1537年。9月3週目。城より先に村が落ちていく。
九月三週目。
酒蔵。
「申し訳ございませんでした!」
例の男が。
深々と頭を下げていた。
腹を立て。
酒樽へ灰を放り込み。
一樽を台無しにしようとした男である。
「ほんまに、すんませんでした」
「まあ」
八郎は。
男を見ながら言った。
「それはそれで怒られてください」
「はい……」
「でも」
「はい?」
「すごい発見ですよ、これ」
男は。
何とも言えない顔をした。
「……なんで褒められてるんです?」
「僕もそこはちょっと面白いです」
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灰を入れた酒。
しばらく置くと。
濁りが。
下へ沈んでいった。
上の部分は。
以前より明らかに澄んでいる。
「お前が灰入れたんやろ?」
親方が言う。
「はい」
「ほな責任取れ」
「やっぱり辞めさせられるんですか?」
「違う」
八郎が笑った。
「これ研究してください」
「……はい?」
「灰の研究です」
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どれだけ入れたか。
いつ入れたか。
どれくらい置いたか。
どの米を使った酒か。
どれくらい米を搗いたか。
「全部帳面に残してください」
「わしが?」
「はい」
「字、そんな得意ちゃいますけど」
「帳面役付けますよ」
三郎が横から笑う。
「大出世やな」
「意味分からんです」
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「最初から」
八郎は言った。
「樽いっぱい灰入れる必要ないでしょう」
「そらそうでしょうな」
「少なくても澄むなら」
その方が。
楽。
安い。
酒にも。
余計な影響が出にくい。
「一杯」
「半分」
「さらに半分」
「そんな感じで減らしていって」
どこまでなら。
きちんと濁りが沈むのか。
「調べましょう」
「……わしの仕事、それですか?」
「天職かもしれませんよ」
「昨日まで怒られて辞める言うてたんですけど」
「人生分からんでしょう」
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「給金も上げたる」
親方が言う。
「え?」
「八郎様が」
新しい食。
新しい酒。
新しい作り方。
そういう発見を。
大事にしている。
「お前が始めたんや」
「最後まで面倒見ろ」
「……」
男は。
しばらく。
澄んだ酒を見た。
「分かりました」
「やる?」
「心得てやります」
こうして。
嫌がらせから。
一人の酒造りの研究役が。
生まれることになった。
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一方。
和泉。
こちらでは。
笑っていられない者たちがいた。
細川方。
三好方。
八郎家の商人が。
次々と入り込んでくる。
商売。
飯。
借金整理。
仕事。
「このままでは」
「人も銭も全部西へ流れるぞ」
そこで。
細川・三好側は。
関所を増やし始めた。
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「荷を改める!」
「またですか?」
「米を持って行くなら銭を払え!」
収穫の時期。
米。
野菜。
魚。
様々なものが。
市場へ向かう。
そこから。
取れるだけ取る。
「八郎領へ持っていくな」
「こちらの市へ出せ」
当然。
村々から。
不満が出始めた。
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「また取られたぞ」
「これでは何のために作っとるんや」
「八郎領の方が高う買ってくれるのに」
「関所さえなければ」
そして。
ある夜。
作ったばかりの関所が。
何者かに壊された。
「柱まで倒されとる!」
「誰がやった!」
「知りませぬ!」
翌日には。
そこを守っていた兵のうち。
二人が消えた。
さらに。
別の関所でも。
一人。
また一人。
兵が逃げ出す。
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「取った分は返す!」
三好方の役人が。
村人たちへ言った。
「これで文句ないであろう!」
だが。
村人たちは。
納得しなかった。
「そこだけやないです」
「何?」
「うちは借金があるんです」
戦。
不作。
武具。
農具。
種籾。
「首が回らん家もある」
「それまで面倒見ろと?」
「八郎様のところは見てくれるそうです」
「また八郎か!」
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「帳面出したら」
村人は続けた。
「どう返したらええかまで一緒に考えてくれるそうです」
「そこまで面倒見れるか!」
「でも向こうはやってます」
「貴様!」
役人が。
刀へ手をかける。
「そこまで八郎がええなら、今から八郎のところへ行け!」
村人たちの顔が。
固まった。
だが。
一人が。
静かに言った。
「……ほな」
「何?」
「願い出てもええんですか?」
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その話は。
周辺の村へ。
あっという間に広がった。
「八郎領へ入ったら借金見てくれるんか?」
「仕事もあるらしい」
「飯もある」
「兵に取られるだけちゃうらしいぞ」
「ほな」
城がどうするか。
領主がどうするか。
それを待つ前に。
「村から願い出したらええんちゃうか?」
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八郎側へ。
使いが来た。
「村ごと?」
「はい」
「うちの傘へ入りたいと?」
「借財の面倒を見ていただけるのであれば」
八郎方の答えは。
いつもと同じだった。
「まず帳面見せてください」
「よろしいので?」
「返せる形に整理しましょう」
「土地は?」
「勝手に取りませんよ」
「年貢は?」
「決めてから変えるなら話します」
「……」
「働いたら」
八郎方の者が笑った。
「飯食えるようにはします」
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一つの村が。
八郎側へ寄る。
すると。
隣も。
その隣も。
「うちも願いを」
「うちも」
城は。
まだ。
三好方。
細川方。
なのに。
その城を囲む村々が。
先に。
八郎領のようになっていく。
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「……どういうことだ」
三好方の武将が。
地図を見て。
呆然とした。
「城は落ちておらぬぞ」
「はい」
「兵もおる」
「はい」
「ではなぜ」
周りの村々が。
次々。
八郎方へ。
色を変えている。
「城を落とす前に」
家臣が。
苦々しく言った。
「人を取られております」
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和泉では。
八郎家の影響が。
雪崩のように。
広がり始めていた。
兵だけではない。
商人。
飯。
仕事。
借金。
そして。
「八郎のところなら、何とかなる」
その期待。
それが。
城より先に。
村を動かしていく。
そして。
その流れは。
少しずつ。
しかし確実に。
堺の町へ。
近づき始めていた。




