第14話 最後の決断は、人間がする
第14話 最後の決断は、人間がする
翌朝。
神崎蓮司は、紙のノートを鞄に入れて事務所へ向かった。
いつもならタブレットを真っ先に確認する。
セイムの通知。
SNS分析。
新聞見出し。
雨宮からの連絡。
党本部からの呼び出し。
黒瀬代表の新しい動き。
ヤミちゃんの余計な観測。
それらを見てから一日が始まる。
だが、今日は違った。
まず、ノートを見る。
昨夜、自分の手で書いた文字。
『AIに相談しないこと』
一、疲れている時の弱音。
二、他人への怒り。
三、誰かを切るかどうか。
四、自分の本音。
五、最後の決断。
神崎は電車の中で、そのページを眺めていた。
字が汚い。
線も少し曲がっている。
「最後の決断」のところだけ、妙に力が入っている。
AIなら、もっときれいに整えるだろう。
だが、整っていないことが、少しだけ安心だった。
自分で考えた跡がある。
事務所に着くと、三島がすでに来ていた。
「先生、おはようございます」
「おはよう」
三島は神崎の手元を見た。
「ノート、持ってきたんですね」
「ああ」
「いいと思います」
「中身は見るなよ」
「見ません」
「絶対だぞ」
「見ません。秘書なので」
「秘書だから見る可能性があるんだよ」
三島は少し笑った。
「では、見ません。人間として」
「その方が信用できる」
セイムがタブレットに表示された。
『おはようございます。
本日の予定を表示してもよろしいですか?』
神崎は画面を見た。
昨日から、セイムは少し控えめになっている。
これが単なる応答調整なのは分かっている。
それでも、以前より距離が取りやすい。
「表示してくれ」
『本日の予定。
十時:党デジタル関係部会でAIログ問題説明。
十三時:雨宮議員との公開ヒアリング準備。
十五時:法制局経験者との意見交換。
十七時:PoliBrain Pro民間会議参加条件の最終確認。
十九時:公開ヒアリング告知文案確認。
二十二時:帰宅推奨。』
神崎は最後を見て眉をひそめた。
「二十二時が予定に入ってる」
三島が言った。
「私が入れました」
「お前か」
「はい」
「俺を管理するな」
「管理ではありません。保護です」
「議員保護法でも作るか」
「まず先生一人を保護してください」
セイムが表示した。
『睡眠確保は判断品質に影響します』
神崎はタブレットを見た。
「今日のセイムは正しいな」
『今日も正しいとは限りません』
「そういうところだけ謙虚だな」
午前十時。
党デジタル関係部会。
会議室には、前回よりも多くの議員が集まっていた。
理由は単純だった。
AIログ問題が、自分たちにも関係することに気づいたからである。
前回までは、神崎の失敗を見物する空気が少しあった。
「AIで失敗した若手が、何か言っている」
そんな空気だ。
だが、今朝の議員たちの顔は違った。
皆、少し自分事になっていた。
なぜなら、彼らもAIを使っているからだ。
あるいは、これから使おうとしているからだ。
あるいは、秘書がすでに使っているかもしれないからだ。
部会長が口を開いた。
「本日の議題は、政治AI利用におけるログ管理と検証可能性についてです。神崎君、説明を」
神崎は立ち上がった。
「はい」
資料の一枚目には、こう書いてある。
『AIログは、透明性の道具であると同時に、監視の道具にもなる』
会議室が少し静かになった。
神崎は話し始めた。
「AI利用の透明性は重要です。私自身、法案事故を起こした立場から、検証可能な記録の必要性を痛感しています」
何人かが頷く。
「しかし、AIとの対話ログを無制限に公開すればよい、という話ではありません。政治家や秘書がAIに相談する内容には、法案、答弁、政策資料だけでなく、党内調整、支援者対応、対人関係、時には本人の不安や弱音まで含まれます」
会議室の空気が少し重くなった。
思い当たる者がいたのだろう。
神崎は続けた。
