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第二十二話 龍穴への潜入



 日が落ちると、鈴鹿の山々から姿を現したのは、煌々と地上を照らす満月だった。

 青白い月光は、まるで舞台を照らす照明のように、戦場となった近江の地を隅々まで浮かび上がらせている。


 村人たちが必死にかき集めてくれた大量の土を、緑青(ろくしょう)の鏡の塗籠(ぬりごめ)へと無事に収納し終えた。


 平判官(たいらのほうがん)や犬上大領(いぬがみのたいりょう)、そして東寺の寛朝(かんちょう)たちが長寺(おさでら)攻略のための軍勢を率いて出立するのと同時に、俺、良源(りょうげん)、慈眼房(じげんぼう)の三人も裏山の泉に向けて足を踏み出していたのである。



 道中、常に『エーテル循環システム(疑似内丹術)』を発動したままでは、エーテル消費が激しすぎる。それに慈眼房(じげんぼう)はこの術を使えないため、法力は使わず普通に歩いて「弘法池(こうぼういけ)」を目指すことにした。



 進軍する犬上大領(いぬがみのたいりょう)の軍は、長寺(おさでら)近くに陣を構える手はずとなっている。俺たち裏山組は、その軍勢を陽動にして、途中から別行動となったのである。



 道中ちらほらと、裏山への道を見張っている者たちを見かける。



(房中術を施されていますね。

 エーテル体に回路ができています)



 やはり噂通り、偽空海の手下が、この先にある泉を見張っているようだった。


 ここら辺りには開けた水田も広がっているが、森のように木が茂っている場所もある。隠れる場所も事欠かないといえるだろう。ただ、だからといって、このままノコノコと歩いていれば見つかってしまうのは時間の問題だ。



 緩やかに上る森を進みながら、俺は懐から『隠行符(おんぎょうふ)』を二枚取り出し、良源(りょうげん)と慈眼房(じげんぼう)に手渡した。



「なんと……これほどはっきりと効果の現れる符、叡山でもそうはお目にかかれませぬぞ」



「いかにも。藤原殿の験力、底が知れませぬな」



 その符の質の高さに、二人は驚愕の目を丸くしていた。

 こうして俺たちは『隠行符(おんぎょうふ)』を使い、偽空海の手下をやり過ごしながら勾配のある森の獣道を進んでいく。



 ――しかし、軽いな。



 以前の俺ならとっくに息を上げていたであろう山道も、今は比較的楽に登れている。日々厳しい修行を積んでいる比叡山の僧たちにも、遅れることなくついていけていた。



(純友様のEPも高くなりました。今はエーテル体に『エーテル循環システム(疑似内丹術)』を構築しています。

 本格的に稼働させていないためエネルギーの増幅はしませんが、流れているエーテルを効率的に力に変えるシステムは働いています。

 今までと同じ量のエーテルでも、さらに体を強化することができるでしょう)



