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1005/1033

1537年。9月3週目。城より先に村が落ちていく。

 九月三週目。

 酒蔵。

「申し訳ございませんでした!」

 例の男が。

 深々と頭を下げていた。

 腹を立て。

 酒樽へ灰を放り込み。

 一樽を台無しにしようとした男である。

「ほんまに、すんませんでした」

「まあ」

 八郎は。

 男を見ながら言った。

「それはそれで怒られてください」

「はい……」

「でも」

「はい?」

「すごい発見ですよ、これ」

 男は。

 何とも言えない顔をした。

「……なんで褒められてるんです?」

「僕もそこはちょっと面白いです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 灰を入れた酒。

 しばらく置くと。

 濁りが。

 下へ沈んでいった。

 上の部分は。

 以前より明らかに澄んでいる。

「お前が灰入れたんやろ?」

 親方が言う。

「はい」

「ほな責任取れ」

「やっぱり辞めさせられるんですか?」

「違う」

 八郎が笑った。

「これ研究してください」

「……はい?」

「灰の研究です」

・・・・・・・・・・・・・・

 どれだけ入れたか。

 いつ入れたか。

 どれくらい置いたか。

 どの米を使った酒か。

 どれくらい米を搗いたか。

「全部帳面に残してください」

「わしが?」

「はい」

「字、そんな得意ちゃいますけど」

「帳面役付けますよ」

 三郎が横から笑う。

「大出世やな」

「意味分からんです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「最初から」

 八郎は言った。

「樽いっぱい灰入れる必要ないでしょう」

「そらそうでしょうな」

「少なくても澄むなら」

 その方が。

 楽。

 安い。

 酒にも。

 余計な影響が出にくい。

「一杯」

「半分」

「さらに半分」

「そんな感じで減らしていって」

 どこまでなら。

 きちんと濁りが沈むのか。

「調べましょう」

「……わしの仕事、それですか?」

「天職かもしれませんよ」

「昨日まで怒られて辞める言うてたんですけど」

「人生分からんでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「給金も上げたる」

 親方が言う。

「え?」

「八郎様が」

 新しい食。

 新しい酒。

 新しい作り方。

 そういう発見を。

 大事にしている。

「お前が始めたんや」

「最後まで面倒見ろ」

「……」

 男は。

 しばらく。

 澄んだ酒を見た。

「分かりました」

「やる?」

「心得てやります」

 こうして。

 嫌がらせから。

 一人の酒造りの研究役が。

 生まれることになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一方。

 和泉。

 こちらでは。

 笑っていられない者たちがいた。

 細川方。

 三好方。

 八郎家の商人が。

 次々と入り込んでくる。

 商売。

 飯。

 借金整理。

 仕事。

「このままでは」

「人も銭も全部西へ流れるぞ」

 そこで。

 細川・三好側は。

 関所を増やし始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「荷を改める!」

「またですか?」

「米を持って行くなら銭を払え!」

 収穫の時期。

 米。

 野菜。

 魚。

 様々なものが。

 市場へ向かう。

 そこから。

 取れるだけ取る。

「八郎領へ持っていくな」

「こちらの市へ出せ」

 当然。

 村々から。

 不満が出始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「また取られたぞ」

「これでは何のために作っとるんや」

「八郎領の方が高う買ってくれるのに」

「関所さえなければ」

 そして。

 ある夜。

 作ったばかりの関所が。

 何者かに壊された。

「柱まで倒されとる!」

「誰がやった!」

「知りませぬ!」

 翌日には。

 そこを守っていた兵のうち。

 二人が消えた。

 さらに。

 別の関所でも。

 一人。

 また一人。

 兵が逃げ出す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「取った分は返す!」

 三好方の役人が。

 村人たちへ言った。

「これで文句ないであろう!」

 だが。

 村人たちは。

 納得しなかった。

「そこだけやないです」

「何?」

「うちは借金があるんです」

 戦。

 不作。

 武具。

 農具。

 種籾。

「首が回らん家もある」

「それまで面倒見ろと?」

「八郎様のところは見てくれるそうです」

「また八郎か!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「帳面出したら」

 村人は続けた。

「どう返したらええかまで一緒に考えてくれるそうです」

「そこまで面倒見れるか!」

「でも向こうはやってます」

「貴様!」

 役人が。

 刀へ手をかける。

「そこまで八郎がええなら、今から八郎のところへ行け!」

 村人たちの顔が。

 固まった。

 だが。

 一人が。

 静かに言った。

「……ほな」

「何?」

「願い出てもええんですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その話は。

 周辺の村へ。

 あっという間に広がった。

「八郎領へ入ったら借金見てくれるんか?」

「仕事もあるらしい」

「飯もある」

「兵に取られるだけちゃうらしいぞ」

「ほな」

 城がどうするか。

 領主がどうするか。

 それを待つ前に。

「村から願い出したらええんちゃうか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 八郎側へ。

 使いが来た。

「村ごと?」

「はい」

「うちの傘へ入りたいと?」

「借財の面倒を見ていただけるのであれば」

 八郎方の答えは。

 いつもと同じだった。

「まず帳面見せてください」

「よろしいので?」

「返せる形に整理しましょう」

「土地は?」

「勝手に取りませんよ」

「年貢は?」

「決めてから変えるなら話します」

「……」

「働いたら」

 八郎方の者が笑った。

「飯食えるようにはします」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一つの村が。

 八郎側へ寄る。

 すると。

 隣も。

 その隣も。

「うちも願いを」

「うちも」

 城は。

 まだ。

 三好方。

 細川方。

 なのに。

 その城を囲む村々が。

 先に。

 八郎領のようになっていく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「……どういうことだ」

 三好方の武将が。

 地図を見て。

 呆然とした。

「城は落ちておらぬぞ」

「はい」

「兵もおる」

「はい」

「ではなぜ」

 周りの村々が。

 次々。

 八郎方へ。

 色を変えている。

「城を落とす前に」

 家臣が。

 苦々しく言った。

「人を取られております」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 和泉では。

 八郎家の影響が。

 雪崩のように。

 広がり始めていた。

 兵だけではない。

 商人。

 飯。

 仕事。

 借金。

 そして。

「八郎のところなら、何とかなる」

 その期待。

 それが。

 城より先に。

 村を動かしていく。

 そして。

 その流れは。

 少しずつ。

 しかし確実に。

 堺の町へ。

 近づき始めていた。

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