夢幻泡沫の悪魔3
灰色の天井を見上げる桐生。
地下にあるこの部屋は、この天井よりさらに上に、二階建ての建物が存在している。
それら全てを貫くように、彼は意識を尖らせる。
直後――桐生の見上げていた天井が粉々に砕けて、巨大な穴が空いた。
狭い地下部屋にもうもうと立ち込める土埃。
だが桐生は、その埃が目に入るのも構わず、天井に空いた穴を瞬きなく見つめる。
地下室の天井のみならず、地上の建物をも直進的に貫いている天井の穴。
その穴からは上空の青空が覗き見えていた。
桐生は微笑みを浮かべると、天井の穴に映る青空を見つめながら、自身の体を意識の膜で包み込む。
桐生の体がふわりと浮き上がり、まるで見えない糸で吊り上げられていくように、天井の穴を通り抜けていく。
そしてそのまま、地上にある建物を横切り――
上空へと浮上した。
高層ビルのない住宅街を、上空からぐるりと眺める桐生。
住宅が連なるだけの面白味のない景色。
このような味気ない景色よりも、美しい景色は幾度となく目にしてきた。
だがどれほど息を呑む美しい景色であろうと――
今ほど気分が高揚したことはない。
屋敷の破壊音に、屋敷のリビングでくつろいでいた女性陣が、玄関から姿を現した。
ユリアの守護隷である、青い髪を腰まで伸ばしたメイド服の少女――フィリナ。
桐生の守護隷である、黒髪をおかっぱにしたアイドル衣装の少女――キシリア。
そして、死霊魔術師と敵対関係にある退魔師、長い黒髪を三つ編みした巫女姿の少女――如月皐月。
半壊した屋敷の惨状に、目を丸くする三人の少女。
その少女の一人、フィリナが上空に浮かんでいる桐生の姿を見つけ、指を差して二人の少女に何事か話していた。
困惑する少女らを微笑ましく眺めながら、桐生は体を包み込んでいる意識を操作する。
空中で桐生の体が静かに動きだし、少女らの元へと近づいていく。
玄関の近くで呆然とする少女らの頭上を跳び越えて、庭園の中心付近にある噴水の手前で――
桐生は音もなく着地した。
「やあ、すまないね。
驚かせてしまって」
そう気楽な口調で、三人の少女に話し掛ける桐生。
だが三人の少女から返答はない。
彼女らはただ目を丸めるだけで、声を詰まらせたように沈黙していた。
少女らが驚くのも無理はない。
桐生はそう冷静に分析していた。
屋敷の破壊が彼によるものだから――ではない。
彼女らが驚愕する理由はもっと単純なことだ。
それは、彼の容姿に関係していた。
志田桐生。
彼のその姿はすでに、人ならざるものに変貌していた。
ざわざわと波立つ長い黒髪。
まるで血管のような黒い痣が浮かび上がった薄紫色の肌。
黒い眼球に赤い瞳。
頬まで裂けた唇から覗く、肉食獣に似た鋭い牙。
服装は屋敷を訪れた時と変わらず、白のワイシャツにグレーのズボン。
その衣服だけが、彼が志田桐生という人間であったことを示していた。
人間ではないその顔に、人間の時と同様に穏やかな微笑みを浮かべる桐生。
その彼の異形な姿に沈黙する三人だが、彼の右手に抱えられていたあるモノを見つけたフィリナが、その沈黙を破り悲痛な声を上げた。
「――プラトンさん!?」
フィリナの声に、桐生はのんびりと、その視線を少女から自身の右腕に下ろした。
彼の右腕には、ぐったりと弛緩した少年が抱えられている。
だがしかし、それを少年と称して良いかは意見の分かれるところだろう。
なぜならその少年は、人としてあるべき――
下半身が存在していなかったのだから。
「こんな……ひどい」
上半身だけとなった少年の、その無残な姿に声を震わせるフィリナ。
桐生は少年の腰元の、その破壊された断面を何の気なしに眺めながら、淡々と事実を口にした。
「これかい?