 うーむ。パワーアップするのは有難い話ではあるのだが……そもそも、こんな力が無ければ、ここには来ていなかった。手放しに喜べる話でもない気がする。


 ただ、じゃあ、無かったほうが良かったのかと聞かれると、迷わず「あった方がいい」と答えられるぐらい、俺にはなくてはならない力だとも感じていた。



 つまり何が心配なのかというと、こうやって力が増した時ほど考えてしまうのだ。

 藤原純友(ふじわらのすみとも)としての『運命』が、俺に何かをさせようとしているのではないのかと――



 妻を亡くしてからというもの、何かと無気力で、日々をこなすように過ごしていた。

 まあ、そのおかげなのかどうかは分からないが、向上心もなく、位も正八位上と、貴族としては底辺で這いつくばっている。



 全く人間とは救いようがない。



 力がないことによって妻を死なせたというのに、彼女の残してくれた子供たちにも同じような目に遭わせてしまうところだったのだ。俺は。


 そんな俺に対する罰か何かなのだろうか。

 この先、この『運命』に身を任せていると、もっと酷い破滅が待っているのではないだろうかとも不安になってくる。



 こうやって前世の記憶を取り戻すことによって、希望のようなものが見え、進み始めた俺の足を絡めとるように、不安が忍び寄ってくるのだ。



 夜の森は、月明かりがあるとはいえ、その暗さが己の鏡となり、闇の中に心を映し出していた。



 妻の事だけではない気もする。



 父、藤原良範(ふじわらのよしのり)は大宰府の地にて、都の栄華にしがみつき、藤原の名にこだわり続けた。

 大宰少弐(だざいのしょうに)、筑前守(ちくぜんのかみ)として力をつけたのちに、京へ返り咲こうと考えていたのだ。



 父の帰ってくる場所を守るため、京に残った俺と母。

 しかしその父の夢も叶わず、結局彼は大宰府の地にて病に伏せ、亡くなってしまった。



 地方からの富は凄まじく、俺も母も最初の頃は豊かに暮らしていた。

 だが父の死後、後ろ盾も無くなってしまうと、その豊かな財は手から水がこぼれ落ちるように無くなってしまったのだ。



 病に伏せる母――

 結局、没落した家に待っているのは、緑青(ろくしょう)の鏡である葛子(かずこ)と同じ、哀れな末路しかない。



「愛別離苦(あいべつりく)、これもまた我執(がしゅう)の報いなり」



 幼少期に行った法会(ほうえ)にて言っていた、僧の言葉が心に残っている。

 母も病床のまま回復することもなく、亡くなってしまい、取り残された俺は手放すことで生きるしかなかった。


 そんな環境では「失いたくない」と願えば願うほど、生きることが苦しくなってしまう。



 大宰府から来た純乗(すみのり)。

 彼から俺は父の最期の話を聞いた。



 大宰府から家に来た、当時二十だった純乗(すみのり)は、父の側室の子供で、母は蔵宗(くらむね)という地方豪族の娘らしい。


 生前父からの文で、藤原の息子として迎え入れたと聞いていたので、俺はすんなりと彼を迎え入れることができた。それに彼の姿がどことなく父にも似ていたのもある。



 そんな弟が語ったのは、父の京への執着と怨念、それらに苦しみながら病に倒れたという、壮絶な最期であった。そう、力をつければつけるほど、色々なものに執着してしまうのだ。




 前世の記憶が戻り、スマホチートを得ることで、子どもたちの笑顔が増え、家の暮らしが良くなってくるのもこの力があるからこそだ。どんどん大切でなくしたくない物が大きくなっているのを感じる。



