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1537年。9月3週目。灰を入れたら酒が澄みました。新たな酒の可能性

九月三週目。

 収穫の季節。

 八郎領の各地では。

 次々と新米が取れ始めていた。

「今年もよう取れましたね」

「そうですな」

 積み上がった米俵を見ながら。

 八郎は。

 何やら考えていた。

「せっかく米あるんやったら」

「はい」

「酒、もうちょっと旨くできません?」

 三郎が。

 すぐに言った。

「お前、酒飲まれへんやろ」

「それはそうなんですけど」

「めちゃくちゃ酒のこと考えるやんけ」

・・・・・・・・・・・・・・

「でも」

 八郎は笑う。

「食って楽しいでしょう」

 飯。

 菓子。

 汁。

 麺。

 そして。

 酒。

「僕は飲めませんけど」

 料理酒としても使う。

 宴席にも出す。

 旅人も飲む。

「ええもん作れたら、高く売れるでしょう」

「結局商売か」

「いやいや」

 八郎は手を振る。

「大量に作れる普通の酒と」

 少量でも。

 上質で。

 高く売れる酒。

「両方あった方がええでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まず。

 八郎が目を付けたのは。

 米の搗き方だった。

「これ」

 酒蔵で。

 米を搗いている者たちを見る。

「人がずっと杵でやるん、大変でしょう」

「そら大変です」

「水車使いましょう」

 以前から。

 米を搗くために使っていた水車。

 それを。

 酒用の米にも。

 もっと本格的に使う。

「同じ米でも」

 搗く回数。

 時間。

 削り具合。

 それを変えれば。

「味変わるんちゃいます?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ただし」

 八郎は。

 帳面役を呼んだ。

「全部残してください」

「何をでございます?」

「何回搗いたか」

 どれだけの時間。

 どの米。

 どこの水。

 いつ仕込んだか。

「樽ごとに札付けましょう」

「また帳面ですか」

 本願寺から来ていた僧が。

 思わず笑った。

「何でも帳面にされますな」

「だって」

 八郎は首を傾げる。

「旨かったやつできても」

 何をしたのか。

 分からなければ。

「次作れんでしょう」

「なるほど」

「失敗したやつも残してください」

「失敗も?」

「次やらんようにできますから」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こうして。

 酒蔵では。

 いくつもの樽が。

 違う条件で仕込まれ始めた。

 だが。

 酒造りは。

 米だけの話ではない。

 米を運ぶ者。

 樽を洗う者。

 薪を割る者。

 水を運ぶ者。

 季節ごとに。

 多くの人間が出入りする。

 当然。

 揉め事もあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「もうやってられるか!」

 ある日。

 一人の男が。

 蔵の中で怒鳴った。

「勝手にせえ!」

「ほんまに辞めたるわ!」

 仕事の手順。

 給金。

 人間関係。

 何が原因だったのか。

 色々。

 積み重なっていたらしい。

 腹を立てた男は。

 帰り際。

 蔵の隅を見る。

 そこには。

 竈などから集めた。

 灰があった。

「こんな酒」

 男は。

 一樽へ。

 掴めるだけ。

 灰を放り込んだ。

「全部駄目になったらええねん」

 そして。

 そのまま。

 姿を消した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌朝。

「最悪や!」

 親方が。

 頭を抱えた。

「一樽丸ごとやられた!」

「灰だらけです!」

「捨てるしかないやろ」

 ところが。

 しばらくして。

 一人が。

 妙なことに気付いた。

「……親方」

「何や」

「これ」

「何や?」

「濁り、下に沈んでません?」

「……」

 確かに。

 灰と一緒に。

 細かな濁りが。

 下へ。

 沈み始めている。

 上の酒は。

 それまでより。

 明らかに澄んでいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 すぐ。

 八郎へ報告が飛んだ。

「灰?」

「はい」

「酒の樽に?」

「大量に」

「それで?」

「澄みました」

 八郎は。

 少し黙った。

「その人」

「はい?」

「天才ちゃいます?」

「いやいやいや!」

 親方が慌てる。

「あれは嫌がらせでございます!」

「それは怒ったらええですよ」

「八郎様?」

「でも辞めさすの、もったいないでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「戻ってきてもろて」

 八郎は言う。

「ちゃんと謝ってもろて」

「はい」

「ほんで」

 灰を。

 どれぐらい入れた。

 どれぐらい置いた。

 どの酒だった。

「全部聞きましょう」

「そこまで?」

「一回でこんなん見つかったんですよ」

 偶然でも。

 嫌がらせでも。

「使えるなら使ったらええでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その話を聞いていた。

 本願寺の僧が。

 口を挟んだ。

「そういえば」

「はい?」

「南都の方では」

 澄んだ酒を。

 作るところがあると聞きます。

「奈良です?」

「はい」

「ほな」

 八郎は。

 少し残念そうな顔をした。

「これ、初めてちゃうんですね」

「それは分かりませぬが」

 僧が笑う。

「澄んだ酒そのものは、あるようですな」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「でも」

 八郎は。

 すぐに立ち直った。

「灰入れるだけで」

「はい」

「こんな澄むんやったら」

 簡単ではないか。

「そこ大事ですよ」

「また大量に作るおつもりで?」

「うまくいけば」

 灰の量。

 入れる時期。

 酒の種類。

 置く時間。

「全部帳面取ってください」

 僧が。

 また笑う。

「ほんまに何でも帳面ですな」

「再現できんかったら意味ないでしょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 こうして。

 水車で。

 米をより丁寧に搗く試み。

 そして。

 灰を使って。

 酒を澄ませる試み。

 二つが。

 同時に始まった。

「次の仕込み」

 八郎が言う。

「楽しみですね」

「飲まれへんのに?」

「皆さん飲んでください」

「結局、我らが試すんですな」

「感想は帳面に書いてくださいね」

「そこまでやるんですか」

「そらやりますよ」

 九月三週目。

 新米とともに。

 八郎領では。

 新しい酒造りの研究まで。

 始まっていた。

 そして。

 一樽の酒を。

 駄目にするはずだった。

 一握りの灰が。

 また一つ。

 八郎商会に。

 新しい商いの種を。

 落としていた。

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