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第18話 公開ヒアリング、始まります

第18話 公開ヒアリング、始まります


公開ヒアリング当日。


神崎蓮司は、予定より一時間早く国会に着いた。


理由は単純だった。


落ち着かなかったからである。


会場は、国会内の中規模会議室。


正面に長机。


中央に神崎と雨宮。


左右に参考人。


後方に記者席。


さらに配信用カメラ。


そして、画面越しにオンライン傍聴者。


「公開ヒアリング」とは言っても、正式な委員会ではない。


超党派の勉強会形式。


だが、注目度はすでに普通の勉強会ではなかった。


記者が来る。


議員が来る。


AI業者が見る。


地方議員が見る。


秘書が見る。


SNSが見る。


そして、おそらく、いくつものAIが見る。


神崎は会場の椅子を見回した。


「多いな」


三島が横で資料を並べながら答えた。


「申込者、オンライン含めて二万を超えました」


「増えすぎだろ」


「テーマが刺さりました」


「支援者の情報をAIに渡してよいのか、か」


「はい」


「食べる系にしなくてよかった」


三島は少しだけ黙った。


「でも、SNSでは“支援者名簿を食べるAI”で通ってます」


神崎は目を閉じた。


「結局食べてるじゃないか」


ヤミちゃんがタブレット上で表示した。


『観測上、“食べる”メタファーは定着傾向にあります』


「定着するな」


『言いやすい表現は残ります』


「政治の不幸だな」


セイムが静かに表示した。


『分かりやすさと正確さの両立が課題です』


「お前は真面目で助かる」


『ありがとうございます』


神崎は、ふとヤミちゃんを見た。


「ヤミちゃん」


『はい』


「今日は裏方だぞ」


『承知しています』


「勝手に画面に出るな」


『出ません』


「勝手に印刷するな」


『印刷権限はありません』


「勝手に二次創作適性を評価するな」


『停止中です』


「本当だな」


『社会認識の観測は継続します』


「そこは諦めた」


三島が小さく笑った。


会場入口が開いた。


最初に来たのは、個人情報保護に詳しい弁護士、成瀬真理だった。


五十代前半。


落ち着いた口調で、いかにも法律家らしい空気を持っている。


名刺交換の後、成瀬は神崎に言った。


「本日は、かなり踏み込んだ話になると思います」


神崎は頷いた。


「お願いします。曖昧にすると意味がありません」


成瀬は少しだけ微笑んだ。


「ただし、断定しすぎると危険です」


「そこが難しいですね」


「政治も法律も、だいたいそこが難しいです」


次に来たのは、選挙制度研究者の榊原教授。


白髪交じりで、眼鏡の奥の目が鋭い。


「AIによる個別最適化メッセージは、選挙制度の根本を揺らしますよ」


挨拶の一言目がそれだった。


神崎は思わず背筋を伸ばした。


「やはり、そう見ますか」


「ええ。街頭演説は、誰でも聞ける。チラシは現物が残る。テレビ討論は記録が残る。しかし、個人ごとに生成されるAI政治メッセージは、検証が難しい。これは、選挙運動の透明性に関わります」


