第二十一話 満月の出撃
見上げれば、雲一つない青空から、焼け付くような陽射しが降り注いでいた。
未曾有の大干ばつに喘ぐ近江の地。
ここは昼下がりともなれば、息をするのも苦しいほどの熱気に包まれる。
尼子郷の広場では、今宵の出撃に向けた準備が慌ただしく進められていた。
「――急げ! 矢の準備はできたかっ!
矛の準備も怠るな!」
犬上大領は、血走った眼で生き残った兵たちを鼓舞して回っていた。
彼の焦燥は誰の目にも明らかだった。
今晩は満月で明るい夜になる。
隠密行動には向かないので避けるべきだが、それよりも急いでこの問題を解決したいのだろう。
俺たち裏山組からすれば、大領が正面から攻めてくれる分には、陽動となるから嬉しい話ではある。怪僧の目を引きつける、十分な囮となってくれるのではないだろうか。
「藤原殿、そして叡山の者たちよ――」
そこへ、出陣の支度をしていた寛朝が歩み寄ってきた。
この場に居た良源と慈眼房も顔を上げる。その顔には、先ほどまでの迷いはなく、若いながらも東寺のプライドを背負った闘志が宿っていた。
「そなたらが裏山の泉を埋めるのが先か……。
私が怪僧を打ち倒し、大師の汚名を雪ぐのが先か……。
――勝負だな」
寛朝は静かにそう言い残し、正面突撃の準備をしている犬上の軍勢へと戻っていった。
さて、裏山の『龍穴』――弘法池を物理的に埋めてしまうという役割を担う俺は、村の広場の隅で、その準備をしている。
作戦に用いる大量の土は、尼子郷の村人たちに頼んで、空き壺や大甕に詰めてもらっている最中だ。
それが集まり次第、俺の持つ『緑青の鏡』の『塗籠』に収納する手はずとなっている。
俺は木陰に腰を下ろし、脳内でYuiさんと夜に向けての準備を進めていた。
(純友様。空海・異体が施した『房中術』による肉体強化ですが、その本質は、彼らの体に備わった『エーテル体』に、エネルギー循環の『器官』を強制的に構築することにあります。
エーテル体に経絡や丹田を作り循環させることで、増幅・変質させて肉体を強化しているのです)
Yuiさんと昨夜の戦いの最中にスキャンしていた、狂人兵たちについて整理していたのだ。
(視覚情報にリンクした『情報重畳表示』を起動。狂人兵たちを図解します)
目の前に、血管のように脈打つ狂人たちのエーテルの流れが図解として投影される。
(仙道などで『内丹術』と呼ばれる技の仕組みですね。
まず第一に、男女の性交によって興奮が極限まで高まると、性属性のアストラルエネルギーが高まり『下丹田』の生殖器周辺に性属性のエーテルが集中し、『精』が満タンの状態になります。
ここで満タンになった『精』を射精によって外に漏らさず、アストラルエネルギーを高めたまま下丹田に留めておくことが最初のステップなのです)
――ふむ。感情エネルギーであるアストラルが、肉体に反応して下丹田に『気』を集めてる状態ってことかな?
(はい。しかし少し違う点があります。
下丹田に満ちた『精』は、ドロドロとした肉体的な性エネルギーに過ぎず、そのままの状態では戦闘や精神の活性化に使用できません。『気』と言っても純粋なものではなく、発生したアストラルの属性に寄った『気』だと言えるでしょう)
まあ、でもそういった行動は、比較的簡単に感情エネルギーを高めそうなのは理解できる。
(ここで『錬精化気』――すなわち『精を錬って、気に化える』という工程が入ります。
下丹田に意識を集中し、特殊な呼吸を行うことで、そこを『窯』のように熱するのです。
この熱によって、『精』を蒸発させ、より流動性のある『気』に変えるのです)
――物質に近いものを、よりエネルギーに近いものに変えるということなのかな? 多分。
(『気』化したエネルギーは、背中の『督脈』を通して、一気に脳へと吸い上げられます。
これを『還精補脳』と呼びます。
脳に達した気は、頭頂部の『百会』や眉間の『上丹田』を強く刺激します。
これにより、単なる性欲だったエネルギーが、高い集中力、深い知恵、優れた直感力へとシフトするのです。
そして最後は、脳で精製された『気』を、今度は体の前面の『任脈』を通して、再び下丹田へ流し込みます。
これを繰り返すことで、お腹の中に『精製されたエネルギーの塊』、つまり『不老不死の丹』を作っているのです)
――なんか、特殊な健康法にも見えるけど……だとしたら、なんであいつらは理性を失って、あんな狂人みたいになってるんだ?
(空海・異体がその工程に何らかの細工を施したのでしょう。
例えば『百会』や『上丹田』に『気』が昇る際、彼らに何らかの『丹』や薬物を飲ませ、『気』を強制的に変質させているのではないでしょうか。
脳へ至るエネルギーにノイズを混ぜることで、洗脳や狂化を引き起こしているのでしょう)
薬とか使ってるってことか。
ふと、薬物とか使って儀式している光景を想像してしまう。
何か背徳的で邪悪なものを感じて、この暑さでも背筋が冷たくなってしまった。
(――純友様。ここからが重要な点なのですが、これら『内丹術』は、すべて、体に結びついたエーテル体に構築されるシステムなのです。純友様の前世で、『内丹術』を解明しようとしても科学的に分析するのが難しいのはこれが理由なのです。
そして、このメカニズムを応用して、現在、使用しているバリア機能をパワーアップさせることが可能になりました)
――ん? メカニズムを応用??
