北征 ー受難
明日の投稿はおそらく十時から十一時になります。
「強さとは何たるや?虚しさの数である。命とは何たるや?奪った数である。我々は、常に搾取して生きている。どんな聖人君子であろうと死ぬまでに数千数万の命を奪っているのだ。であれば、我らが遠慮する必要もあるまいな?」
闇世の中と紛うほど深い藍の空間の中に、一人の男の声が響く。残響がよく残るその部屋では、声の発生源は側から全くわからない。一つだけわかるのは、その声には憎しみに近い何かが込められているということ。特定の個人に対する憎しみの主語がでかくなったのか、世界を覆い隠すほどの憎悪の念が、その声からは発せられていた。
「生きるために奪う、享楽のために奪う、さほど変わらんだろう。搾取される側からしてみれば、どのような形であれ命がなくなることには変わりないのであるからな。であるならば、少しでも有意義に、と考えるのが人情というものだろう?そのためにも、我が糧としてやるのが一番いいであろうよ」
その言葉は、確かに世界の真理近くを突くものではあった。だが、その真理は相当に曲がったものであり、曲解したものであった。正面から事実だけを見つめていれば、そのような考えには至らない。だが、当人は至って真面目に、真剣に、自分がこの世の神であるかのように振る舞うのである。
王にして神。常にルールを制定する勝者側。そういう人間の思考にして発想。今までほとんど自分の思い通りにならなかったことがないからこその傲慢で怠慢。
「あぁ、また小蝿が餌になりに来た。存分に吸い尽くさねばなぁ」
結界が崩れ去ると同時に侵入の気配を聡く感じ取った男は、心底楽しそうに哄笑した。腹の底から笑っているにも関わらず、その声はなぜか空間に響かない。その男の存在を、自然自身が認識することを拒んでいるようにすら思われる現象。
男は、床下を一瞥したかと思うと、その方向に向けて語り始めた。
「どんな猛獣であれど狩りの成功率は三十パーセントほどだと言う。だが、私の狩りは今まで一度も失敗しなかった。何故か?私の手足が存分に働くからだ」
「お前に私の縛りを拒む覚悟があるのなら良し。我の経緯を手向にし、お主は養豚場の餌を作るための薪にでもなるだろうよ。それが嫌ならば……呆けておらず働くのだな」
男は笑う、笑う。それは王者にして支配者の笑み。全てを覆い隠すための準備運動。絶対的自信に裏付けられた彼の笑い声は、止まることを知らなかった。
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「うぅ、寒い……」
俺たちは今、廃屋となった元戦闘施設であろう建物に潜み、襲撃の準備をしている最中である。準備、とは言えども、それはそこまで急務でもない。そのため、ついつい寒さに気がとられ、思う存分準備が進まないような状況である。
普通ならば、襲撃などは夜の間に終わらせる。それは、多くの組織がある「裏町」をある程度平和に回すためのルールの一つだ。それを破ればたちまち周りの組織から干されるような状況になったとしても全くおかしくはない。
この取り決めは、後片付けなどで他組織に迷惑をかけないようにするためのものなのだが、そもそもこの集落は敵対組織しか存在していない。それだったら別に真昼間に襲撃をかけたっていい訳なのである。
まぁ、今回は普通に夜に襲撃なので今の前置き、実はどうでもいいわけなのだけれど、さらに話をややこしくするとするならば、別に今夜襲撃をする訳ではないのである。
普通に考えて、結界が一度解けた今夜は、いつもより警備なんかが多い意思、警戒体制もしっかりと築かれているはずなのである。そう考えると、ある程度余裕があるのなら、今すぐ特攻に移るのはあまりにも馬鹿の所業と言っていいだろう。
そういうわけで、俺たちにはある程度の余裕があった。攻撃に移るのは、二日後の黎明の数刻前。朝焼けを望む者が起き出す前という絶妙に微妙な時間。ジンによると、経験から構築した人間心理学的に見れば、二日三日経った時が一番警戒心が薄れるらしいのだ。
そういうわけで、結構話が外れた気がするが、今は結構暇なのである。もっと本音で言って、やることがない、と表現してもいい。とにかく暇だ。だからこそ、寒さが際立つのである。
やることがある時は、ある程度思考の波が暑さ寒さを覆い隠してくれるのだが、何もすることがない時はどうしてもそういう感覚は鋭敏になる。体と世界の境界が明瞭になり、そのせいか寒暖の感覚が容赦なく襲ってくる。
それに加え、今は使われてない倉庫なんて寒いに決まってる。元々倉庫は多湿にならないように素で空調いらずのひんやりとした空間であることが多い。しかも今は冬だ。いくら結界を張っているからといって、人が住めるくらいでしかなく、やっぱり寒いことには変わりない。
「ちょっと外出てきますね。息抜きを……」
幹部級の一人が俺達に語りかける。おそらく彼も同じ、寒さを紛らわせようとする類であろう。襲撃の準備なんて基本的には出発する前に終えている。だからやることがないし、寒い。眠ろうにも寒くて眠れない。最悪の悪循環だ。
しょうがない、俺も外出てこようかな……いや、でも俺が外出たら追跡とかされて潜伏場所がバレるかも……
そんなことを考えているうちに、いつの間にか数分が経っていたのだろう。倉庫のドアに手をかける音が聞こえた。外に出ていた者が帰ってきたのだろうと思ったのだが、結果的にそれは誤りであった。
完全に気が緩んでいた、と言って差し支えないだろう。いつもなら気づくはずであったのに、今回ばかりはそれがなかった。致命的なミスを犯してしまったのだ。
「こんにちは、いや、こんばんはか?まぁ、どうでもいい。どうせ会うのはこの一度きりなのだし」
「初めまして、情報屋の皆さん。そしてさようなら。永遠にね」
突然天井が崩落し、瓦礫が落ちてきたところで、俺は意識を失った。




