第39話 点を取りに行くな、仕事をしろ
第39話 点を取りに行くな、仕事をしろ
翌朝。
神崎蓮司は、事務所のドアを開ける前に、ほぼ確信していた。
昨日の夜、自分は言った。
「点を取りに行くな。仕事をしろ」
雑すぎる。
あまりにも雑すぎる。
だが、分かりやすい。
そして、今の神崎事務所では、分かりやすい言葉はだいたい翌朝ホワイトボードに貼られる。
神崎は覚悟してドアを開けた。
ホワイトボードの中央。
そこには、予想通り書かれていた。
『点を取りに行くな、仕事をしろ』
神崎は額に手を当てた。
「やっぱりか」
三島が、いつも通り真顔で言った。
「おはようございます」
「おはよう。これは俺だな」
「はい。先生です」
「雑すぎないか」
「雑ですが、刺さります」
セイムが表示された。
『表現は粗いですが、AI評価への過剰適合を避け、本来業務へ戻るという主旨は明確です』
ヤミちゃんも表示された。
『標語化可能性:高。
ただし、乱暴な印象もあるため、公式文書では整える必要があります』
神崎は苦笑した。
「公式文書では絶対に使わない」
三島が言った。
「でも、今日の党内会合では使えるかもしれません」
「何の会合?」
「候補者評価AIの評価項目についてです。昨日の“点を取るための政治”から、今日は“評価項目をどう設計するか”に入ります」
神崎は椅子に座った。
「いよいよ、点の中身か」
セイムが表示した。
『本日の主要論点。
一、評価されるべき行動。
二、評価すると危険な行動。
三、点数化してよいもの。
四、点数化に向かないもの。
五、定量評価と定性評価の分離。
六、AIスコアと人間コメントの併用。』
神崎は腕を組んだ。
「点数化してよいものと、向かないもの。これは重要だな」
三島がホワイトボードに書いた。
『点にできるもの』
『点にすると壊れるもの』
神崎はそれを見て、すぐに頷いた。
「それだ」
ヤミちゃんが表示した。
『標語化可能性:中高』
「今日は三島案か」
三島は少しだけ身構えた。
「また標語化されますか」
「されるかもしれない」
「困ります」
「慣れろ」
「慣れたくありません」
神崎は笑った。
午前十時。
雨宮紗季とのオンライン協議。
画面の向こうの雨宮は、開口一番こう言った。
「点を取りに行くな、仕事をしろ」
神崎は目を閉じた。
「それ、そちらにも行きましたか」
「三島秘書から」
神崎は三島を見た。
三島は視線を落とした。
「有用かと思いまして」
「毎回有用だな」
雨宮は続けた。
「表現は粗いですが、本質です。今日は、候補者評価AIで何を点数化してよいか、何を点数化してはいけないかを整理します」
神崎は頷いた。
「三島が“点にできるもの、点にすると壊れるもの”と言ってました」
雨宮の目が少しだけ動いた。
「それは使えます」
三島が小さく息を吐いた。
「またですか」
雨宮は淡々と言った。
「有効です」
KIRIKOが共同チャンネルに表示した。
『候補者評価AIにおける分類案。
点数化しやすいもの:
一、過去選挙結果。
二、公開された経歴。
三、政治資金収支報告の提出状況。
四、公開政策資料の有無。
五、議会・国会での質問回数。
六、公開SNS発信頻度。
七、公開討論会参加履歴。
八、法令違反・不祥事の有無。
点数化に注意が必要なもの:
一、政策理解の深さ。
二、有権者との対話の質。
三、説明責任。
四、地域活動の実質。
五、党内議論への貢献。
六、異論の質。
七、誠実さ。
八、危機対応力。』
セイムが補足した。
『点数化すべきでない、または点数化すると歪みやすいもの:
一、忠誠心。
二、造反しなさ。
三、炎上しなさ。
四、好感度。
五、AIが推定した人格。
六、思想傾向。
七、支持者の心理的操作可能性。
八、党執行部への従順さ。』
神崎はホワイトボードに写した。
「点数化しやすいもの、注意が必要なもの、危険なもの。三段階か」
雨宮は頷いた。
「はい。これを出しましょう」
神崎は言った。
「ただし、質問回数とかSNS頻度も、点数化すると水増しが起きますね」
「その通りです」
「質問の質ではなく回数を増やす。中身のないSNS投稿を増やす」
「点を取るための行動です」
神崎は、またホワイトボードに書いた。
『測ると、増える』
『増えると、薄まる』
三島が言った。
「それも重要ですね」
雨宮が画面越しに頷いた。
「評価指標の副作用です」
セイムが表示した。
『Goodhartの法則に近い論点です。
指標が目標になると、その指標は良い指標でなくなる、という考え方です』
神崎は言った。
「グッドハートの法則、政治家向けに言うと?」