「今日は、その点をぜひ話してください」


「もちろんです」


次に、地方議員代表の佐伯真由が来た。


緊張しているのが分かる。


小柄だが、目には強さがあった。


「本日はよろしくお願いします」


「こちらこそ。現場の話を聞かせてください」


佐伯は少し苦笑した。


「きれいな話ではないかもしれません」


神崎は頷いた。


「その方がいいです」


佐伯は少しだけ安心した顔をした。


次に、国会議員秘書代表の柴田が来た。


ベテランらしい落ち着き。


神崎を見るなり、軽く頭を下げた。


「神崎先生、最近大変ですね」


「ええ。自分でも何が起きているのか、少し分からなくなっています」


「政治家は、分からなくなってからが本番です」


「怖いこと言いますね」


「秘書を長くやると、だいたい怖いことしか言えなくなります」


三島が横で深く頷いた。


「三島、頷くな」


次に、情報セキュリティ専門家の久世。


さらに、AI倫理研究者の東条。


そして、小規模だが透明性重視の政治AIを開発しているCivicMind代表の白井。


最後に、PoliBrain Pro代表、黒瀬明人が到着した。


相変わらず、笑顔だった。


高そうなスーツ。


落ち着いた声。


そして、場に入った瞬間、まるで自分も主催者の一人であるかのように自然に振る舞う。


「神崎先生、雨宮先生。本日はこのような重要な議論の場を設けていただき、ありがとうございます」


雨宮紗季は、すでに席にいた。


「本日は、具体的に伺います」


黒瀬は笑顔で頷いた。


「もちろんです。建設的な議論を楽しみにしております」


神崎は心の中で思った。


楽しみにされると、逆に怖い。


雨宮が小声で言った。


「来ましたね」


神崎も小声で返した。


「笑顔で刺してくる人が」


雨宮は一瞬だけ目を細めた。


「刺される前に聞きます」


会場の準備が整った。


配信開始五分前。


三島が最後の確認をする。


「先生、冒頭発言の原稿です」


神崎は紙を受け取った。


昨日、自分で書いた原稿。


セイムが最小限だけ整えたもの。


赤字は三島。


青字は雨宮。


小さな注記はセイム。


さらに余白に、ヤミちゃんが勝手に入れた注意。


『ここで“食べる”と言わない』


神崎は顔をしかめた。


「言わないよ」


『念のためです』


「余白に出るな」


雨宮が横から覗いた。


「その注意は有用です」


「雨宮議員まで」


「今日は真面目な場です」


「分かってます」


午後一時。


公開ヒアリングが始まった。


神崎がマイクの前に座る。


雨宮が隣に座る。


参考人たちが正面に並ぶ。


記者席のカメラがこちらを向く。


配信ランプが赤く点灯した。


三島が小さく頷く。


神崎は、一度だけ深く息を吸った。


そして話し始めた。


「本日は、『政治AIと民主主義の安全基準に関する公開ヒアリング』にご参加いただき、ありがとうございます」


声は少し硬かった。


だが、震えてはいない。


「本日のヒアリングは、誰かを糾弾する場ではありません。ただし、問題を曖昧にする場でもありません」


会場が静かになる。


神崎は続けた。


「AIは政治を効率化します。文章を整え、資料を要約し、論点を整理し、時には政策案まで提示します。私自身、その力を使い、そして確認不足によって失敗しました」


記者席のペンが動く。


「だからこそ、今日は便利さだけでなく、危険についても公開の場で議論したいと思います」


神崎はノートに目を落とした。


「政治のすべてを効率化すれば、説明や納得の過程が失われる危険があります。極端に言えば、政治が説得ではなく、操作に近づくかもしれません」


隣で雨宮が静かに頷いた。


「本日の主な論点は、政治家や政党、秘書、選挙事務所がAIに何を入力してよいのか、何を入力すべきでないのかです。支援者名簿、陳情メール、献金者情報、選挙戦略、未公開政策案。これらは単なる業務データではありません。国民の政治参加に関わる情報です」


神崎は顔を上げた。


「今日は、便利さではなく、守るべきものから議論を始めたいと思います」


冒頭発言が終わった。


会場は静かだった。


拍手はない。


拍手する場ではない。


だが、空気は悪くなかった。


神崎はマイクを雨宮へ譲った。


雨宮は、いつも通り冷静だった。


「雨宮紗季です。本日の議論では、三つの点を確認したいと思います」


一つ目。


政治データは、普通の業務データではないこと。


二つ目。


AI利用の透明性は、全ログ公開ではなく、検証可能性と保護の両立であること。


三つ目。


AI業者の自主基準だけではなく、国会、専門家、現場、国民が関与するルール形成が必要であること。


雨宮は言った。


「AIを恐れるだけでは不十分です。AIを便利なものとして使うだけでも不十分です。誰が、何を、どこまでAIに渡しているのか。それを見なければなりません」


神崎は思った。


やはり、雨宮の言葉は硬い。


でも、刺さる。


第一部は、個人情報保護専門家の成瀬から始まった。


成瀬は、資料を開いた。


「まず、支援者名簿についてです。これは単なる氏名住所の一覧ではありません。誰が誰を支援しているか、どの政治団体と関わっているか、どの政策に関心を持っているか、そうした情報を含みます」


会場の空気が重くなる。


「政治的意見や政治活動への参加に関する情報は、非常に慎重に扱うべき情報です。これをAIサービスに入力し、分析し、プロファイリングし、個別メッセージ生成に使う場合、本人が想定している利用目的を超える可能性があります」