まだ力の制御が上手くいかなくてね、少々やりすぎてしまったんだ」
そう話して、桐生は右腕に抱えた少年を、無造作に少女らに向かって投げ捨てた。
少年の上半身が庭園の石畳を転がる。
フィリナが青い髪を振り乱して、地面に仰向けに倒れる少年へと駆け寄った。
少年のそばに屈み込み、フィリナが青い瞳を震わせる。
「そんな……プラトンさん!
プラトンさん返事をしてください!
プラトンさん!」
「む?
なんだ?」
「きゃあああああああああああ!」
フィリナの呼び掛けに、平然と答えるプラトン。
相当びっくりしたのか、まるで幽霊でも見たように、顔を蒼白にして悲鳴を上げるフィリナ。
その彼女の姿に、今度はプラトンのほうが、驚いたように目を瞬いた。
ひとしきり声を上げて落ち着いたのか、フィリナがプラトンにおずおずと尋ねる。
「えっと……え?
プラトンさん。
ご無事なんですか?」
「無論だ。
どうした?
そんなあたかも、信頼して敬愛して崇め奉っていた、超絶かっこよくて素敵無双な先輩様が、よもや死んでしまったのはないかという顔をして?」
「そこまでは思っていませんが……下半身がなくても大丈夫なんですね?」
「大丈夫という定義にもよるが、生命維持という観点ならば問題ない。
因みに前回は、腹に穴を空けられ気を失ったが、その失態を挽回すべく、今回は意識を残してみたぞ」
「意識のありなしって、そういう感じで決められるものでしたっけ?」
「しかし下半身がスース―して落ち着かん。
スカートとはこういう気分なんだろうな」
「違うと思います」
非生産的な会話をする二人の守護隷。
桐生は微笑むと、親しげに二人に話し掛ける。
「さすが、ユリア先生の守護隷だ。
それだけの被害を受けて魂が無事だとはね」
「当然だろう。
断っておくが、俺がその気になればこのような怪我、瞬時に完治できる」
「そうなんですか?
でしたらすぐに治されたらいかがでしょう?」
フィリナの当然ともいえる言葉に、プラトンが悩ましげに眉をひそめた。
「そうしたいのはやまやまだが、俺の魔術で再生する場合、修復されるのは下半身に衣服という順序でなされる。
つまり、その再生途中に俺は一度――フルチンとなる」
「……はあ」
「人前では恥ずかしい」
まったく恥じらう様子もなく、腕を組んで堂々と胸を張るプラトン。
そんな少年にどう返答したらよいのか分からないのか、フィリナが曖昧な表情で首を捻る。
するとここで――
突如として放たれた二発の銃弾が、桐生の眉間手前で停止した。
空中に浮かんだ銃弾が、一瞬の間を挟んで地面に落下する。
カンッと地面に跳ねる銃弾を見下ろした後、桐生は銃弾の出所となる、屋敷の玄関付近へと視線を向けた。
退魔師の如月皐月が、両手に拳銃を構えて表情を強張らせていた。
桐生は、少女の構えている拳銃――恐らく本物ではない――の銃口を見据えつつ、淡々と言葉を紡ぐ。
「会話の途中で酷いな……けど、退魔師としてその判断は適切だね」
「――っ……この悪魔め」
強張らせていた表情に、鋭い敵意を覗かせる退魔師。
少女から放たれるその心地よい気配に、桐生は頬が緩むのを自覚しつつ、手招きするように両手を広げる。
「そう悪魔だよ。
退魔師が悪魔と遭遇した時、取るべき行動は一つだけのはずだ。
だというのに、なにを呆けているのかね?
