第八話:シヨート
『起きろ。もう朝だ。』
朝から脳内がうるさい。
耳を閉じ、聞こえないよう試してみるが、案の定効果がない。
『起きろ!』
「ああ!」
掛布団を勢いよく蹴り飛ばし、身体を起こした。
スマホを手に取り、現在時刻を見る。六時半。早すぎる。こっちに引っ越してきてから一度もこの時間に起きたことはない。
『貴様の身体が飢えておる。はよ腹を満たせ。』
ソロモンは母親のように俺を急かしてくる。最悪だ。
「ちょっと待てよ。何で普通に俺に話しかけれるようになってんだよ。」
『先の戦いで口と耳の一部の封印が解けたからな。これでウルに命ずることができる。』
「は?俺が見た時耳も塞がれてたぞ!」
『そう見えても仕方ないな。実際、耳の封印はほんのわずかしか解除できていない。だが、麗田の声をしっかり聴けるから安心せい。』
(おいおい神さんよ。もっとちゃんと封印しとけよ…。
心の中でため息をついた。
『一応言っておく。今はまだ聞こえぬが、封印の解除が進んでいけば心の声といったものまで聞こえるようになるぞ。』
「何だよそれ。プライバシーのかけらもねぇじゃねぇか。」
「すまんな。これも我々の悲願のため。そうなった時は、耐えてくれ。」
(耐えれるわけねぇっつーの!)
心の中で叫んだ。
冷蔵庫を開けると、昨日食べずに閉まっていたおにぎり弁当があった。
期限を見てみると今日までらしい。生ハムみたいに腐らせないよう今のうちに食べておこう。
台所から自分用の箸を持ってきて、改めて弁当のふたを開ける。
昨日はそれを食べようとしたが体が受け付けなかった。
だが、今のところ何ともない。
恐る恐る口に持って行き、それを放り込んだ。
(何とも…ない。)
すると、お腹が大きくなった。俺はすぐさま残りのおにぎりと一緒についてきた申し訳程度のおかずを一気に胃に流し込んだ。
弁当を平らげ、ふたと容器をごみ箱に捨て、箸を流しに持って行く。
「ソロモン。」
『何だ?』
脳内から直接返事がした。
「本当に俺の記憶をいじったのか?」
『ああ。神々は自分より力が弱い者の記憶を書き換えることができるからな。ウルの記憶にあのような惨状を複数経験したことを付け加え、何ともないようにした。』
ソロモンの話を聞き、記憶を思い変えしてみる。確かに自分の脳内には、昨日のような出来事が複数存在する。しかも、全て腹から臓物を飛び出させて行き倒れている。だが、どこでそれを目にしたのかまではわからない。
『とはいえ、今の我が記憶を改変できるのはウルだけだ。それ以外の民の記憶の改変は封印が阻んでいる。』
「そっか。ありがとな。」
『王が民を思うのは当然のことだ。』
ソロモンは威厳ぶった口調で言った。
最初こそは強者感が凄かった。だが、実際やりとりをしてみると口調が硬い兄貴みたいに思えてきた。実際、さっき呼んでみたら普通に反応してくれたし。なので急に威厳ぶっても、面白いやつだなと思えてしまう。
箸を洗い終えたので、俺はベッドに向かった。
『待て、どこへ向かう。』
「早く起きすぎてちょっと眠いんだよ。」
『駄目だ。二度寝は許さん。』
「うるさい!寝ると言ったら寝る。お休み!」
ベットに横たわり、散らかしていた掛布団を覆った。
そして、僅かな眠りを大きくするように深い眠りの谷へ落ちていった。
目を開けた時、不思議な光景が広がっていた。懐かしさが感じられる空間。昔の記憶が次々と蘇っていく。
ベッドの隣に小学校から高校まで使っていた勉強机がある。机の上に乱雑に積まれた教科書とノート。「数Ⅱ」が目に入ったので、どうやらこれは高校のものだろう。
ベッドから起き上がり、パジャマ姿で扉に向かった。
扉の先には階段がある。間違いない。ここは俺の実家だ。
階段を下りると、目の前で母親がA4サイズほどの紙を両手で握りしめていた。
「和保。」
こっちを向いた母さんの目は、潤んでいた。
「ごめんね。母さん、和保の助けになれなくて。」
母さんはそう言うと俺の傍に寄ってきて、膝から崩れ落ちた。それと同時に、母さんが持っていた書類もゆっくりと床に落ちた。
(ああ、あの時だ。)
母さんを支えながら、床に落ちた書類を拾う。
『O大学 後期試験 合格発表』
忘れもしない。不登校だった俺が、最後の望みをかけて挑んだ試験。
自分の番号を必死で探し、そして力尽きたのを覚えている。
この日を境に、自分のことを許すことができなくなった。親の期待に応えられないこの軟弱者を、許せなくなった。
「謝らないで母さん、悪いのは…俺だよ。ごめん」
俺は母さんを抱きしめ、謝ることしかできなかった。
「ああ!」
掛け布団を思い切り蹴った。掛布団は数秒だけ宙を舞い、そして勢いよく落ちる。
『目が覚めたか?』
脳内から急にソロモンが話しかけてきた。