 力をつけることで、関わった人たちからの羨望を受けて、さらに生活も改善されて色々なことが豊かになってくるのは素直に嬉しいし楽しい。


 しかし、その楽しさが大きければ大きいほど、その落差に怯えてしまうのだ。



 前世を含めて碌な人生では無かった俺が、大切な妻を得て、そして亡くした時の喪失感は、今でも夢に見るほど深く心に残っている。


 大事なものを失うことにすっかり怯えた俺は、どこか他人事のように自分自身を見る癖がついていたのだ。





 木々から差し込む月明かりが明るくなり、我にかえる。



「もうそろそろじゃな」



 前を歩いていた慈眼房(じげんぼう)が視線を向けた先、獣道を抜けたところに開けた広場が見えてきた。



 振り返ると、勾配はさほどキツく感じなかったが、思ったよりも高い場所まで登ってきていたようだ。

 木々の合間から甲良(こうら)の地を見渡すことができ、遠目には長寺(おさでら)の輪郭がはっきりと浮かび上がっている。

 月明かりで明るい夜だが、暗い平地に無数の松明の灯りが蠢いており、すでに長寺(おさでら)にて激しい戦闘が始まっていることを実感させられた。



 そろそろ俺は目的地に着くのだ。





――――――――――






 俺たちは無言で頷き合い、広場へと足を踏み入れる。


 その奥、苔むした小さな岩場を背にするようにして、目的の泉である弘法池(こうぼういけ)があった。

 四方に青竹が立てられ、神籬(ひもろぎ)で厳重に囲まれたその泉は、背後に鬱蒼とした森を控え、どこか異様な雰囲気を放っている。



 いざ泉を埋めようと近づきかけた、その時だった。




   ――カサッ


       ――ガサ ガサッ




 鬱蒼とした森の闇の中から、ふらりと一人の女が姿を現した。


 昼間、村にいたあの職人の妻だった。



「お前様らが、泉を埋めるというゆえ……空海様にお知らせ申した」



 うつろな瞳でそう呟く。


 Yuiさんに教えてもらっていたのでわかってはいたが、彼女は偽空海側の密偵だったのだろう。

 もう、そんなことも隠す様子はなく、俺たち三人の前に立ち塞がっていた。



「おまえ、村にいた――」



 良源(りょうげん)は女の存在に、驚きの表情で声を上げた。


 そんな俺たちをよそに、彼女は懐から取り出した怪しげな「丹」をこちらに見せつけた。



「空海様は、私に喜びを教えてくださった!!

 この丹が、私をあの村から、あの辛い暮らしから解放してくれるのだ!!」



 そう言うと、大きく口を開け、その中に丹を放り込む。




   ――ゴクリッ




 音が聞こえそうなぐらい、喉を動かしてそれを飲み込んだ。




   ――ドクンッ




 瞬間、脈動のような気の流れを感じた。

 みるみる間に、彼女の纏う気が禍々しく変質する。




   ――ドクンッ



   ――ドクンッ



   ――ドクンッ




 肉体が異形へと歪み始めた。




         ――バキャッ



    ――ボキ ボキッ


         ――ポキッ




 全身の骨格が外れるような不気味な音を立てて皮膚が浮き上がる。


 いつの間にか両足はくっ付き、その体積は何倍にも膨れ上がっていた。

 肥大する筋肉や、長く伸びた胴と脚に耐えきれず、衣服が破れ始める。

 女は窮屈なその衣服を引き裂き、さながら脱皮する蛇のようにそれらを脱ぎ捨てていた。



 身体中が蛇の鱗のようなもので覆われており、まるで大蛇と人間が融合したようなおぞましい姿へと彼女は変貌していたのだ。



「下がり下され!」



 良源(りょうげん)が前に出ると同時に、胸の前で印を結ぶ。



「ノウマク サマンダ バザラダン センダ マカロシャダ!

 ソワタヤ ウン タラタ カンマン――」



 彼の気も大きく動き始める。



「ノウマク サマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン ノウマク サマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン!!」



 体を循環している凄まじい気と熱量と共に、彼の頭頂部からは二本の角のように白い水蒸気が立ち昇り、肌が赤黒く染まる。



 まるで夜叉の如き姿だった。



 蛇女も黙って見ていたわけではない。

 己の身体をアルファベットのS字のようにググッと縮める。



 筋肉という筋肉が収縮しているのが見て取れる。

 メキメキと聞こえてきそうなほど力が込められているのを感じる。




    ――ゴォ ッ




 蛇女はバネの如くS字を解放する。

 と同時に、大きく裂けた口から牙を剥き出しにして、飛びかかってきた。



 前世、バッティングセンターで百六十キロのボールに挑戦した時のことを思い出す。

 思考が打つと判断する前に、ボールが通り過ぎていたあの感覚だ。



 だが、そのスピードにも反応し、良源(りょうげん)はその一撃を躱した。

 背後に抜けた蛇女の方へ素早く向き直っている。



(純友(すみとも)様! 呆けていないでください!