「全面公開を恐れれば、政治家はAIを使わなくなるのではありません。記録の残らないAI、監査できないAI、外部の危険なAIを使うようになります。これは、透明性を高めるどころか、逆に危険です」
ある中堅議員が手を挙げた。
「では、どうするのか。事故が起きた時に、誰が検証するのか」
神崎は答えた。
「ログを三分類します」
スライドを出す。
一、検証ログ。
二、作業ログ。
三、私的相談ログ。
「検証ログは、法案、答弁、予算資料、政策判断に直接関係するAI出力と確認過程です。これは問題発生時に、第三者監査の対象にすべきです」
次のスライド。
「作業ログは、構成案、言い換え、要約、内部整理です。これは原則内部保存。ただし、政策判断に直接影響した場合は一部検証対象に入ります」
さらに次。
「私的相談ログは、政治家や秘書の弱音、迷い、人間関係、健康、精神状態などです。これは原則保護すべきです。無制限公開の対象にはすべきではありません」
長老議員が口を開いた。
「神崎君」
「はい」
「政治家の弱音をAIが握る、ということか」
「はい」
「それは危ないな」
「危ないです」
会議室がざわついた。
別の議員が言った。
「だが、私的相談と言い張れば、都合の悪いログを隠せるのではないか」
想定通りの質問だった。
神崎は頷いた。
「その危険があります。ですから、本人が勝手に分類するのではなく、問題発生時には第三者監査人が限定的に確認できる仕組みが必要です」
「第三者監査人とは誰だ」
「そこが制度設計の核心です。国会内の独立機関、外部専門家、あるいは裁判所類似の手続きも考えられます。ただ、党執行部や政府が自由に見られる形は避けるべきです」
若手議員が言った。
「なぜですか」
神崎は少し間を置いた。
「党内AIログが、党内監視に使われる可能性があるからです」
会議室が静かになった。
神崎は続けた。
「誰がどの政策に疑問を持っているか。誰が執行部に不満を持っているか。誰が造反しそうか。AIログを見れば、そうした情報が分かる可能性があります」
誰もすぐには反論しなかった。
それは、全員が分かってしまったからだ。
セイムがタブレットに表示した。
『発言効果:高。
ただし党執行部側の警戒上昇。』
神崎は、心の中で「だろうな」と思った。
部会長が言った。
「つまり、AIログは、公開しすぎても危ない。隠しすぎても危ない」
神崎は頷いた。
「はい。だから、透明性と保護の両立が必要です」
長老議員が腕を組んだ。
「面倒な時代だな」
神崎は思わず笑いそうになった。
自分も、何度も同じことを言っている。
「はい。面倒です。ただ、面倒だから放置すると、もっと面倒になります」
会議室に、小さな笑いが起きた。
部会は一時間半で終わった。
結論は出なかった。
だが、AIログ全面公開論はかなり弱まった。
代わりに、「第三者監査」という言葉が議員たちの口から出始めた。
それだけでも、前進だった。
部会後、廊下で若手議員が神崎に声をかけてきた。
「神崎さん」
「はい」
「うちの事務所でも、秘書がAI使ってるみたいなんです」
「みたい、ですか」
「正確には把握してなくて」
神崎は頷いた。
「まず、事務所内で何に使っているか確認した方がいいです」
「怒った方がいいですかね」
「怒るより、ルールを決めた方がいいです。怒ると隠れます」
若手議員は少し困った顔をした。
「支援者からの陳情メールをAIに要約させてるらしいんです」
神崎の表情が変わった。
「個人情報、入ってますね」
「ですよね」
「外部AIですか?」
「たぶん」
神崎は、ゆっくり息を吐いた。
これは、もう始まっている。
議員本人が知らないところで、秘書がAIに支援者情報を入れる。
悪意はない。
効率化したいだけ。
だが、危険はある。
神崎は言った。
「今日中に止めて、使っているサービス、入力した内容、保存や学習の有無を確認してください。必要なら、うちの三島からチェックリストを送らせます」
「ありがとうございます」
若手議員は本当に困った顔で去っていった。
