはええかもしれん」
「はい」
「でも、それは相手からしたら重い」
「重い?」
「そうや」
和尚は続ける。
「三歳児が、はい五万文です、と持ってくる」
「はい」
「殿の面目はどうなる?」
「……」
「前より苦しくなるかもしれん」
八郎は黙って聞く。
「それより、少しずつ払う」
「はい」
「約束は守る」
「はい」
「けれど無理している姿も見せる」
「なるほど」
「その方がええ」
和尚は笑う。
「お前はすぐ全部解決しようとする」
「そうですか?」
「そうや」
即答だった。
「隣の商家衆の二十万文の話もあるんやろ」
「あります」
「領地全体も見るんやろ」
「見たいです」
「湯あみも増やす」
「はい」
「市も広げる」
「はい」
「農具も作る」
「はい」
「……ほらな」
「何がですか」
「多すぎる」
和尚は笑った。
「周りはお前に期待する」
「……」
「八郎なら何とかしてくれると思う」
「はい」
「でもな」
和尚は真剣な顔になる。
「そこで浮いたらあかん」
「浮く?」
「自分なら全部できると思った瞬間、足元を見る者がおらんようになる」
「……」
「今のお前はええ」
和尚様は言った。
「銭を数えて、人を見て、できることからしている」
「はい」
「そのまま地に足つけろ」
八郎は頷いた。
「分かりました」
「隣の市は?」
「まず継続ですね」
「うむ」
「炒め飯屋が続くか」
「つみれ汁を出せるか」
「弟子を増やせるか」
「順繰りです」
和尚は満足そうに笑った。
「それでええ」
「焦っても仕方ありませんし」
「よう分かっとる」
そして八郎は言う。
「なので、次のお殿様への支払いの時もお願いします」
「何をや?」
「証文です」
「またか」
「はい。二千五百文払いました。残りいくらです、という形で」
和尚は笑った。
「ほんま抜け目ないな」
「大事です」
「分かっとる」
和尚様は頷いた。
「書いたる」
「ありがとうございます」
「しかしな」
「はい?」
「三歳児相手に証文を書いて、殿への返済管理する日が来るとは思わんかった」
「僕も思いませんでした」
「嘘つけ」
和尚は笑う。
「お前、絶対どこかで考えとったやろ」
「……少しだけ」
「ほらな」
寺に笑い声が響いた。
領地を変える大きな流れ。
でも今日の八郎は、新しい布団で母の横で眠る三歳児でもあった。