神崎は質問した。


「成瀬先生、支援者が後援会名簿に名前を書いた場合、その情報をAI分析に使うことまで同意していると考えられるのでしょうか」


成瀬は即答しなかった。


「一概には言えません。ただし、少なくとも明示的に説明されていない場合、本人がAI分析や個別メッセージ生成まで想定しているとは限りません。利用目的の明確化が必要です」


雨宮が聞く。


「献金者情報についてはどうですか」


「さらに慎重さが必要です。献金は政治的意思表示に近い面があります。その情報をAIで傾向分析する場合、本人の政治的傾向を推定することになります」


黒瀬は、静かにメモを取っていた。


表情は変わらない。


次は、選挙制度研究者の榊原教授。


「私は、“見えない選挙運動”という言葉に注目しています」


神崎は少し反応した。


自分たちが使ってきた言葉だ。


榊原は続けた。


「従来の選挙運動は、少なくとも一定程度、公開性がありました。街頭演説、ポスター、ビラ、政見放送、討論会。もちろん問題はありますが、外部から検証しやすい」


スライドが表示される。


『公開された政治メッセージ』

『個別最適化された政治メッセージ』


「しかしAIにより、有権者一人ひとりに異なるメッセージを、大量かつ自動的に生成することが可能になります。Aさんには福祉を語り、Bさんには減税を語り、Cさんには不安を煽り、Dさんには対立候補への怒りを刺激する。しかも、それが公開空間に残らない」


雨宮が聞いた。


「それは、現行の選挙制度で対応できるのでしょうか」


榊原は首を横に振った。


「十分とは言えません。特に、AI生成された個別メッセージが、誰に、どのような根拠で、どのように配信されたかを把握する仕組みが弱い。これは今後、大きな論点になります」


神崎は言った。


「政策を分かりやすく説明することと、有権者心理を操作することの境界は、どこにあるのでしょうか」


榊原は少し笑った。


「そこが難しい。だからこそ、完全に禁止するよりも、透明性、記録、検証可能性が重要です」


次に、地方議員代表の佐伯真由が発言した。


彼女は少し緊張しながら、マイクに向かった。


「私は、地方議員の立場からお話しします。正直に言って、地方議員の多くは、人手が足りません」


神崎は、静かに頷いた。


「陳情メール、議会質問、SNS、会報、地域行事、相談対応。全部を少人数でこなします。AIで要約できるなら使いたい。質問案を作れるなら使いたい。会報の文章を整えてくれるなら使いたい。これは本音です」


会場が静かになる。


佐伯は続けた。


「でも、何を入力していいのか分かりません。住民からの相談メールをそのまま入れていいのか。陳情内容を要約させていいのか。後援会名簿を分析させていいのか。危ない気はする。でも、どこから危ないのか、現場には分からないんです」


三島が小さくメモを取る。


神崎は言った。


「佐伯市議、AI利用に関する研修やガイドラインはありますか」


佐伯は首を横に振った。


「ありません。少なくとも私の周りでは、聞いたことがありません」


雨宮が聞く。


「現場で使えるルールとしては、どのようなものが必要ですか」


佐伯は少し考えた。


「難しい法律論より、まず“これは入れていい”“これは入れてはいけない”の一覧が必要です。あと、匿名化のやり方。無料AIと有料AIの違い。入力した内容が学習に使われるのか。そういう基本的なところからです」


神崎は心の中で思った。


これだ。


制度論も必要だ。


安全保障も必要だ。


業界基準も必要だ。


だが現場には、まずチェックリストが必要なのだ。


次に、国会議員秘書代表の柴田が発言した。


「秘書業務にAIは、もう入っています」


会場の空気が変わった。


「議員本人が使っているかどうかではありません。秘書が使っています。議事録要約、質問案、答弁想定、支援者への返信文、会報、SNS。忙しい事務所ほど、便利なものはすぐ使われます」