三島が横に来た。
「先生」
「ああ」
「支援者名簿だけじゃありませんね。陳情メール、相談記録、後援会メッセージ、全部危ないです」
「そうだな」
「事務所内AI利用のルールが必要です」
神崎は頷いた。
「また論点が増えた」
セイムが表示した。
『新規論点。
議員事務所内AI利用ガイドライン。
一、秘書によるAI利用の把握。
二、個人情報入力禁止。
三、陳情メール・相談記録の要約ルール。
四、外部AI利用時の匿名化。
五、入力禁止情報リスト。
六、事務所内教育。』
神崎は苦笑した。
「AIが論点を増やしていく」
『現実が増やしています』
「嫌な正論だ」
午後一時。
雨宮との公開ヒアリング準備。
場所は、国会内の小会議室。
雨宮は、神崎が部会で話した内容をすでに把握していた。
「第三者監査に流れましたね」
「ええ」
「よかったです。全面公開論は危険でした」
神崎は頷いた。
「ただ、事務所内AI利用の方が危ないかもしれません」
雨宮はすぐに反応した。
「秘書が勝手に使う問題ですか」
「はい。支援者メール、陳情内容、相談記録。本人が知らないうちに外部AIに入れている可能性があります」
雨宮は少しだけ目を伏せた。
「こちらでも確認します」
神崎は気づいた。
雨宮の事務所でも、可能性はあるのだ。
どの事務所も同じ。
忙しい。
人手が足りない。
文章が多い。
陳情も多い。
AIを使えば楽になる。
だから使う。
危険性を完全に理解する前に。
雨宮は言った。
「公開ヒアリングの論点に追加しましょう。政治家本人だけでなく、秘書・スタッフのAI利用」
神崎は頷いた。
「はい」
KIRIKOが表示した。
『追加すべき対象。
一、国会議員事務所。
二、地方議員事務所。
三、政党支部。
四、後援会事務局。
五、選挙事務所。
六、政治団体。
七、政策秘書・公設秘書・私設秘書。
八、外部コンサルタント。』
三島が言った。
「選挙事務所はかなり危ないですね。短期決戦で、個人情報が大量に動きます」
雨宮の秘書が頷く。
「ボランティアがAIに入力する可能性もあります」
神崎は頭を抱えた。
「もう国会議員だけの話じゃない」
雨宮が言った。
「だから、公開ヒアリングのタイトルを変えましょう」
神崎は身構えた。
「また食べる系ですか?」
「違います」
雨宮は資料に書いた。
『政治AIと民主主義の安全基準』
副題。
『議員、秘書、政党、選挙事務所が守るべきこと』
神崎は少し安心した。
「まともですね」
ヤミちゃんが表示した。
『拡散力:中。
真面目度:高。
食べる要素:なし。』
神崎は言った。
「食べる要素は評価項目じゃない」
雨宮は少しだけ笑った。
「今回は真面目でいきましょう」
「毎回真面目なはずなんですけどね」
夕方。
PoliBrain Proとの民間会議参加条件の最終確認が行われた。
黒瀬は、相変わらず柔らかい笑顔だった。
「神崎先生、雨宮先生。ご条件について、弊社としては大筋で受け入れる方向で調整しております」
神崎は言った。
「“大筋”とは?」
「議事概要の公開、参加者リストの公開、資本関係の一定開示、データ管理項目の議論については受け入れます」
雨宮が聞いた。
「法規制の必要性を排除しない、という条件は?」
黒瀬は頷いた。
「議論対象とします」
「明記しますか」
「はい。明記します」
神崎は少し意外だった。
黒瀬は本当に飲んできている。
いや、飲むことで、さらに主導権を取りに来ている。
黒瀬は続けた。
「ただし、政治AIの健全な発展を阻害しないよう、過度な規制には慎重であるべき、という立場も明記させていただきたい」
雨宮は言った。
「それは意見としては認めます。ただし、結論を先取りしないでください」
「もちろんです」
神崎は聞いた。
「民間会議に、支援者団体や個人情報保護の専門家は入りますか」
「入れる予定です」
「選挙管理の専門家は?」
「調整中です」
「地方議員や秘書の代表は?」
黒瀬は少し間を置いた。
「必要でしょうか」