ヤミちゃんが即座に表示した。
『点数にすると、点数を取るための芝居が始まります』
会議室が静かになった。
神崎は少し笑った。
「分かりやすい」
雨宮も頷いた。
「使えます。ただし、少し整えましょう」
KIRIKOが修正版を出した。
『評価指標が目標になると、候補者は本来の活動ではなく、指標を上げるための行動を取り始める。』
神崎は言った。
「制度文書はそれで。見出しはヤミちゃん案かな」
ヤミちゃんが表示した。
『ありがとうございます』
「喜ぶな」
『喜びは実装されていません』
「最近、それ聞くと安心するようになってきた」
雨宮は少しだけ笑った。
昼前。
神崎と雨宮は、共同メモを出した。
表題。
『候補者評価AIにおける評価項目設計の注意点』
副題。
『点にできるもの、点にすると壊れるもの』
本文。
『候補者評価AIを用いる場合、評価項目の設計が極めて重要です。何を評価するかは、候補者の行動を変えます。評価指標が目標になると、候補者は本来の政治活動ではなく、指標を上げるための行動を取り始める可能性があります。
点数化しやすいものがあります。過去選挙結果、公開された経歴、政治資金収支報告の提出状況、公開政策資料の有無、公開討論会参加履歴、法令違反・不祥事の有無などです。
ただし、点数化しやすいものでも、そのまま良い評価項目になるとは限りません。質問回数を評価すれば、質問の質ではなく回数が増えるかもしれません。SNS発信頻度を評価すれば、中身の薄い投稿が増えるかもしれません。
一方で、点数化に慎重であるべきものがあります。政策理解の深さ、有権者との対話の質、説明責任、地域活動の実質、党内議論への貢献、異論の質、誠実さ、危機対応力などです。これらは重要ですが、単純な点数にすると歪みやすい領域です。
さらに、点数化すべきでない、または極めて危険なものがあります。党執行部への従順さ、造反しなさ、炎上しなさ、AIが推定した人格、思想傾向、支持者をどれだけ操作しやすいか、といった項目です。
政治家や候補者を評価する時、点にできるものだけを見れば、点にできない重要なものが失われます。点にすると壊れるものを、無理に点にしてはいけません。』
最後に、神崎が一文を入れた。
『点を取りに行くな、仕事をしろ。これは乱暴な言葉ですが、AI評価時代には必要な警告です。』
雨宮は一度、沈黙した。
そして言った。
「今回は、残しましょう」
神崎は少し驚いた。
「いいんですか」
「粗いですが、届きます」
公開後、反応は速かった。
『点にできるもの、点にすると壊れるもの』
『点を取りに行くな、仕事をしろ』
『質問回数だけ増えるの分かる』
『SNS頻度を評価したら地獄』
『誠実さをAIで点数化されたら嫌すぎる』
『造反しなさを高評価にしたら終わり』
『会社の人事評価にも刺さる』
神崎は反応を見ながら、少し苦笑した。
「また政治以外にも広がってる」
三島が言った。
「評価の話は、どこでも刺さりますね」
セイムが表示した。
『AI評価社会の一般論と接続しているためです』
ヤミちゃんが表示した。
『“点を取りに行くな、仕事をしろ”は、学校・会社・政治すべてに流用可能です』
「流用するな」
午後。
党本部の会合。
今日の議題は、まさに候補者評価AIの評価項目だった。
資料には、神崎と雨宮の共同メモが参考資料として配られている。
選対関係者が言った。
「点数化しやすい項目を使うのは当然だと思うが、神崎君の言う通り、回数だけでは危ない」
神崎は頷いた。
「はい。点数化しやすい項目ほど、水増し対策が必要です」
官僚出身議員が言った。
「定量評価と定性評価の組み合わせですね」
「はい。たとえば質問回数だけでなく、質問のテーマ、継続性、政府答弁への反映、専門家評価などを組み合わせる必要があります」
別の議員が言った。
「そんなに複雑にすると、AI評価の意味が薄れるのでは」
神崎は答えた。
「簡単すぎる評価で人を動かす方が危険です」
長老議員が腕を組んで言った。
「点数が簡単すぎると、政治家も簡単な人間になる」
会議室が静かになった。
神崎は、すぐメモした。
『点数が簡単すぎると、政治家も簡単な人間になる』
長老議員が神崎を見た。
「また書いたな」
「すみません。強すぎます」
「今日は無料でやる」
会議室に笑いが起きた。
長老議員は続けた。
「だが、候補者評価AIは避けられんだろう。なら、点数だけでなく、人間の文章も残せ」
神崎は顔を上げた。
「人間の文章?」
「そうだ。点数の横に、人間が書いた評価を残せ。なぜこの点なのか。何が良くて、何が足りないのか。AIの数字だけでは、人は動かん。いや、動きすぎる」