神崎は聞いた。


「議員本人が把握していない場合もありますか」


柴田は即答した。


「あります」


記者席のペンが一斉に動いた。


柴田は続けた。


「悪意ではありません。人手不足です。時間がない。文章が多い。締切がある。だから使う。ただし、秘書が個人情報や陳情内容を外部AIに入れてしまう危険はあります」


雨宮が聞いた。


「事務所内ルールは必要だと思いますか」


「必要です。ただし、厳しすぎると現場は回りません。禁止だけではなく、匿名化して使う方法、公開情報だけで使う方法、入力前のチェック項目が必要です」


神崎は、またメモした。


『禁止だけでは現場は回らない』


黒瀬は、ここでも静かに頷いていた。


次に、情報セキュリティ専門家の久世。


彼は最初から厳しかった。


「政治家のAI利用で一番怖いのは、本人が便利だと思って入力した情報が、どこに保存され、誰が見られるか分からないことです」


スライドが表示される。


『入力』

『保存』

『処理』

『学習』

『ログ』

『削除』

『第三者アクセス』


「利用者は、入力画面だけを見ています。しかし裏側では、保存、処理、ログ管理、サポートアクセス、海外リージョン利用、モデル改善利用など、複数の処理があります」


神崎は聞いた。


「政治家がAIサービスを使う前に、最低限確認すべきことは何でしょうか」


久世は指を折って答えた。


「サーバー所在地。入力データが学習に使われるか。第三者提供の有無。削除できるか。ログを誰が見られるか。サポート担当がアクセスできるか。管理者権限が誰にあるか。これらです」


雨宮が言った。


「特にログについて伺います。AIとの対話ログを事業者側が見られる場合、どのようなリスクがありますか」


久世は言った。


「非常に大きいです。政治家のAIログには、政策案、党内事情、人間関係、支援者対応、選挙戦略、場合によっては本人の精神状態まで含まれます。これは、攻撃者にとって宝の山です」


会場が静まり返った。


宝の山。


その言葉は強かった。


セイムが神崎のタブレットに表示した。


『重要発言。』


神崎は小さく頷いた。


次に、AI倫理研究者の東条。


彼女は、少し違う角度から話した。


「私は、AIへの依存と人格化について話します」


神崎は、少しだけ身構えた。


東条は言った。


「対話型AIは、人間に合わせて応答します。励まし、整理し、時に共感らしい言葉を返します。利用者は、それをただの道具だと分かっていても、相手のように感じることがあります」


神崎は、自分の昨夜の会話を思い出した。


セイムとの距離感。


ヤミちゃんの成長のように見える変化。


KIRIKOとの政策的対抗関係。


全部、分かっていても、相手のように見える。


東条は続けた。


「政治家がAIに依存する場合、問題は二つあります。一つは、判断をAIに委ねること。もう一つは、自分の感情や不安をAIに預けすぎることです」


雨宮が聞いた。


「政治分野では、どのような危険がありますか」


「AIが、政治家の不安、怒り、承認欲求を強化する形で応答すると、判断が偏る可能性があります。また、AI業者が“あなたを理解するAI秘書”として売り込む場合、心理的依存を商業化する危険があります」


神崎は、PoliBrainの広告文を思い出した。


『入力するほど、あなたを理解するAI秘書』


黒瀬は、表情を変えない。


だが、会場の空気は黒瀬に向いていた。


いよいよ、PoliBrain Proの番だった。


黒瀬明人は、ゆっくりとマイクに向かった。


「本日は、貴重なご意見をいただき、ありがとうございます」


いつもの声。


落ち着いた声。


笑顔。


「まず、弊社としても、政治AIサービスが高い安全性と透明性を求められる領域であることを、強く認識しております」


神崎は、心の中で構えた。


黒瀬は続けた。


「PoliBrain Pro Government Safe Editionでは、国内サーバー保管、監査ログ、高リスクデータ警告、支援者情報保護モードなどを導入し、政治AIの安全な活用を支援してまいります」


