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1022/1033

1537年。10月4週目。八郎様が倒れたら全部止まります。

十月四週目。

 有馬。

「いやあ」

 八郎は。

 湯から上がると。

 大きく。

 息を吐いた。

「ええ湯でしたねえ」

「随分」

「長う入っておられましたね」

「気持ちよかったですから」

 火照った身体のまま。

 八郎は。

 畳の上へ。

 ごろんと横になった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「八郎様」

「はい?」

「こちらへ」

 夏姫が。

 自分の膝を。

 軽く叩く。

「ええんです?」

「どうぞ」

「ほな」

 八郎は。

 遠慮なく。

 頭を乗せた。

「極楽ですねえ」

 別の姫が。

 団扇で。

 ゆっくり。

 風を送ってくれる。

「これ」

「もう動きたくなくなりますね」

「たまには」

「それでよろしいのです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ほんま」

 八郎は。

 天井を見ながら言った。

「平和ですねえ」

「前線は」

「騒がしいですが」

「それはそうなんですけど」

 少なくとも。

 今。

 この有馬では。

 湯が湧き。

 飯があり。

 人が笑っている。

「こういうところ」

「増えたらええですね」

「八郎様」

「はい?」

 夏姫が。

 少し。

 真面目な声になる。

「いよいよ」

「京が近づいております」

「そうですね」

「そこで」

「一番気を付けねばならぬこと」

「分かっておられますか?」

     ◇

 八郎は。

 少し考えた。

「そら」

「いろんな家との関係でしょう」

 細川。

 三好。

 足利将軍家。

 六角。

 比叡山。

 朝倉。

「誰が」

「どっちにつくとか」

「そういう――」

「違います」

「え?」

「八郎様の」

「御身体です」

・・・・・・・・・・・・・・

「……僕?」

「はい」

「いや」

「僕より」

「軍の方が」

「八郎様」

「はい」

 夏姫は。

 八郎の額を。

 軽く。

 指で押した。

「八郎様が倒れたら」

「この傘」

「どうなります?」

「兄様方おるでしょう」

「おります」

「ほな」

「大丈夫ちゃいます?」

「大丈夫ではございませぬ」

・・・・・・・・・・・・・・

 今の。

 八郎家。

 八郎商会。

 九州。

 四国。

 中国地方。

 播磨。

 摂津。

 和泉。

 そこまで。

 広がった。

 巨大な傘。

「確かに」

「お兄様方も」

「優秀でございます」

「でしょう?」

「ですが」

 商会を。

 残すことと。

 この巨大な領地を。

 一つにまとめ続けることは。

 別。

「八郎様が」

「旗を振っておられるから」

「皆」

「同じ方向へ向いております」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「でも」

「兄様ら」

「仲ええですよ?」

「内々は」

「そうでしょう」

「なら」

「大丈夫では?」

 夏姫が。

 小さく笑った。

「八郎様」

「家の中だけで」

「世の中は」

「決まりませぬ」

 婚姻した家。

 国人。

 商人。

 寺社。

 旧領主。

 周囲には。

 様々な者がいる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「当主が替われば」

「この機会に」

「自分の取り分を増やそう」

「そう考える者も」

「出てまいります」

「そんなもんです?」

「そんなものです」

 大友家。

 尼子家。

 大内家。

 それぞれ。

 事情がある。

「うちの家も」

「絶対に何も考えぬ」

「とは申しませぬよ」

「正直ですね」

「そこは」

「正直に申しておきます」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「今が」

「少し異常なのです」

「異常?」

「はい」

 土地を取ったのに。

 取れるだけ取らない。

 借金を返す。

 市場を作る。

 道を直す。

 飯を豊かにする。

「普通なら」

「もっと」

「取れるものを」

「取ります」

「でも」

 八郎が言う。

「取らへんから」

「みんな入ってきてくれてるんでしょう?」

「その通りです」

「ほら」

「ですが」

 夏姫が。

 八郎の髪を。

 軽く撫でる。

「それは」

「表裏一体です」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎がいるから。

 その方針が続く。

 八郎がいるから。

「全部奪われるわけではない」

 と。

 周囲も信じる。

「八郎様がおられなくなれば」

「次も同じとは」

「誰にも分かりませぬ」

「……なるほど」

 八郎は。

 少し。

 黙った。

・・・・・・・・・・・・

「姫路を」

「これからも」

「拠点にされるのか」

「それとも」

「東へ移されるのか」

「それも」

「いずれ考えねばなりませぬ」

「京都近くなりましたからねえ」

「ですが」

「その前に」

「無理をなさらぬことです」

 寝る。

 食べる。

 身体を冷やさない。

「風邪を」

「引かぬことです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「そこ?」

「そこです」

「もっと」

「天下国家の話かと」

「天下国家も」

「七歳児が風邪を引けば」

「止まります」

 三郎が。

 横から笑った。

「それはほんまやな」

「兄さんまで」

「お前」

「働きすぎやねん」

・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎は。

 夏姫の膝の上で。

 少し。

 身体を丸めた。

「でも」

「まだやること」

「いっぱいありますよ」

「明日やればよろしいのです」

「でも」

「今日しかできんことも」

「今日」

「休むことも」

「仕事でございます」

「……」

「八郎様?」

「それ」

「便利な言葉ですね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夏姫が。

 笑う。

「では」

「今日は」

「早う休みましょう」

「そうします?」

「はい」

「寒くならぬよう」

「お布団も」

「温めておきます」

 八郎が。

 少し笑った。

「ほな」

「一緒に寝ます?」

「八郎様が」

「ちゃんと寝られるなら」

「そばにおりますよ」

「ありがたいですねえ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 湯上がり。

 温かい布団。

 静かな夜。

 遠くでは。

 兵が動き。

 京では。

 政治が動いている。

 それでも。

 今夜ぐらいは。

 何も考えず。

 眠ってもいい。

・・・・・・・・・・・・・・

「八郎様」

「はい?」

「お身体を」

「一番大事になさってください」

「分かりました」

「ほんまです?」

「多分」

「多分では困ります」

「努力します」

「それなら」

「よろしいです」

 十月四週目。

 天下の行方より。

 まず。

 七歳の当主を。

 風邪から守る。

 今の八郎家にとって。

 案外。

 それが。

 一番大事な仕事なのかもしれなかった。

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