まさか、私という悪魔に怯えているのかな」
「――ふざけるな!」
桐生の安い挑発に、退魔師が両手に構えた拳銃の、その引き金を遮二無二に引き絞る。
銃口から放たれる無数の銃弾。
その全てが、桐生に着弾する前に空中で停止した。
退魔師と桐生を結ぶ線上にいたフィリナが、すぐ近くを横切る銃弾に身の危険を感じたのか、身動きの取れないプラトンを抱えて、素早く脇に退避した。
僅かな間隙もなく、桐生に向けて発砲され続ける退魔師の銃弾。
だが幾ら退魔師が引き金を絞ろうとも、宙に停止する銃弾の数が増えるばかりで、結果に変わりない。
徐々に焦燥を募らせていく退魔師に、桐生の内心で意地の悪い笑いがこみ上げてくる。
退魔師の銃弾が止む。
拳銃の弾が尽きたのか、或いは、この攻撃が無意味だと悟ったかの、どちらかだろう。
ギリギリと歯ぎしりする退魔師を眺めながら、桐生は広げていた両手を脇に下ろした。
それと同時に、空中に停止していた無数の銃弾が、一斉に落下する。
「退魔師の哀しいところだね。
君達は脆弱な人の体というハンデを、武器を駆使して補おうとする。
だが真に強力な悪魔と相対した時、退魔師は普通の人間と何ら変わりない」
「こ……舐めるなぁああ!」
退魔師が背後に手を回して、背中から日本刀を引き抜いた。
日本刀の長さを考えても、少女の背中にそれを隠せるはずもない。
だがそんな桐生の疑問を他所にして、一直線に迫りくる退魔師。
一息に距離を詰めた少女が鋭く刀を振るう。
そして――
桐生に刃が触れる前に、パキンと音を立ててその刀身が砕けた。
「――そんな!?」
「やはり……退魔師とはこんなものか」
桐生が手を伸ばす。
その桐生の手から逃れようと素早く後退する退魔師。
それと同時に、少女が懐から鎖鎌を取り出し、分銅の付いた鎖の先を、桐生に投げつけた。
桐生の体に鎖が巻き付き、動きを拘束する。
さらに続けて、退魔師が鎌を投げつけるも――
投げつけられた鎌も、体に巻き付いた鎖も、一瞬にして砕けて弾かれた。
「――く」
砕けた鎖の破片に、目を咄嗟に細めて眼球を防御する退魔師。
その彼女に向けて、桐生は伸ばした手の指先を、ピンッと弾く。
その直後――
顎をカチ上げられた退魔師が、大きく後方に吹き飛んで、背中から地面に落下した。
仰向けに倒れたまま、起き上がろうとしない退魔師。
まるで死んだように身動きがないが、少女の胸が小さく上下しているため、気を失っているだけだろう。
桐生はそれを確認すると、伸ばしていた手を静かに下し、意識のない少女に微笑み掛ける。
「人は殺さない。
後処理が面倒だからね。
脆弱な退魔師で良かったね。
ただし――」
桐生はそう言うと、浮かべた微笑みをそのままにして、屋敷の玄関へと視線を向けた。
そこには、呆然とした面持ちでこちらを見つめている、おかっぱ頭の少女がいる。
志田桐生の守護隷であるキシリアだ。
目尻の垂れた瞳を大きく見開く少女に、桐生は淡々と告げる。
「悪魔相手にその優しさは不要だね。
私を殺すつもりでおいで、キシリア」
「……どうして?」
キシリアの下らない問いに、桐生はクスリと吹き出して、当然のように言う。
「そうでなければ、私の体に憑依させた、この悪魔の性能を確かめることができないからさ。
無論のこと、先生の造り上げた悪魔の性能を疑うわけではないが、私がもっとも信頼する守護隷である君を――私が殺すことができれば、確かな証明となるだろう?」
「……どうして?」
同じ問いを繰り返すキシリア。
彼女の無垢な瞳を見つめ、桐生は嘲るように笑う。
「……死霊魔術師にとって、守護隷は道具にしか過ぎないだろう?