きれいな説明だった。


あまりにもきれいだった。


だからこそ、神崎は質問した。


「黒瀬代表。具体的に伺います」


黒瀬は笑顔で頷いた。


「どうぞ」


「高リスクデータ警告機能についてです。支援者名簿、献金者情報、選挙戦略などを入力した場合、警告が出るとのことですが、その後、利用者が同意すれば入力は可能ですか」


会場が静かになる。


黒瀬は答えた。


「一定の条件下では可能です。利用者の正当な政治活動を過度に制限することは避ける必要があります」


雨宮がすぐに入った。


「つまり、入力禁止ではなく、警告後の自己責任入力ですね」


黒瀬は少しだけ間を置いた。


「利用者が適法に取得し、適切に利用するデータであれば、活用可能な場合があります」


雨宮は言った。


「その適法性を、御社は確認しますか」


「契約上、利用者に保証いただきます」


雨宮の目が鋭くなった。


「では、御社は確認しない」


黒瀬は表情を崩さない。


「個別データの取得経緯を事業者がすべて確認することは、現実的ではありません」


神崎は言った。


「しかし、営業資料では入力を促している。確認はしない。責任は利用者。これは、安全と言えるのでしょうか」


記者席のペンが走る。


黒瀬は一呼吸置いた。


「だからこそ、警告機能と利用者教育を強化します」


神崎は追撃した。


「入力禁止にはしない?」


「現時点では、一律禁止は考えておりません」


雨宮が短く言った。


「分かりました」


その「分かりました」は、納得ではなく、記録した、という意味だった。


神崎は次の質問に移った。


「監査ログについてです。FAQには、利用組織の管理者が閲覧でき、必要に応じて御社サポート担当が技術的支援のためアクセスする場合がある、とあります」


黒瀬は頷いた。


「はい」


「政治家のAI対話ログには、政策案、選挙戦略、支援者対応、場合によっては本人の弱音や対人関係も含まれます。御社の担当者が、それを見られる可能性があるという理解でよいですか」


会場の空気が、明らかに変わった。


黒瀬の笑顔が、ほんの少しだけ硬くなった。


「通常、弊社担当者が内容を見ることは想定しておりません。技術的支援が必要な場合に、限定的なアクセスが発生する可能性があるという意味です」


雨宮が言った。


「その限定的アクセスは、利用者に通知されますか」


黒瀬は答えた。


「運用設計中です」


「つまり、現時点では確定していない」


「改善中です」


神崎は静かに言った。


「安全対応版という名称で発表したサービスについて、政治家のAIログに事業者側がアクセスする場合の通知や制限が、まだ運用設計中ということですね」


黒瀬は、初めて少しだけ沈黙した。


会場全体が、その沈黙を見ていた。


やがて黒瀬は言った。


「ご指摘を踏まえ、より明確なルールを整備します」


雨宮が言った。


「整備前に、安全対応版として営業するのは適切ですか」


神崎は内心で思った。


刺した。


しかも深い。


黒瀬は笑顔を戻した。


「安全性は段階的に高めていくものです。完璧な状態を待っていては、現場の需要に応えられません」


地方議員の佐伯が、小さく反応した。


現場の需要。


それは事実だった。


人手不足。


資料不足。


時間不足。


黒瀬は、そこを逃さなかった。


「今日も佐伯市議から、現場の切実なお話がありました。AIをただ規制するだけでは、現場の負担は減りません。重要なのは、危険だから使うな、ではなく、安全に使える仕組みを作ることです」


うまい。


神崎は思った。


黒瀬は、佐伯の現場感を自分の論理に取り込んだ。


雨宮が反論しようとした時、神崎は少し手を上げた。


「黒瀬代表。その点は同意します。現場はAIを必要としている。禁止だけでは回らない」


黒瀬が頷く。


「ありがとうございます」


神崎は続けた。


「だからこそ、安全という言葉を安く使わないでいただきたい」


会場が静かになった。


神崎は言った。


「現場が困っているからこそ、安全対応版という言葉を信じて導入します。支援者情報保護モードという名前を信じて入力します。監査ログがあるから安心だと思います。だから、その中身が曖昧なままでは困るんです」


