1537年。10月1週目。十万の兵が動けば噂も動く
十月一週目。
姫路。
「ほな」
八郎は。
兵の帳面を広げた。
「やりましょうか」
「何をでございます?」
「兵の入れ替えです」
鹿児島。
熊本。
博多。
山口。
湯築。
出雲。
高松。
姫路。
八大都市を中心に。
各地へ配置している兵を。
順番に。
前線。
港。
街道。
警備。
そういった場所へ。
回していく。
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「どの程度を動かされます?」
「全部合わせたら」
八郎は。
さらりと言った。
「十万ぐらいですかね」
「十万?」
周囲が。
一瞬。
静かになった。
「八郎様」
「はい?」
「いよいよ何か」
「事を決するおつもりですか?」
「いや?」
八郎は。
首を傾げた。
「別に」
「……十万動かして?」
「はい」
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「毎週」
八郎は。
帳面を指差す。
「一億文ぐらい」
兵を動かすための費用として。
計上できる余裕がある。
飯。
宿。
船。
馬。
荷運び。
給金。
「ほな」
「平和なところにずっと置いとくより」
「ぐるぐる回した方がええでしょう」
三郎が。
呆れた顔をした。
「十万動かす理由が」
「平和ぼけ防止か」
「大事ですよ」
◇
戦がない。
それ自体は。
いいことだ。
だが。
兵として。
銭を受け取り。
飯を食っている以上。
「肝心な時に」
「使いもんにならへんかったら」
「困るでしょう」
前線近くで。
夜番をする。
知らない土地で。
道を覚える。
補給を経験する。
他国の兵と。
一緒に動く。
「戦わせたいわけちゃいます」
「経験させたいんです」
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随分。
消極的な理由で。
十万の兵が。
動き始めた。
ところが。
そんな事情を。
外の人間が。
知るはずもない。
米が動く。
干魚が動く。
味噌が動く。
馬が増える。
船が増える。
街道を。
兵が通る。
宿が。
次々埋まる。
「……何か始まるぞ」
商人たちは。
敏感だった。
◇
「八郎家が」
「また兵を動かしとる」
「どれくらいや?」
「分からん」
「ただ」
播磨。
石山。
摂津。
和泉。
各方面で。
物流が。
明らかに増えている。
「万単位やろ」
「そんなもんちゃうぞ」
「十万近いんちゃうか?」
数字は。
噂になるたび。
大きくなった。
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そして。
畿内では。
別の噂が。
広まり始める。
「和泉の次は」
「河内やろ」
「いや」
「大和まで行くつもりや」
「北摂も残っとるぞ」
和泉を削り。
堺と話をし。
石山本願寺まで。
八郎側へ寄っている。
ならば。
河内。
大和。
北摂。
その辺りまで。
八郎が押さえたら。
「細川も三好も」
「畿内から押し出されるぞ」
「その次は?」
「……京や」
◇
「八郎が」
「都へ入るんちゃうか?」
その噂は。
細川・三好にとって。
都合がよかった。
「そうだ」
「ようやく皆」
「分かり始めたか」
使者を。
方々へ出す。
国人。
寺社。
公家。
周辺の大名。
「このまま放っておけば」
「八郎家が天下を取る」
「今は和泉」
「次は河内」
「その次が」
「皆様の土地ではないと」
「誰が申せましょう」
◇
以前なら。
その話を聞いて。
笑う者もいた。
「七歳児であろう?」
「七歳の子に」
「何をそこまで怯えておる」
だが。
今では。
笑い声が。
少し小さくなっている。
三好が組んだ。
八郎包囲網。
それが。
破られた。
播磨。
摂津。
和泉。
八郎家の勢力は。
止まるどころか。
さらに東へ。
伸びている。
「……ほんまに七歳なんか?」
「それは七歳らしい」
「なおさら訳分からん」
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各地で。
話し合いが始まった。
「敵対するか」
「いや」
「今さら正面から敵に回すのは危険や」
「では八郎側へ?」
「それも早い」
中立。
友好。
婚姻。
交易。
使者だけ出す。
八郎商会との商売だけ増やす。
様々な案が。
出てくる。
「少なくとも」
一人の国人が言った。
「こちらから喧嘩を売る必要はない」
「領分を侵されぬよう」
「先に話を付けておくか」
◇
細川・三好が。
望んだのは。
八郎への警戒だった。
確かに。
警戒する者は。
増えた。
しかし。
全員が。
敵になるわけではなかった。
「危険なら」
「敵対するより」
「仲良うした方がよいのでは?」
そう考える者まで。
増えていく。
細川方の使者は。
思わず。
黙り込んだ。
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一方。
姫路。
「何か」
八郎が。
報告を読んでいた。
「畿内が騒がしいらしいですよ」
「十万も動かしたからでしょう」
「いやいや」
「戦するつもりないですよ」
三郎が。
ため息をつく。
「そんなもん」
「外から分かるか」
「兵の入れ替えしてるだけです」
「十万規模でな」
◇
八郎は。
少し困った顔で。
地図を見る。
「まあ」
「向こうが勝手に警戒する分には」
「無理に訂正せんでもええですけど」
「ええんか?」
「攻めてきにくくなるでしょう」
「……」
「ただ」
八郎は。
河内。
大和。
北摂。
そして。
その先にある。
京都を見る。
「僕」
「別に急いで京に行きたいわけちゃうんですけどね」
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十月一週目。
八郎は。
兵の質を落とさないため。
十万の兵を。
動かし始めただけだった。
だが。
十万という数字は。
本人の思惑とは関係なく。
畿内を揺らした。
敵になるのか。
友になるのか。
それとも。
距離を取るのか。
七歳の八郎を前に。
日の本の者たちが。
初めて。
本気で。
自分たちの立場を。
考え始めていた。