必要な時に、必要な方法で利用することに、どうして理由が必要となるんだい?」
桐生のその一言に、困惑を浮かべていたキシリアの、黒い右眼と赤い左眼が――
冷たい気配を帯びる。
キシリアの変化に満足しつつ、桐生は意識を集中していく。
「さあ、おいで。
気付いているとは思うが、死霊魔術師と守護隷の契りなど、私が悪魔に転化した時点で、解消されている。
君は全力で私を殺しに掛かれるはずだ」
「――!」
キシリアの赤い瞳が眩い輝きを放つ。
次の瞬間、桐生の全身を赤い炎が包み込み――
あっさりと消失した。
魔術の炎が打ち消され、キシリアの感情のない表情に動揺が浮かぶ。
桐生は、僅かに焦げたワイシャツの裾を指先で撫でつつ、困惑する彼女に言う。
「別に驚くようなことじゃない。
君の魔術――『視点永炎』は、確かに君の意思がない限り消失することのない、永続する炎だ。
しかし物理現象に干渉する能力である以上、君の力を上回る力を持ってすれば、打ち消すことは可能だ。
例えば、君の炎という熱エネルギーをバラバラに霧散させれば、炎は燃焼に足るエネルギーを確保できなくなる」
そう説明した後、桐生はシャツの焦げ跡から指先を離し、「だが……」と瞳を細める。
「僅かとはいえ、私に炎を届かせたのは、さすがというところだね。
しかし、もう油断はしないよ。
君の魔術のタイミングは今の攻撃で把握できたからね」
「……キリウの魔術……その能力は」
黒い瞳と赤い瞳を細めるキシリア。
彼女の無言の問いに答え、桐生は頷く。
「そう……君が考えている通りだよ。
私の魔術は――私に憑依させた悪魔の魔術は、何も複雑なものじゃない。
至極単純なものだ。
しかしだからこそ――最強なんだよ」
キシリアに向けて手のひらを突き出す。
キシリアの細めた瞳に、警戒の色が混じる。
否。
それは怯えの色だ。
表情を映さない彼女が、桐生の存在に恐怖している。
彼にはそれが堪らなく愉快だった。
「十秒あげるよ。
十秒間、私は何もしない。
君の攻撃を受けるのみだ。
ただし十秒後には君を攻撃する。
つまり君は十秒の間に、私を何としても殺さなければならないわけだ」
桐生の言葉に、キシリアの表情が強張る。
以前の桐生ならば、このように相手の恐怖を煽るような真似などしない。
だが今は、恐怖に染まっていく相手の表情を見るのが、楽しくて仕方がなかった。
例え一息に殺せる相手であろうと、その恐怖を最大限に引き出してやらなければ、満足できない。
桐生は裂けた唇に笑みを浮かべた。
「では始めるよ。
一……」
「――!」
キシリアが赤い瞳を輝かせ、桐生をギロリと睨みつける。
瞬間、赤い炎が桐生の全身を包み込んだ。
しかし瞬きする間もなく、赤い炎が散り散りになり消失する。
キシリアの赤い瞳が驚愕に見開かれる。
瞳を細かく震わせる少女に――
「二……」
桐生は静かにカウントを重ねた。
「――っあ……あああああああ!」
キシリアが絶叫し、焼け付くように赤い瞳を輝かせる。
桐生の周囲で、赤い炎が幾度も出現し、その瞬間に掻き消えていく。
カウントが積み重なるごとに、キシリアの赤い瞳に焦燥が積み重なっていく。
震える瞳を懸命に動かして、桐生の死角から炎を出現させるキシリア。
だがやはりその炎もまた、あっさりと霧散して消失する。
キシリアが必死に攻撃を仕掛ける間も、淡々とカウントを口にしていた桐生は――
「五……ろ……くっ……はは……はははははははははははははっはははははははは!」
いつしか堪えきれず声を上げて笑った。
滅多に感情を見せないキシリア。
その少女が恐怖を顕わにして、目の前の脅威に必死に対抗しようとしている。
彼女のその健気で無様な姿に――
笑いが止まらなかった。
「――十……」
笑いながらもカウントは重ねていた。
最後の数値を口にして、桐生は怯えるキシリアに向け、意識を尖らせた。
彼の気配を感じたのか、少女が咄嗟に身を躱す。
そして――
少女の右腕と右脇腹が弾け飛ぶ。
「――あ……」
ポツリと声を漏らし、キシリアが前のめりに倒れる。
桐生は哄笑を止めると、倒れた少女を見下ろした。
痛みがあるのだろう。
少女が表情を歪めて、赤い瞳をこちらに向けてくる。
強大な悪魔が這いつくばるその姿に、また桐生の心内から笑みが溢れる。
「私の殺意に反応して身を避けたか。
素晴らしいね。
さすがは元、私の自慢の守護隷だ。
もっとも、生き長らえたのも僅かな時間だけだ。
すぐに止めを刺してあげるよ」
痛みが原因か、はたまた別の理由からか、飼い主に捨てられた子犬のように、小さく体を震わせるキシリア。
その少女に向けて、桐生は尖らせた意識を向けた、その時――
「止めなさい!」
鋭い静止の声が背後から上がった。
キシリアに向けていた意識を閉ざし、背後を振り返る桐生。
彼から十メートルほど離れた位置に、下半身のない少年を抱えた、青い髪と瞳をした女性が立っている。
フィリナ。
ユリアの守護隷である彼女が、青い瞳を尖らせていた。
「それ以上、乱暴なことはしないでください。
キシリアさんは貴方の守護隷でしょ?」
「守護隷との契りは、私が悪魔に転化した時に解消されている。
彼女はもはや、私にとってそこらにいる、有象無象の悪魔と変わりない存在なんだよ」
桐生のこの言葉に、フィリナがその青い瞳に軽蔑を滲ませた。
「それを本気で言っているのですか?