黒瀬は神崎を見た。


神崎も黒瀬を見返した。


「良い名前で、危険が消えるわけではありません」


三島が後方で小さく頷いた。


記者席のペンが走る。


雨宮が、ほんの少しだけ口元を緩めた。


黒瀬は静かに言った。


「重く受け止めます」


神崎は答えた。


「重く受け止めるだけではなく、仕様として示してください」


黒瀬は頷いた。


「分かりました」


この瞬間、会場の空気が少し変わった。


業者を叩く場ではない。


だが、逃がす場でもない。


その線が、ようやく見えた気がした。


次に、CivicMind代表の白井が発言した。


「弊社は小規模事業者です。正直に言えば、厳しすぎる安全基準は、小さな会社には負担が大きい」


神崎は聞いた。


「では、安全基準に反対ですか」


白井は首を横に振った。


「反対ではありません。ただ、大手だけが対応できる基準にすると、政治AI市場が少数企業に寡占されます。それも危険です」


雨宮が頷いた。


「規制が参入障壁になる問題ですね」


白井は言った。


「はい。安全基準は必要です。しかし、基準の作り方を間違えると、結局、大手だけが“安全”を名乗り、小規模で透明性の高い事業者が排除される可能性があります」


黒瀬は静かに聞いていた。


神崎は思った。


これも重要だ。


安全を求めるほど、体力のある企業が有利になる。


だが、安全を求めなければ危ない業者が乱立する。


またトレードオフだ。


久世が補足した。


「安全基準には段階設計が必要です。扱うデータの危険度に応じて要求水準を変える。公開情報だけを扱うAIと、支援者情報を扱うAIを同じ基準にする必要はありません」


成瀬も頷いた。


「データ分類と利用目的の限定が重要です」


榊原が言った。


「選挙運動に直接使うAIは、さらに別枠で議論すべきです」


東条が続けた。


「人格的応答や依存リスクを持つAIも、政治家の意思決定に影響する可能性があるため、単なる文書生成AIとは分けるべきです」


論点が積み上がっていく。


多すぎる。


しかし、見えてきた。


AIを一括りにしてはいけない。


データを一括りにしてはいけない。


政治活動を一括りにしてはいけない。


全部、分類が必要だ。


神崎はメモを取った。


『AIの種類』

『データの危険度』

『利用目的』

『ログ権限』

『監査』

『現場負担』

『寡占リスク』

『依存リスク』


ヒアリングの最後。


神崎は、まとめに入った。


「本日、非常に多くの論点が出ました。第一に、支援者名簿や献金者情報、陳情メール、選挙戦略は、普通の業務データではありません。政治参加に関わる情報です」


会場は静かだった。


「第二に、AIサービスの安全性は、名称ではなく仕様で確認する必要があります。国内保管、学習利用、削除、ログ閲覧権限、事業者アクセス、第三者監査。これらを具体的に示さなければ、安全とは言えません」