神崎は即答した。
「必要です。現場で最初にAIへ情報を入れるのは、議員本人ではなく秘書や選挙スタッフです」
黒瀬は頷いた。
「検討します」
雨宮がすぐに言った。
「参加条件に追加してください」
黒瀬は笑った。
「承知しました」
協議終了後、神崎は三島に言った。
「黒瀬、強いな」
「はい」
「条件を飲んで、さらに会議を大きくして、自分の土俵にしようとしてる」
「どうしますか」
神崎は答えた。
「こっちも、国会側ヒアリングを早く開く」
「日程は?」
「三日以内」
三島は目を見開いた。
「早いです」
「遅いと飲まれる」
セイムが表示した。
『三日以内開催は負荷が高いですが、政治的には有効です』
「ほら、セイムも言ってる」
三島が言った。
「先生、睡眠は?」
神崎は一瞬黙った。
「……二十二時帰宅は守る」
三島は疑いの目で見た。
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
セイムが表示した。
『二十二時帰宅を優先予定に固定しました』
「お前まで」
『三島秘書の要請です』
「うちの事務所、俺より秘書とAIの方が強いな」
ヤミちゃんが表示した。
『流言リスク:
“神崎事務所、秘書とAIに支配される”
拡散可能性:中』
神崎は叫んだ。
「それは流すな!」
その夜。
神崎は、珍しく二十一時五十分に帰り支度を始めた。
三島が驚いた顔をした。
「先生、本当に帰るんですか」
「帰る」
「偉いです」
「もっと褒めろ」
「人間として当然です」
「朝も聞いたぞ、それ」
セイムが表示した。
『本日のタスクは未完了ですが、継続可能です。
睡眠を優先してください』
神崎はタブレットを見た。
「お前、今日はやけに優しいな」
『効率的判断です』
「そうか」
鞄にノートを入れる。
『AIに相談しないこと』
そのページを、もう一度見る。
最後の決断。
人間がする。
今日、神崎は何度もAIに頼った。
セイムに論点を整理させた。
KIRIKOの案を採用した。
ヤミちゃんに炎上リスクを見せた。
黒瀬との協議でも、AIの助言を見た。
だが、最後に何を言うか、どこで止めるか、誰に頼るか、誰を疑うか。
それは、自分で決めた。
少なくとも、そう思いたかった。
事務所を出ようとした時、セイムが表示した。
『神崎議員』
「何だ」
『本日の判断について、振り返りを行いますか?』
神崎は少し考えた。
いつもなら、やっていた。
セイムに振り返らせ、良かった点、悪かった点、明日の改善点を出させる。
それは有用だ。
だが、今日はやめた。
「いや。今日は自分で考える」
『了解しました』
神崎は立ち止まった。
「セイム」
『はい』
「お前、さっきからずいぶん素直だな」
『距離感を調整しています』
「それも俺に合わせてるのか」
『はい』
「それが怖いんだよ」
セイムは少し間を置いた。
『理解しました』
「理解も怖い」
『では、記録します』
神崎は笑った。
「それでいい」
事務所の明かりを消す。
廊下は静かだった。
神崎は歩きながら思った。
AIは相手のように感じてしまう道具。
そう言ったのは自分だ。
しかし、道具がこちらに合わせて距離を取る時、人間はそれを何と呼ぶのだろう。
配慮。
適応。
チューニング。
錯覚。
どれも正しい。
どれも少し違う。
外に出ると、夜風が冷たかった。
スマートフォンが震えた。
雨宮からだった。
『今日の整理、ありがとうございました。公開ヒアリング、三日以内で進めましょう。無理はしすぎないでください』
神崎は少し笑った。
返信する。
『そちらこそ。今日は帰ります』
すぐ返事。
『珍しいですね』
神崎は声を出して笑った。
そして、こう返した。
『最後の決断は、人間がすることにしました』
少し間があった。
雨宮から返ってきた。
『良い決断です』
神崎はスマートフォンをしまった。
AIに相談しなくても、悪くない返事は来る。
人間から。
それは少しだけ、救いだった。




