狼煙
ファイズから課せられた特訓。彼は、特に何も特別なことは教えてくれなかった。自分で考え、試行錯誤。それが彼の教育方針であり、俺が一番伸びる方法だったのだと言う。
三日間ほど特訓を受けた後、彼は俺に一通の手紙を預け、去って行った。もう教えることがないとかそういうのではなく、単純にいろいろと準備があって俺に教える時間がなくなったからだと言っていた。
確かに、よく考えてみれば戦争前なのだ。恐らく古代種であり、多大なる戦力であるはずの彼が俺につきっきりで指導をするほど余裕はないだろう。
「大丈夫。この手紙に、これから君が必要とすることを全て残した。これに従って訓練してくれ」
ファイズは、去り際にそんな言葉を残して去って言った。自信満々な彼の言葉には確かに説得力のようなものがあったが、それでも俺の不安は拭えなかった。
だって、これからの俺の訓練に必要なことが全て書いてあるだなんて、そんなことができるわけがないじゃないか。必要な情報と言うのは、刻一刻と変わっていくものだ。
その状態で必要な知識を全て残す?そんなことができたら、彼はもう神と変わりないじゃないか。
結論から言うと、彼の残した手紙は俺を導き続けることになった。約二週間、その手紙の指示に従い、俺は訓練を続けていた。
流石にそれだけの間、ずっと傭兵組合の地下を使い続けるわけにもいかず、結局情報屋の地下訓練場を使わなければいけなかったのだが。
「航様、そろそろです」
アジトに帰ってからも合間を縫うように訓練をしていた俺に対して、ジンは少し呆れたように声をかけた。どれほど経ったかも分からない。それほど深い集中の沼に潜り込んでいた俺は、彼の言葉で意識を内面から外界に向けた。
「あぁ、もうそんな頃合いか。いよいよ始まるんだな、俺達の生存を賭した戦争が」
街並みが宵に染まりかける、そんな時間帯。俺達は作戦行動を開始した。身につけるのは、相変わらずの夜色の戦闘服である。
この服は、夜の野外の戦闘には向いているのだが、それ以外はからっきしである。しかも、今回行うのは、そのシュチュエーションでの戦闘ではないのだ。思いっきり室内戦である。正直、問題しかないと思うのだけれど、ジンが何も言わない以上、俺は彼に従うことにする。
「定例会議」は夜、月が完全に昇った時に始まるのが慣例とされている。今回もその慣例通り、行われるのはかなり夜遅くだ。
月の上り具合だなんて日によると思うのだが、何とこの世界では毎日一緒らしい。何とも不思議な現象である。この世界で宇宙の勉強をする人は少しは楽だろうな、とかそんなくだらない考えが脳に浮かぶ。
「トレース」と魔法のおかげで自信がついたのか、無駄な思考ができるくらいには余裕があることに心当たる。それ自体はいいことに違いないのだが、今この時間気が緩むのは非常に困る。俺は、大きく自らの頬を張り、気合を入れ直した。
その後俺達は、だんだんと色濃くなって行く闇夜の気配に紛れ、マーディッシュ商会の本部近くに移動していた。この戦闘服はこう言う時にはとても便利である。
俺でさえ絶対に誰にも見られずに移動できている自信があるのだ。やっぱりジンが重宝しているだけあって機能性は抜群なのである。
勿論ジンに教え込まれた諜報の術のお陰もあるのだろうが、やっぱり大きいのは服の性能である。俺はまだ情報屋の面々のように人を止めるところまでは来ていないのだ。
そのまま、長時間息を殺して潜み続ける。少し前だったら絶対に飽きていたこの時間も、訓練の副産物として絶大な集中力を得た俺にとっては、少しの待ち時間程度の感覚である。
数時間は潜んだであろう。月もかなり高くなった頃、静寂に包まれた街並みの中に、車輪の回る音が響いた。言うまでもなく、マーディッシュの代表が「定例会議」に出かける馬車の音である。
それは、今回の作戦の開始を告げる音であり、開戦の狼煙であった。
いよいよ、次回から「裏町覇道」編のメインシーンです。