共に過ごしてきたのでしょう?」
「君こそ本気でそう言っているのかい?
君はあの――ユリア先生の守護隷だろ?」
フィリナが「どういう意味ですか?」と、青い瞳を細めて尋ねてくる。
桐生は裂けた口で微笑むと、背後に手を回して、ベルトに挟んでいたある物を取り出した。
取り出した物をフィリナに掲げて見せる。
彼のその手には――赤い背表紙の本があった。
怪訝に眉をひそめるフィリナ。
その彼女に、桐生は本を揺らしながら語り始める。
「これは先生の――死霊魔術師ユリア・シンプソン=ロクスバーグの研究資料だ。
先生は生前の研究資料のほとんどを破棄したため、これはそのほんの一部でしかないが、それでも、現在の死霊魔術の技術を大きく飛躍させることのできる、貴重なものなのだよ」
桐生はそう話すと、赤い本を掲げながら、反対の手で自身の胸に手を当てる。
「彼女の生み出した人工魂。
それを憑依させた私の強大な力を見ただろ。
死霊魔術師が生み出した人工的な悪魔は、天然の悪魔を超えることが証明された。
私はこの結果をもとに、先生の人工魂の研究を世間に認めさせる。
禁忌だ何だと古臭い慣習に囚われ、先生の研究を否定してきた無能な死霊魔術師を、その有用性をもって黙らせてやるんだ」
桐生はそこまで一息に話すと、再び本を背後のベルトに挟み、頭上を見上げる。
「……先生は偉大な人だ。
しかし人の扱いに長ける人では、残念ながらなかった。
本来ならば先生は、死霊魔術の歴史を覆すほどの人だ。
しかしその先生の実力を真に理解している死霊魔術師は、私を含めてごく少数に限られ、多くの死霊魔術師が先生を、禁忌を犯した不届き者と憎悪している。
愚かしいことだ。
だが……私がその現状を変えて見せる!」
桐生は口調を強めると、虚空を見上げた瞳に力強い眼光を輝かせた。
「私ならば先生の実力を認めさせることができる!
私ならば先生の研究を受け継ぐことができる!
私こそがユリア・シンプソン=ロクスバーグの後継者に相応しい!」
声を荒げて独白する桐生。
極度に高まった興奮を静かに鎮めていき、彼は再びフィリナへと視線を戻した。
閉ざした唇を小さく震えさせている彼女に、桐生は穏やかに語る。
「私はユリア先生の意志を継ぐ。
ユリア先生は好奇心のままに死霊魔術を極めた。
そこに情などという、曖昧で不確定なものが介在したりはしない。
彼女にとって死霊魔術とは、自身の好奇心を満たす道具。
私はその彼女の意志を正しく継いだに過ぎないんだよ」
敬愛する師の意志を継ぐ。
それこそが桐生の願いであり、行動指針であった。
師であるユリアはもう、死霊魔術と係わる気がない。
彼女はもう、研究資料を死霊魔術に還元する気がない。
死霊魔術を数段階も進化させる研究資料を、彼女はそのまま闇に葬るつもりだった。
だからこそ誰かが、彼女の研究を引き継がなければならなかった。
誰かが彼女の後継者として、偉大な研究を存続させなければならなかった。
ユリアの後継者に相応しい人物。
それはこの自分、志田桐生以外には存在しない。
彼はそう信じていた。
自分ならば彼女の技術も、その意志も受け継げると信じていた。
ユリアの人工悪魔をこの身に宿したのは、その有用性を示すため、だけではない。
彼女の研究成果と一体になり、彼女の技術を深く理解するためだ。
彼女の意志をより深く感じるためだ。
そこまで彼女に尽くせる人間など、自分をおいて他にいないだろう。
「分かっただろ?