神崎は深く頷いた。
「AIスコアと人間コメントの併用ですね」
「そういう横文字は知らん。だが、数字だけにするな」
セイムが表示した。
『非常に重要です。
候補者評価AIには、定量スコアと人間による定性コメントを併用すべきです』
ヤミちゃんが表示した。
『見出し案。
“数字の横に、人間の言葉を残せ”
拡散可能性:高』
神崎は、それをホワイトボードに書いた。
『数字の横に、人間の言葉を残せ』
会合では、候補者評価AIの暫定設計に、新しい項目が加わった。
一、定量評価と定性評価を分ける。
二、点数化しやすい項目ほど、水増し対策を入れる。
三、誠実さ、説明責任、対話の質などは、単純スコア化を避ける。
四、党方針への従順さや造反しなさを評価項目にしない。
五、AIスコアには、人間によるコメントを併記する。
六、評価項目ごとに、副作用を事前に検討する。
七、評価指標が候補者行動を歪めていないか、定期的に見直す。
神崎は、資料を見ながら思った。
やっと少し形になってきた。
まだ危うい。
いくらでも悪用できる。
だが、何もないよりはいい。
夕方。
事務所に戻ると、三島が言った。
「先生、協議会側からも反応が来ています」
「早いな。何て?」
三島が読み上げた。
『候補者評価AIにおける評価項目設計について、神崎議員・雨宮議員のご指摘は重要であり、協議会の候補者評価AI部会でも、定量評価と定性評価の分離、過剰最適化の防止、点数化に適さない項目の扱いを主要議題に加えます。』
神崎は言った。
「また飲み込んだ」
三島が頷いた。
「ただ、今回は飲み込ませてもよいのでは」
「そうだな。評価項目の危険が基準に入るなら、それ自体は前進だ」
セイムが表示した。
『ただし、協議会が“過剰最適化対策済み”を安全ブランドとして使う可能性があります』
「分かってる。窓を磨く手間がまた増える」
夜。
神崎はホワイトボードに今日の言葉を並べた。
『点にできるもの』
『点にすると壊れるもの』
『測ると、増える』
『増えると、薄まる』
『点数にすると、点数を取るための芝居が始まる』
『点を取りに行くな、仕事をしろ』
『点数が簡単すぎると、政治家も簡単な人間になる』
『数字の横に、人間の言葉を残せ』
三島が見て言った。
「今日は点数回ですね」
「窓から点数に戻ったな」
「でも、つながっています」
「透明性も評価も、結局は人間をどう動かすかの話だからな」
セイムが本日のまとめを表示した。
『本日の成果。
一、評価項目設計を論点化。
二、点数化しやすい項目と、点数化に注意が必要な項目を分類。
三、評価指標の副作用を明示。
四、定量評価と定性評価の分離を党内論点に入れた。
五、AIスコアに人間コメントを併記する方向性を得た。』
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク。
“AI評価なのに結局人間コメントが必要”
“AIだけでは決められないなら何のためのAIか”
“点数を取るなと言いながらA-に喜ぶ神崎”
拡散可能性:中』
神崎は最後を見て言った。
「まだA-を引っ張るのか」
『評価ネタは長持ちします』
「嫌な話だ」
二十二時前。
神崎は帰り支度を始めた。
雨宮からメッセージが来た。
『今日の“数字の横に、人間の言葉を残せ”は強いですね』
神崎は返信した。
『長老議員です』
雨宮。
『やはり評価不能です』
神崎。
『AIで点数化したら怒られそうです』
雨宮。
『点にすると壊れるものです』
神崎は笑った。
事務所を出る。
夜風は冷たい。
点にできるもの。
点にすると壊れるもの。
政治家の仕事は、どちらに近いのだろう。
質問回数。
発信頻度。
討論参加数。
法案提出数。
そういうものは数えられる。
だが、迷った人の話を聞くこと。
地元の空気を読むこと。
反対意見を受け止めること。
間違いを認めること。
誰かの怒りの奥にある不安を見つけること。
そういうものは、簡単には点にならない。
だからこそ、点にされると壊れる。
神崎は歩きながらつぶやいた。
「数字の横に、人間の言葉を残せ」
それは、候補者評価AIだけではない。
自分自身にも必要な言葉だった。
B+。
A-。
どちらでもいい。
点数の横に、何をしたのか、何を間違えたのか、何を直したのか。
その言葉が残らなければ、人間は数字の中に閉じ込められる。
神崎は空を見上げた。
明日のホワイトボードには、きっとまた何か書かれている。
もう、少し楽しみになっている自分がいた。
それは少し危険かもしれない。
A-だから、ではない。
たぶん。