 『エーテル循環システム(疑似内丹術)』を起動します――)



 慈眼房(じげんぼう)は即座に持っていた鉄杖を地面に突き刺し、印を結んだ。



「ノウマク サマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン!」



 不動明王(ふどうみょうおう)の慈救呪(じくじゅ)か――


 彼も変身するわけではない。

 ただ不可視の力で蛇女を縛り上げようと試みているのだろう。



 俺も負けじと指先から『赤帝(せきてい)の矢』を放つ。

 しかし、蛇女は空中で太い尾を鞭のようにしならせ、俺の放った炎の矢をあっさりと薙ぎ払ってしまった。



 ただ、両手で頭を押さえて苦しみ始めてはいる。

 慈眼房(じげんぼう)の法力が効いているのだ。



 己を縛ろうとする邪魔な『慈救呪(じくじゅ)』を止めるべく、また体をS字に縮め、真言を唱え続けている慈眼房(じげんぼう)へと飛びかかった。



「させぬわッ!」



 良源(りょうげん)が地面に転がっていた鉄杖を拾い上げ、蛇女の突進を真っ向から受け止めた。

 蛇女の勢いが生んだ風圧が、良源(りょうげん)の僧衣をはためかせる。



 交通事故でも起きたかのような凄まじい衝撃音が響き渡る。

 良源(りょうげん)の両手で支えた鉄杖が歪んでいるのが見えた。



 鉄の棒を歪めるとかどんだけだよ。



 だが、鬼の如き力を得た彼は、その突進を見事に押し留めてみせた。

 蛇女の鉈のような牙を歪んだ鉄杖で押さえつけて。



 ――今だ!



 俺は二発目の『赤帝(せきてい)の矢』を放つ。

 炎の矢は今度こそ蛇女の胴体の柔らかい部分に突き刺さり、業火を巻き起こした。



「ギャアァァァァッ!」



 蛇女が苦悶の悲鳴を上げた。



 慈眼房(じげんぼう)の慈救呪(じくじゅ)も完全に掛かったようで、蛇女の身体が見えない鎖に縛られたかのように重く沈み込み、地面に叩きつけられる。



 良源(りょうげん)が追い打ちをかける。

 彼は鉄杖を大きく振りかぶり、力任せに蛇女を殴り飛ばす。




 鈍い音を立てて転がり、苦しみもがく異形。


 良源(りょうげん)はとどめとばかりに、再び鉄杖を天高く振り上げた。




 ――その時だった。



「ノウマク サマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン」



 空気が、急に重くなった。

 広場全体に、地を這うような低く、底知れぬ圧を伴った声が響き渡る。



「ぐ、ぬぅぅッ……!」



 慈眼房(じげんぼう)がその圧倒的な力に押し負け、膝をついた。

 倒れそうになりながらも、必死に印を結び、己の慈救呪(じくじゅ)を唱え続けている。



 俺と良源(りょうげん)は内丹術のエーテルによって、なんとかその異常な重圧を跳ね除け、無事を保っていた。



 声の主は、天からだった。



 偽空海が、夜空からこうこうと照らす月明かりを背に受け、不動明王(ふどうみょうおう)の慈救呪(じくじゅ)を唱えながら、ゆっくりと降りてくるのだった。






【第二十二話・用語解説】


■ 平安・仏教用語


・愛別離苦(あいべつりく)

 仏教における「四苦八苦」の一つ。愛する者と別れなければならない苦しみを指す。


・我執(がしゅう)

 仏教用語。自我や自分の持ち物、価値観などに対する執着心。この執着こそが苦しみの根源であるとされる。


・神籬(ひもろぎ)

 神道において、神霊が降臨する依り代として、青竹や榊などで囲い、清浄な区域として示したもの。臨時に神を祀る際などに設けられる。





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※AIを文章の校正・改稿、設定整理、資料調査、アイデア検討等に活用しています。また、一部の本文にはAIが生成した文章を直接使用しています。物語・世界観・登場人物・展開等の創作および最終的な文章の判断は作者が行っています。

※本作に登場する仏教用語・哲学用語・科学用語は、実在する思想・学説・科学的知見を参考にした、作中独自の解釈です。現実の思想・学説・科学的見解を厳密に説明するものではありません。

※本作に登場する歴史上の人物・出来事は、実在の史実を題材としておりますが、人物像・人間関係・行動・出来事などに作中独自の創作・改変を含みます。史実とは異なる部分がありますので、歴史創作としてお楽しみください。



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