私の意志はユリア先生の意志だ。
ひいては、死霊魔術師のあるべき姿ともいえる。
君もユリア先生の守護霊ならば、自身の主のことを理解しておくんだな」
フィリナにそう告げて、桐生は話を終えるつもりだった。
話を終えて、キシリアに止めを刺し、ユリアが帰宅する前にこの場を離れるつもりだった。
しかし――
「貴方は……ユリア様の後継者に相応しくありません」
そう断言したフィリナに、桐生は瞳を冷酷に尖らせた。
彼の赤い瞳を、青い瞳で見つめ返すフィリナ。
彼女のその瞳には、強大な悪魔に対する恐怖など微塵も感じられない。
無言のまま見据える桐生に、フィリナが落ち着いた口調で、語り始める。
「ユリア様は、確かに好奇心が旺盛な方です。
少々身勝手とも取れる振る舞いがあることも、間違いありません。
さらに生前は死霊魔術に執着するあまり、禁忌となる技術にまで手を伸ばし、多くの死霊魔術師から反感を買ったことも事実です」
自身の主であるはずのユリアを、貶めるような言葉を淡々と口にするフィリナ。
黙して彼女の話に耳を傾ける桐生に、彼女が「ですが……」と小さく頭を振る。
「それは彼女が死霊魔術を深く愛していたからです。
愛していたからこそ、彼女はそれを誰よりも理解しようと努めたのです。
死霊魔術が彼女の好奇心を満たすものであることはその通りではありますが、決して彼女は死霊魔術を道具などと考えていません。
彼女は相手が守護隷だろうと人間であると、分け隔てなく接してくれています」
口早にそう話したフィリナが、愚かしい存在を見るような瞳を、桐生に向けた。
「貴方こそユリア様をもっと知るべきでしょう。
ユリア様の表面的な態度だけで、彼女を理解したふうに語るなどお笑い草です。
彼女はそれほど単純ではありません」
「……言いたいことはそれだけか」
呟いた声が震えていた。
それを冷静に桐生は自覚する。
自身の師に対する想い。
誰よりも師を理解しているという自負。
それを、こんな守護隷ごときに否定され――
今までにない怒りが込み上げてくる。
それを察したのか、フィリナに抱かれていたプラトンが、多少慌てたように言う。
「ふむ……フィリナ。
挑発するのは得策ではないかも知れん。
何かアイツ、滅茶苦茶怒っている風だ。
恐らくお前は、俺がこんな状態であろうと、巨大な大猿とかに変身して奴を踏み潰すとか考えているのだろうが、その期待に応えられるか微妙なところだぞ」
「そんなこと考えていませんよ。
大丈夫……もう連絡はしておきましたから」
フィリナの言葉に眉間に皺を寄せる桐生。
彼女が唇に指先を当てぽつりと呟く。
「そうですね。
彼ならきっと、十分ほどでここに到着すると――」
直後――
頭上より飛来した何かが、桐生とフィリナの中間に着地して、地面を粉々に砕いた。
砕けた石畳が宙を舞い、地面がえぐれて土煙が上がる。
もうもうとした土煙の中で、人影がゆっくりと立ち上がる。
フィリナがその人影を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「間違えました。
五分ほどで到着しましたね」
土煙の中から絞り出すような声が鳴る。
「……やってくれんじゃねえか。
この俺をダシに利用してくれるなんざよお……」
庭園に風が抜けて土煙が晴れる。
土煙の中から現れた人影は――
凶暴な目つきをした男だった。
「ぶち殺してやっから覚悟しやがれ、クソ野郎があああああああああ!」
悪魔退治を役割とするユリアの守護隷――下陰玲児が姿を現した。