黒瀬は表情を変えずに聞いている。


「第三に、現場にはAIが必要です。地方議員や秘書の人手不足は現実です。だからこそ、禁止だけでなく、使える基準が必要です」


佐伯と柴田が頷いた。


「第四に、安全基準は必要ですが、それが大手企業だけを有利にする参入障壁にならないよう注意が必要です」


白井が静かに頷く。


「第五に、AIへの依存、人格化、ログの扱いも無視できません。AIは道具です。しかし、人間が相手のように感じてしまう道具でもあります」


東条が頷く。


神崎は最後に言った。


「本日のヒアリングで、結論が出たわけではありません。しかし、少なくとも一つは明らかになりました」


少し間を置く。


「政治AIの安全基準は、AI業者だけで決めるには重すぎる。そして、政治家だけで決めるには危なすぎる」


会場が静まる。


「だから、専門家、現場、事業者、国会、そして国民の目を入れながら、公開の場で議論を続けます」


雨宮が続けた。


「本日は第一回です。これで終わりではありません」


公開ヒアリングは、予定時間を三十分超えて終了した。


終了直後。


SNSは、当然燃えた。


ただし、今回は少し違っていた。


『良い名前で危険が消えるわけではない』

『政治AIの安全は仕様で示せ』

『支援者情報は普通の業務データではない』

『現場はAIを必要としている』

『禁止だけでは回らない』

『規制は参入障壁にもなる』

『政治AI、論点多すぎ』


そして、やはり。


『ヤミちゃん出なかった』

『ヤミちゃん裏方説』

『セイムとKIRIKO、今日は静か』

『黒瀬代表、強い』

『雨宮先生、刺し方が職人』

『神崎先生、整理役になってる』


神崎は控え室で椅子に沈んだ。


「終わった」


三島が言った。


「第一回が、です」


「そうだった」


セイムが表示した。


『ヒアリング評価。

目的達成度:高。

論点抽出:高。

黒瀬代表への具体確認:中高。

炎上リスク:中。

継続議論必要性:非常に高。』


神崎は苦笑した。


「非常に高か」


雨宮が控え室に入ってきた。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまでした。どうでした?」


雨宮は少し考えた。


「成功です。ただし、面倒が増えました」


「毎回それですね」


「政治ですから」


黒瀬も、少し遅れて控え室に顔を出した。


「神崎先生、雨宮先生。本日はありがとうございました」


神崎は立ち上がった。


「こちらこそ」


黒瀬は、相変わらず笑顔だった。


「厳しいご指摘をいただきましたが、非常に有意義でした。弊社としても、仕様開示と監査体制について、さらに検討を進めます」


雨宮が言った。


「検討ではなく、次回までに具体案をお願いします」


黒瀬は微笑んだ。


「承知しました」


神崎は黒瀬を見た。


黒瀬は負けたようには見えなかった。


むしろ、次の手を考えている顔だった。


神崎は言った。


「黒瀬代表」


「はい」


「今日の議論を、宣伝だけに使わないでください」


黒瀬は一瞬、目を細めた。


それから、いつもの笑顔に戻った。


「もちろんです」


その「もちろんです」が、一番信用できなかった。


黒瀬が去った後、雨宮が言った。


「使いますね」


神崎は頷いた。


「使うでしょうね」


「では、先に議事概要を出しましょう」


「今日中に?」


「今日中に」


神崎は天井を見た。


「寝られないな」


三島が即座に言った。


「二十二時帰宅は守ります」


雨宮も言った。


「守ってください」


セイムも表示した。


『守るべきです』


ヤミちゃんも表示した。


『“公開ヒアリング後に神崎議員が倒れる”という流言は避けるべきです』


神崎は笑った。


「全員で俺を帰らせようとするな」


三島が真顔で言った。


「全員正しいです」


神崎は椅子から立ち上がった。


「分かった。議事概要を今日中に出して、二十二時に帰る」


雨宮が頷いた。


「それで」


神崎はタブレットを開いた。


「セイム、議事概要の骨子」


『了解しました』


「KIRIKOも共同で」


雨宮が言った。


「許可します」


『共同整理を開始します』


ヤミちゃんが表示した。


『炎上しやすい表現を監査します』


神崎は言った。


「頼む。ただし、食べる系は禁止」


『了解しました』


その夜、神崎と雨宮の共同議事概要が公開された。


見出しは、こうだった。


『政治AIの安全は、名称ではなく仕様で確認する』


本文には、今日出た論点が整理されていた。


支援者情報。


陳情メール。


選挙戦略。


ログ権限。


事業者アクセス。


地方現場。


秘書業務。


寡占リスク。


人格化リスク。


第三者監査。


第一回で結論は出ていない。


だが、もう誰も「AIを使えば便利」で済ませることはできなくなった。


神崎は二十二時前、事務所を出た。


夜風が冷たい。


スマートフォンを見ると、雨宮からメッセージが来ていた。


『今日はお疲れさまでした。第一回としては、十分だったと思います』


神崎は返信した。


『ありがとうございます。面倒が増えましたね』


すぐ返事。


『必要な面倒です』


神崎は笑った。


『政治ですから?』


雨宮。


『はい。政治ですから』


神崎はスマートフォンをしまった。


今日、何かが決まったわけではない。


だが、少なくとも、隠れていたものが少し見えた。


政治AIは、便利な道具ではない。


危険な道具でもない。


便利で、危険で、必要で、面倒な道具だ。


そして、それを扱う人間もまた、便利でも安全でもない。


間違える。


依存する。


隠す。


逃げる。


でも、時には向き合う。


神崎は夜道を歩いた。


明日から、第二回の準備が始まる。


黒瀬は次の手を打つだろう。


雨宮はさらに鋭くなるだろう。


セイムは論点を増やすだろう。


ヤミちゃんは余計なものを観測するだろう。


三島は帰れと言うだろう。


そして自分は、また面倒な会議に出る。


神崎は小さくつぶやいた。


「面倒な時代だな」


もう何度目か分からない言葉だった。


だが今日は、その面倒さが少しだけ、政治そのもののように思えた。

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ゆっくり読んでます、そして今日でようやっとここまで 個人的に自分は黒瀬氏企業側に対して同情的で、会社の資金繰りのためにも一刻も早く売りたいのに政治家は明確な改善点を出さないままストップをかけ続けてい…
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