1537年。11月1週目。八郎様がいなくても
十一月一週目。
姫路。
いつもの。
帳面合わせの日。
ただし。
今日は。
いつもと。
少し違った。
「八郎様は?」
「まだ有馬です」
「姫君方も?」
「ご一緒です」
「……」
帳面役たちが。
顔を見合わせた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「では」
「どうします?」
「どうするも何も」
古参の帳面役が言った。
「合わせますよ」
交易。
市。
旅。
宿。
八大都市。
石見銀山。
新しく入った領地。
軍費。
金額は。
もはや。
昔とは。
比べ物にならない。
「今週分」
「こちらです」
「はいはい」
その時だった。
「……はいはい?」
・・・・・・・・・・・・・・・・
古参の帳面役が。
顔を上げた。
「何です?」
「いや」
部屋を見る。
何となく。
空気が。
軽い。
八郎がいる時なら。
一つ数字が合わなければ。
全員で確認する。
ところが。
今日は。
「まあ」
「八郎商会も大きなりましたから」
「多少は」
「後で合わせても――」
「待て」
帳面役の声が。
低くなった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「これ」
「いくら動いてるか」
「分かってるか?」
「もちろん」
「お前が」
「一生かかっても触れん銭やぞ」
「……」
「わしもや」
何億文。
何十億文。
最近では。
当たり前のように。
帳面の上を。
通り過ぎる。
だから。
感覚が。
少しずつ。
麻痺している。
「八郎様が」
「おらんからって」
「緩んでええ会ちゃうぞ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「でも」
「この利益」
「我らが作ったものでも――」
「違うやろ」
普段なら。
そこまで。
強く言われない。
「お前一人の成果ちゃう」
鹿児島で。
働く者。
熊本。
博多。
山口。
高松。
出雲。
姫路。
船を動かす者。
飯を作る者。
鉱山を掘る者。
兵として。
街道を守る者。
「全部合わせた結果を」
「わしらが」
「預かってるんや」
・・・・・・・・・・・・・・
室内が。
静かになった。
「八郎様が」
「座ったら締まる」
「それは分かる」
「でも」
八郎が。
毎週。
ここにいなければ。
きちんと。
帳面を合わせられない。
「そんな商会」
「でかくなったら」
「いつか崩れるぞ」
「……」
「八郎様を」
「いつまで」
「全部の仕事に座らせる気や」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは。
誰にも。
反論できなかった。
「仕組みにせなあかん」
担当が。
確認する。
別の者が。
再確認する。
不自然な数字は。
必ず。
上へ上げる。
「八郎様がおらんでも」
「同じようにやる」
「そこまでできて」
「初めて八郎商会やろ」
一人が。
姿勢を正した。
「……すみません」
「わしもや」
「気ぃ抜けてました」
・・・・・・・・・・・・・・・・
そこから。
帳面合わせは。
空気が変わった。
「この荷代」
「先週より高くないか?」
「船が増えてます」
「確認しといて」
「はい」
「ここの市」
「売上増えすぎてるぞ」
「新しく二村入りました」
「なら注記しといて」
一つずつ。
いつも通り。
いや。
いつも以上に。
確認していった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……これ」
最後に。
古参の帳面役が。
小さく息を吐いた。
「由々しき問題やな」
「何がです?」
「八郎様がおらんだけで」
「ちょっと緩んだことや」
今日は。
気付いた。
だから。
直せた。
「でも」
「これからもっと」
「大きくなったら?」
誰も。
答えなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一方。
帳面役たちが。
そんな危機感を。
抱いている頃。
摂津では。
八郎軍が。
さらに。
前へ出ていた。
残っていた。
三万五千石ほどの。
三束。
周辺の村は。
すでに。
次々と。
八郎側へ寄っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「米が来ません!」
「薪も!」
「村から人足も出ませぬ!」
取り残された。
細川・三好方の砦。
そこへ。
八大都市から回された。
八郎軍が。
押し寄せる。
「無理に攻めるな!」
「道を押さえろ!」
「補給を切れ!」
前には。
大軍。
後ろには。
味方してくれない村。
これでは。
長くは。
もたない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一つ。
白旗。
また。
一つ。
「降ります!」
「武器置いてください!」
「命は?」
「取らんでええ!」
そして。
十一月一週目。
ついに。
摂津に残っていた。
三束ほどの地域が。
ほぼ。
八郎側へ。
収まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし。
三好・細川の兵が。
消えたわけではない。
「下がれ!」
「山城へ!」
戦死した兵より。
撤退した兵の方が。
はるかに多い。
京都。
山城方面へ。
兵が。
集まっていく。
結果。
「兵の数」
「増えてへんか?」
京都周辺の住民が。
不安そうに。
兵を見るようになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
兵が。
集まれば。
飯がいる。
米がいる。
薪がいる。
馬。
草。
宿。
荷車。
「これを出せ」
「またですか?」
「戦支度だ」
「この前も出しましたやん」
「今度は八郎軍が」
「すぐそこまで来ておる!」
それを聞いた。
村人たちの顔が。
さらに曇った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……また取られるんか」
「しゃあないやろ」
「何がしゃあないねん」
「でも八郎が来るぞ」
「来るいうても」
一人が。
小さな声で言った。
「八郎さんとこ入った村」
「借金まで見てもろてるんやろ?」
「らしいな」
「向こうは米取るどころか」
「最初に米持ってくるとか」
「……」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「わしら」
「誰のために戦うんや?」
将軍。
細川。
三好。
八郎。
そんな。
大きな名前より。
村人にとって。
大事なのは。
明日の飯だった。
「八郎を止めるため」
「米出せ言われてもな」
「止めた後」
「わしらの暮らし」
「良うなるんか?」
誰にも。
分からない。
・・・・・・・・・・・・・・
細川・三好側も。
同じように。
苦しんでいた。
「このままでは」
「本当に全部飲まれるぞ」
「将軍様に」
「もっと強く動いていただくしかない」
「諸家へ」
「もう一度書状を」
だが。
兵を集めるたび。
現地から。
米を集める。
人を集める。
荷を集める。
そうすれば。
人心は。
少しずつ。
離れていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
十一月一週目。
八郎は。
有馬にいた。
それでも。
帳面は。
合わせられた。
摂津も。
取れた。
軍も。
動いた。
それは。
八郎家が。
八郎一人のものから。
少しずつ。
組織へ。
変わり始めている証でもあった。
同時に。
八郎がいなければ。
ほんの少し。
気が緩む。
そんな。
危うさも。
初めて。
表へ出た。
「これは」
帳面役は。
最後に。
閉じた帳面を見つめた。
「八郎様に」
「報告せなあかんな」
京都が。
目の前へ。
近づく中。
八郎家自身もまた。
次の形へ。
変わらなければならない時期に。
入り始めていた。




