罠
現在、この場は完全なる静寂に包まれていた。どこにでもある、ありふれた街道。だが、その場所の雰囲気だけは尋常ではなかった。明らかに平和的でない視線がそこかしこを飛び交っている。その様子は、一触即発の空気を何とか闇夜の溺れそうなほど深い夜色で覆い隠しているような、そんな危うさがあった。
静寂。人がいるなら絶対に起こり得ることのない現象。いいや、違う。この世に完全なる無音の空間など存在するはずもない。にも関わらず、この場にはそれがあった。俺は、一瞬ここが世界から切り離された空間であるような錯覚を覚えた。
眼前にいるのは、「クロニック」の構成員であろう男達。二十名ほどが固まっており、その中心には、現れた瞬間に俺が一発を入れた男が立っている。立つのもやっとという感じに見えるが、そもそも「トレース」と『悪役』補正で限界まで威力が高まっている俺の打撃を受けて立っている時点で十分普通ではない。
実は訓練中、一回、一気に十枚くらい石畳を割っているのだ。その時と同じくらいの威力の攻撃が、急所にしっかりと入っているはず。何で意識を保っていられるのか不思議でならない。
一方、子供達も一箇所に固まり、男達を舐めるように観察している。相手の力量を見極めるため、しっかりと「見る」事は大事だが、観察されている方からしたら本当に落ち着かないだろう。
形勢は、こちらの方が有利。相手方はそう判断したのか、それぞれ散るのではなく、固まることを選んだ。実際は全然そんなことはないのだが。だが、この勘違いは非常にありがたい。虚勢を張っているのが決してバレないように、俺達は余裕のある表情で相手を見つめ続ける。
こうして、触れたら爆発する繊細な爆弾のような状況が作り出された。
こちらとしては、先に均衡を破るにわけにはいかない。微塵も引く姿勢を見せてはいけないのだ。そもそも俺達の目的が揺動である以上、この状況が続くのが最も好ましいのだ。クソほど気まずいが。
だが、状況は動いた。動いてしまった。諸行無常、である。
「一旦引け!」
静寂を切り裂くように重厚な低い声が辺りに響く。声の主は敵方のリーダー格であると思われる男の声だ。彼から出された指示は、俺達にとって最も都合の悪いもの。「撤退」だ。まだ戦ってすらいないと言うのに、諦めが早すぎである。
当然俺としては行ってもらったら困るわけで、止めに入るしかない。
妨害行動に入る俺達の行動を予知していたかのように、彼らはそれぞれ俺たちの行動を阻害するための攻撃を放つ。短刀を投げつけるとかせいぜいそんなものだったが、訓練で回避行動が染み込んでいる俺たちは、自然と回避を行っていた。
子供達も、である。ジンの積み重ねが、完全の裏目に出てしまった珍しい例だ。
その隙を突き、彼らは一斉に建物の中へと入り込んでいく。その動きは、あくまでも利己主義に基づいた連携であり、彼らが傭兵であることを強烈に実感させられた。
「すみません、建物の中に逃しました。今から追跡します」
ジンに一報を入れ、「了解」の返事を聞いてから、俺たちも建物の中に入る。子供達は罠を過剰に警戒していたが、普段生活している場所に罠なんかあるわけがない。さすがに心配しすぎである。
だが、地の利は彼らにある。襲撃は警戒せねばなるまいし、多人数で固まるのは危険だ。というわけで、俺は単独行動、それ以外は二人組で敵を掃討していくことになった。
なんで俺が一人なのか?陰キャは「二人組になってください」が苦手なんだ。中学時代の俺は、体育は毎回教師と一緒にやっていたしな。
子供達と別れ、一人で十分ほど探索する。電気が全くついていない廊下を歩いていく。足音の残響が廊下を走っていく。誰かに気づかれないかと焦ったが、幸い誰とも遭遇雨する事態にはならなかった。
しばらく歩いていくと、広間のような場所に出た。建物の中は案外広かったが、ジンが入手した地図をこっそりと書き写していたので、迷うということはなかった。
道すがら誰にも会わなかったからか、すっかり気が抜けていたのだろう。俺は、人の気配にさっぱり気付くことができなかった。あまりにも堂々と、そこにいたというのに。
骨格からして男性だと思われる。西洋人形を彷彿とさせる異常なほど整った顔を持ち、伸ばした白髪を後ろで軽くまとめ、印象的なコバルトブルーの瞳を輝かせている。
男性にしては小さめな体躯だが、その体からは幾千幾万の窮地をくぐり抜けてきた風格が感じられた。身につけているものは、純白の軍服風の衣装。そして、日本刀。無駄な装飾などは一切無い、戦うためだけの装備に思わず気圧されてしまう。
彼は、悪意が豊満に込められた無邪気な口調で俺に話しかけてきた。
「やあ、待ちくたびれたよ。航君」
本日は余裕があるので二話投稿を行います。これは、第一弾です。
二話目は二十時に投稿します。




