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1018/1033

1537年10月3週目。ゴマダレと変わらぬ心根

十月三週目。

 姫路。

 食品研究を任されている者たちが。

 八郎のところへ。

 何やら。

 小さな鉢を持ってきた。

「八郎様」

「はい?」

「新しいものができました」

「またですか?」

「八郎様が作れと申されたので」

「それ言われたら何も言えませんね」

・・・・・・・・・・・・・・・・

 鉢の中には。

 少し。

 とろりとした。

 茶色がかったたれ。

「何です?」

「胡麻でございます」

 胡麻を。

 炒る。

 そして。

 すり鉢で。

 何度も。

 何度も。

 擦る。

 細かくなるにつれ。

 胡麻から。

 ほんのり。

 油がにじむ。

「そこへ」

 昆布のだし。

 そして。

 垂味噌。

 それを。

 少しずつ合わせる。

「なるほど」

 八郎が。

 指先に。

 少し付ける。

「濃いですね」

「はい」

「でも旨い」

・・・・・・・・・・・・・・・・

「あと」

 料理人が。

 柑橘を。

 少し絞った。

「お」

 香りが。

 ふわっと。

 変わった。

「これええですね」

「酸っぱくなりすぎぬ程度なら」

「香りが立ちます」

「なるほどなあ」

 三郎も。

 少し舐める。

「これ」

「たれ食うてるみたいやな」

「それぐらい濃い方が」

「少ない量で済むでしょう」

「またそういうところ考える」

・・・・・・・・・・・・・

 青菜を。

 茹でる。

 その上から。

 胡麻だれ。

「旨い」

 豆腐にも。

 少し。

 かける。

「こっちも合いますね」

「豆腐が淡いから」

「余計に胡麻が立つな」

 八郎は。

 しばらく。

 豆腐を食べて。

 ふと思った。

「これ」

「お寺でも使えません?」

・・・・・・・・・・・・・・

 肉。

 魚。

 使っていない。

 昆布。

 胡麻。

 豆腐。

 青菜。

 垂味噌。

「精進の飯でも」

「いけるでしょう?」

「確かに

「ほな」

 八郎は。

 鉢を指差した。

「石山へ持っていきましょう」

「また本願寺ですか」

「近いですし」

「試してもらえるでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 数日後。

 石山本願寺。

「また」

 僧が。

 八郎を見て笑った。

「妙な食べ物を」

「持ってこられましたな」

「妙とは何ですか」

「今回は何です?」

「胡麻だれです」

 豆腐。

 青菜。

 茸。

 いくつかの。

 簡単な料理が。

 並べられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「まず」

「豆腐から」

 僧が。

 一口。

「……ほう」

「どうです?」

「これは」

 もう一口。

「豆腐を食べているのか」

「たれを食べているのか」

「分かりませぬな」

「三郎兄さんと同じこと言うてますやん」

 周囲から。

 笑いが起こった。

「しかし」

「旨い」

 青菜にも。

 よく合う。

「胡麻の香りが」

「随分と強いですな」

「柑橘を少し入れると」

「また変わるんですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・

「これは」

 別の僧が。

 感心したように言った。

「精進の料理にも」

「十分使えましょう」

「でしょう?」

「飯の格が」

「一段上がったようにも感じます」

「それです」

 八郎が。

 嬉しそうに。

 頷いた。

「別に」

「豪華なもん食べんでも」

 豆腐。

 青菜。

 茸。

 いつもの材料。

「たれ一個で」

「今日は旨かったなって」

「思えたらええでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「慎ましく暮らすことも」

「もちろん大事なんでしょうけど」

 八郎は言う。

「飯がまずい必要は」

「ないでしょう」

「随分と言い切られますな」

「美味しい方が」

「ありがたみも増すんちゃいます?」

 僧たちが。

 顔を見合わせ。

 笑った。

「その理屈は」

「嫌いではありませぬ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「それに」

 八郎は。

 少し真面目な顔になる。

「これから」

 京都。

 比叡山。

 そのほか。

 いろんな寺社と。

 関わることになる。

「これが」

「交渉材料になるかは」

「分かりませんけど」

「話の種には」

「なるでしょう?」

「胡麻だれで」

「寺と仲良くされるおつもりですか」

「飯食いながら話した方が」

「喧嘩するよりええでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 本願寺の僧が。

 少し笑う。

「八郎様という御方は」

「不思議ですな」

「何がです?」

「これほどの領地を持ちながら」

 武力だけで。

 押しているわけではない。

 旅を勧める。

 飯を楽しませる。

 町を作る。

 商売を増やす。

 借金も。

 一つずつ返していく。

「暮らしそのものを」

「少しずつ良くしようとしておられる」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「別に」

 八郎は。

 少し照れたように。

 豆腐を見る。

「大したこと」

「してないですよ」

「十分しております」

 僧は。

 静かに言った。

「特に」

「借財を返していかれるところ」

「そこですか?」

「そこです」

 この世では。

 戦になれば。

 借りる。

 取られる。

 返せなくなる。

 そのまま。

 首が回らなくなる者も多い。

「そこを」

「帳面まで見て」

「返せるようにしていく」

「世知辛い世の中では」

「十分誠実でございます」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「本願寺の領分も」

「八郎様は」

「無理に犯されませぬし」

 むしろ。

 周辺の村が。

 少しずつ豊かになったことで。

 市に。

 人が来る。

 商人が来る。

 参詣する者も増える。

「寺にも」

「寄進が入るようになりました」

「結局」

 寺といえど。

 建物を直す。

 僧を養う。

 人を助ける。

「運営していかねば」

「なりませぬからな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「そういう」

「痒いところまで」

「八郎様は」

「手を届かせてくださる」

「意識されているのか」

「おられぬのか」

「分かりませぬが」

「半分ぐらいは」

「考えてますよ」

 八郎が言う。

「半分なんですな」

「全部考えてたら」

「頭いっぱいになりますよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 僧は。

 笑ってから。

 八郎を見る。

「ですが」

「その心根だけは」

「変わっておりませぬな」

「心根?」

「一万五千石の頃から」

「少しでも」

「皆の暮らしがましになればよい」

「そう申されていたでしょう」

 八郎は。

 少し黙った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「そこは」

「変わってないですね」

 領地は。

 何十倍にもなった。

 銭も。

 億単位で。

 動くようになった。

 それでも。

「昨日より」

「今日の方が」

「ちょっとましやったな」

 そう思える人が。

 増えればいい。

「それぐらいですよ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 僧は。

 静かに頷いた。

「その心根を」

「忘れぬことです」

「はい」

「忘れなければ」

「八郎様には」

「これからも」

「良い風が吹きましょう」

「そうですかね」

「そう思います」

 八郎は。

 しばらく。

 その言葉を聞いてから。

 目の前の。

 胡麻だれを見る。

「ほな」

「これ」

「本願寺でも使ってもらえます?」

「もちろん」

「よかった」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 十月三週目。

 戦でも。

 政治でもなく。

 一鉢の。

 胡麻だれが。

 石山本願寺へ。

 広がり始めた。

 それが。

 後に。

 京都。

 比叡山。

 さらに。

 多くの寺社との。

 小さな縁になることを。

 この時。

 八郎は。

 まだ。

 知らなかった。

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