夢幻泡沫の悪魔2
「……そいつが俺ってわけかよ?」
懐疑的に尋ねる玲児に、ユリアが苦笑を浮かべる。
喫茶店の小さな喧騒。
その雑音に馴染ませるように、淡々とした口調で語られた二人の出会い。
死後のユリアと生前の玲児。
玲児の記憶にはないその過去の経緯に、彼はただただ困惑した。
ユリアがオレンジジュースを一口飲み、「忘れておるのも無理ない」と頭を振る。
「悪魔による攻撃を受けたのじゃからな。
お主はその肉体だけでなく、魂までも傷つけられた。
わしが肉体ごとお主の魂をベルリンに運んだ時、お主の魂はもはや半壊状態。
本来ならば、お主の魂はそのまま自壊し、魂の死を迎えておるはずの重傷じゃ」
しかし玲児の魂はこうして、ユリアの守護隷として存在している。
それは一体、どういうことなのか。
無言のままユリアを見つめる玲児に、彼女が唇を開く。
「破損したお主の魂を、わしが人工魂により補修した」
「補修?」
オウム返しに尋ねる玲児。
ユリアがこくりと首肯し、言葉を続ける。
「建物の補修と同じじゃ。
著しく破壊され、今にも倒壊しそうな建物を、新しい木材や釘を使用して、その形を保つ。
悪魔に攻撃されたことで破損したお主の魂を、わしの人工魂でつぎはぎし、失われた機能を再生させたのじゃ。
もっとも――」
ユリアが一度言葉を区切り、肩をすくめる。
「言うほど簡単な作業でもないがの。
お主という存在を保ちつつの補修は難儀なものじゃった。
建物も補修が過ぎればまるで別の建物となるじゃろ?
その匙加減を見極めながらの作業は、さしものわしも多大な時間を有した。
だが補修は上手くいき、お主はわしの守護隷となり、ここにおる。
残念ながら記憶までは完璧とはいかんようじゃったがな」
「……じゃあ、俺の魂が死霊魔術師や退魔師からみて、悪魔だと感じられるってのは?」
志田から告げられた不安の元凶。
玲児のその疑問に対し、ユリアが「簡単な話じゃ」と、あたかも彼の心情を見透かしているかのように、気楽な口調で説明を始める。
「わしらは人間とは異なる魂を感じ取ると、それらを全て悪魔だと判断する。
お主の魂は補修工事により、人間のそれとは魂が微妙に異なる。
ゆえに悪魔と称されるのじゃ」
「だったら俺は……もともと人間なんだな?」
「何を当たり前なことを」
ユリアがさも呆れたように、大仰に肩をすくめて見せた。
「そもそも、お主が人工魂だというのなら、お主のような反抗的な性格になど、するわけがなかろう。
お主はもう少し、主人に対する敬意というものを持つべきなのじゃぞ」
最後にされたユリアの苦言など、玲児の耳にはまるで入ってこなかった。
彼はただ、自身が確かに人間であったという事実に、呆然としていた。
不完全な記憶。
そこから派生した一連の疑問。
証明できない人間としての過去。
指摘される悪魔としての可能性。
自分は本当に下陰玲児であったのか。
それともその魂は人工的に造られたものであり、下陰玲児としての記憶は全て、偽りのものなのか。
自分は頭が良いほうではない。
性格もどちらかといえば楽観的だ。
それでも、自身の存在が曖昧となっていたこの一日は、まるで体に直接鉛でも詰め込まれているかのように、胸が重く息苦しいものであった。
その彼を苛んでいた重苦しい何かが――
すっと溶けるようにして消えていく。
ユリアの話を聞いて、間抜けに目を丸くしていた玲児。
だがしばらくして、まるで空気が抜けたように、彼はがっくりと肩を落として、強張っていた体を弛緩させた。
安堵から笑みが思わず浮かぶ。
どうやら自身が思っていた以上に、自分の存在に対する不安は大きいものであったらしい。
そんなことを他人事のように考えていると、玲児はふとあることに気付いた。
ストローを咥えているユリアに視線を投げ、訝しげに尋ねる。
「……お前ついさっき、俺が人工魂だとしたらって話したよな?
まさかお前、人間なのか人工魂なのかってことで、俺が悩んでたこと知ってたのかよ?」
「知っておったよ。
正確に言うならば、予想していたということじゃがの」
「どうして?」
「言うたじゃろ?
お主は素直だとな」
何でもないことのようにさらりとそう答えて、ユリアが言葉を続ける。
「昨日からお主が、何かについて思い悩んでおることは、分かっておった。
そしてそれが、記憶の欠落による不安であることも、察しておった。
フィリナやプラトンから人工魂の存在を知れば、もしや自分もとお主が不安視するのは、至極当然じゃからな」
「……だったら、すぐにそれを否定してくれれば良かったじゃねえか」
「甘えるでない。
疑問があるのなら、自ら頭を下げて尋ねるのが礼儀じゃろう」
やれやれと頭を振り、ユリアが「しかし……」と小さく微笑む。
「わしとて多少は気を遣い、わしに訊きたいことはないかと、呼び水をくれてやったのだぞ。
だというのに、ヘタレなお主は暗い表情で『ない』などとのたまう始末じゃ」
死霊魔術協会横浜支部局。
そこに向かう道中で、ユリアは唐突とも思えるタイミングで、死霊魔術について質問がないかと、玲児に尋ねてきた。
その時は疑問に思わなかったが、どうやらそれは、ユリアなりに玲児を気遣っての、配慮であったらしい。
「このまましばらく放っておいても良かったのじゃが、昨日、協会から戻ってきてより、お主の顔色がさらに悪化しておった。
恐らくキリウあたりに妙な入れ知恵でもされたのじゃろうが……こじれても面倒がゆえ、仕方なくわしから話すことに決めたのじゃよ」
「……そういうことかよ」
玲児は大きく嘆息すると、ポリポリとこめかみを掻いた。
「ああっと……何だか、悪かったな」
「まったくじゃ」
玲児の謝罪に、ユリアが気だるげに手首をプラプラと払う。
「守護隷であるお主が、主人であるわしに気遣わせるなど、本来あってはならぬことじゃぞ。
お主はこの反省を生かし、今後は主人であるわしには一切の口答えはせず、わしの靴の裏を舐めて、ついでにナメクジあたりでも舐めろ。
週一でな」
「……断る」
「ならばその代わりに、今日だけはわしの言うことを何でも聞いてもらうからな?」
上から目線で告げられた、ユリアのその言葉に、玲児は苦笑する。
普段の彼ならば多少は腹も立てただろうが、今回に限り文句を言える立場でもないだろう。
玲児は「へいへい」と、おどけるように肩をすくめた。
「できる限りそうしてやるよ。
あんま無茶な要求とか金に絡んだもんは無理だがな」
「文無しのお主にそんなことは頼まんよ。
ならばまずは――と?」
ここでふと気付いたように、ユリアが目を瞬いて、持っていたバッグからスマートフォンを取り出した。
端末を操作して画面を見つめるユリア。
彼女の碧い瞳が、何かをなぞるように左右に揺れる。
怪訝に眉をひそめる玲児に、ユリアが「ふむ」と口を開く。
「とりあえずは、お主には一旦屋敷に戻ってもらおうかのう」
「は?
何で」
首を傾げる玲児。
ユリアが「今しがた連絡がきたのだが」と、ことも何気に言う。
「いま屋敷のほうで、悪魔となったキリウが暴れているらしいぞ」