「ああ!覚めたよ!…まさかお前。」
『ああ、お前の記憶を操作し、お前が目覚めそうな夢にした。とはいえ、少し時間がかかったがな。』
俺はベッドに放っていたスマホを手に取る。九時ちょうど。2時間ほどの仮眠だったが、寝心地は最悪だ。
「お前、やっちゃいけない一線超えてるぞ。」
『何がだ?』
「人の弱みに付け込んで、それを弄ぶなんて人としてやってはいけないことだろ!」
俺の声が部屋中に響いた。幸い、隣人からの警告はなかった。
『この記憶が、お前にとっての弱みなのか。これは面白い。』
「笑うな!」
俺が怒り口調で言っても、ソロモンはまったく気にしない。
『いーや、おかしなものだ。自らの行いで招いた不幸な結末を未だに後悔しているとは。』
「そうだ。それの何がおかしい!」
ソロモンの笑いが徐々に収まっていく。口角が完全に下がりきると、いつもの威厳ある声に戻っていた。
『ウルよ、過去を悔やむということは、今の状況に対して逃げたいものがやることだ。』
「そうだ…。俺は今が嫌いだ。」
『そうか。それはなぜだ?』
「それは…。」
言葉が詰まる。心の中ではわかっているが、上手く言語化できない。
『膨大な時間を与えられたにも関わらず、それを無駄に消費している罪悪感からか?』
ソロモンは淡々と言った。
その言葉が胸を突き刺し、痛い。
『自分を大切に育ててきた親に対して何も成果を残すことができない自分のことが嫌いになっていき、過去の行いを悔やんで現実から逃げているんだろ?』
「うるさ…『自分ではそう分かっているのに、それを認めたくない!違うか!?』
ソロモンの声が脳中に響いてくる。
脳が振動しているように感じ、僅かだが吐き気がする。
「…そうです。」
『なら貴様が今やることは寝ることではない。起きて母に誇れるような人物になれるよう努力することだ。』
ソロモンは高らかに言った。
俺はその言葉に対して、反論することができなかった。
「…わかったよ。」
『うむ。では外へ出る準備をせよ。』
「外へって…、どこに行くんだよ?」
『書物が読めるところだ。』
ボサボサの髪を整え、顔を洗う。
顔を洗い終え、鏡越しに自分の顔を見る。
不思議なことに、目を背けたいという感情はあまり沸かなかった。ただ、今の自分を見ていたい、そんな感じだ。
クローゼットからテキトーに服を取り出す。
黒色のTシャツにワンポイントのメーカーロゴ。下はカーキー色の長ズボンだ。
それを身に着け、軽くしわを伸ばす。
最後にポケットに家の鍵と財布を入れ、家を出ようとした。
『かばんは持って行かぬのか?』
ソロモンがまた突然話しかけてきた。
「別にいらないだろ。」
『本を手に入れた際、どこにしまうというのだ?』
「別に買いはしねぇよ。ていうか目が見えないのに何でかばん持ってないってわかるんだよ。」
『もう忘れたのか?我はわずかだが耳が聞こえる。そこからの情報からウルの行動を認知するなど簡単だ。』
「なーるほど。」
俺の中にいる神様、やっぱスペックえげつねぇ。格上かもしれない相手に喧嘩をふっかけに行くのも納得だわ。
俺は仕方なく、クローゼットに行き、肩掛け用のかばんを手に取った。
家を後にし、繁華街に向かって行く。
日がまだ東側にあるため、違和感が出てくる。
『ウルよ、書物があるところだぞ。』
「わかってる。」
俺は繁華街に向かって進んでいく。
人通りが増していき、息苦しくなっていく。
「なぁソロモン。」
息苦しく退屈だったため、俺はソロモンに気になっていた質問をしてみることにした。
『何だ?』
「ソロモンが地上にいた時代ってかばんとかなかっただろ?」
『そうだな。』
「何で知っているんだ?」
ソロモンは少し笑った。
『簡単なことだ。ウルの脳内から学んでいる。』
「やっぱりか。」
薄々勘づいていた。外部からの情報が皆無に等しいソロモンが知識を得るとすれば、それしか考えられないからだ。
「じゃあ、何で書物が読みたい?」
『ウルの知識は約に立たないものばかりだからだ。』
「今遠まわしに俺のこと馬鹿にしたよな?」
『ああ、馬鹿にした。』
ソロモンは悪意なく答えた。
「おいソロモン、人を小馬鹿にするのはやめろ。お前の慕う地上の民とやらから嫌われるぞ。」
『でも世の中には、それで金を得るものもいるのだろ?』
「それはなぁ…。」
何も返せなかった。流石知恵の神。論破スキルもしっかりある。
『それはそうと、ウルよ。』
「え?」
『周りの人間の一部がウルを珍妙な目で見ておるぞ。』
周囲を見渡してみる。
人ごみの中から確かにいくつかの視線がこっちを向いている。
『我と話すのは良いが、ウルの喋る声は他のものも聞こえていることを忘れるなよ。』
俺は頭を低くし、足音を立てないようにして人ごみの中を大急ぎで突き進んだ。