(はい。純友様の場合、そのような肉体的な『精』をわざわざ使う必要はありません。すでに敵を倒してEPアップするという、十分なエーテル体強化機能が備えられているからです。
この強化されたエーテル体そのものに、直接この『機構』を組み込んでしまえばよいのです。
今は単にエーテルを鎧のように纏っているだけですが、この機構を加えれば、肉体の機能を飛躍的に引き上げる『パワードスーツ』のような強化が可能になります。……すぐにシステムを構築しますね!)
返事を聞く間もなく、楽しそうにYuiさんはシステムを構築し始めたようだ。
(余計でしたか?)
――いえ、大助かりですけども。
(末那識のシステム、仮想『スマホ』には様々な可能性が含まれています。その気になれば今回入手した『空海関数』を組み込んだ空海・異体と同じようなシステムを組むことも可能です)
――ええ!? あ、でもそうか。
あんだけ、俺たちの前で力使ってたんだから解析だってできるのか?
じゃあ、そのシステム使ったら、あんな凄いことできるようになるの?
(空海・異体を真似てシステムを組むことは可能です。ですが、それはやめた方がいいでしょう。
そもそも、この『神仏関数』を使った末那識のシステムは負担が大きすぎるのです。
『神仏関数』が強すぎてシステム容量を多く使用し、使用者の末那識を圧迫――そして侵食する可能性が高いものとなっているのです)
――何それこっわ。
乗っ取られるってこと??
(どうやらあのシステムは、不完全なもののようですね。
今回のこの事件、このシステムの試験運用のような気がしてなりません)
――まじか……『緑青の鏡』の件もそうだが、何か背後で不穏なことが起きている気がする……。
(昨晩『空海関数』を手に入れたのは幸運でした。
空海・異体に接触することができれば、『空海関数』を利用した末那識のシステムに作用するウイルスを感染させ、一時的にエーテルの流れを間違わせることが可能です。
もし、泉の破壊が失敗するようなら、サブ案として考えていてもいいでしょう)
俺が近づくか……使役してる『緑青の鏡』が近づいてもいいって言ってたよな。
しかし、何気に難度が高そうなんだよなー。
近づく前にボコボコにされそうで。
しかも『緑青の鏡』、自分で動かないからなぁ。
手や足でも生やして「ひょこひょこ」歩かせられたらいいのに。
俺は百鬼夜行で見た付喪神たちを思い出す。
(完成しました! 『エーテル循環システム』です。
純友様のエーテル体に、エネルギーを絶え間なく巡らせる、まるで心臓と血管のような機構を構築しました。
さらに、『百会』『上丹田』『下丹田』の三箇所に、エネルギーを増幅・変質させる器官を配置しています)
おお! なんかすごそう!
[DISPLAY] -----------------------------
『百会』:
脳の処理速度を上げ、反射神経を極限まで高めます。
体感時間を引き伸ばし、戦闘中に任意で『ゾーン』に入ることが可能です。
『上丹田』:
感覚器官をパワーアップさせます。
外からの刺激を収集しやすくなり、視力や嗅覚、さらには神秘エネルギーに対する感受性(索敵能力)が向上します。
『下丹田』:
肉体そのものの強化です。
筋力、骨の強度、そして治癒力を爆発的に高めます。
----------------------------------------
(どの器官も経由するエネルギーを自動的に増幅する機能を持っています。さあ、起動してみてください!)
起動って言われても……どうしたらいいんだろ??
(起動したいと思うだけでいいですよ。
思考や感情に合わせて自動的に調整されるようにしています)
俺は深呼吸をしてから、体内の『回路』へと意識を向けた。
――瞬間、お腹の底がカッと熱を帯びる。
その熱が背骨を伝って一気に頭頂部へと突き抜けた。
視界が、まるで世界全てにピントが合っていくようにクリアになり、離れた場所で村人たちが土を詰める微かな音すら、立体的かつ鮮明に頭の中に流れ込んでくる。
全身を、途方もない力が心地よい奔流となって駆け巡っていた。
よし、と俺は走ったりジャンプをしたりしてみる。
EPが増えた時も同じように運動能力など上がったが、あれはあくまでも人間のできそうな範囲内だった。
しかし、今度はそれとは違う。
ジャンプすれば人の背丈ぐらいは飛び、走ればスピードの乗った原付ぐらいは出ている気がする。
体が風を切る感覚が心地いい。この暑い中なら尚更だ。
「――ッ!?」
すぐ近くの木陰で、真言を唱えていた良源が、目を見開いてこちらを見ていた。
側にいた慈眼房も言葉を失い、持っていた錫杖を取り落としそうになっている。
「ふ、藤原殿……今のは、一体……!?」
彼らは木陰から出て、俺のそばにやってくる。
「その身に纏う五大……淀みなく、されど恐るべき速さで身中を巡り、頭から腹までが一本の光の柱のようになっておる。
そのような五大の動かし方――いや、風大を巡らせている気がするが……もしや、あの狂人たちの使っていた……」
良源はそう呟き、しばらく考え込む――
そして、意を決したように深く頭を下げた。
その両手は固く合掌されている。
「藤原験者殿! 恥を忍んでお願いいたす!
今の風大の練り方、その理を……ぜひともこの良源にご教示願いたい!」
お、教えてくれと言われても、俺が作ったものじゃない。
(構造を仏教用語で話せばいいのではないでしょうか。
そこからは、人間の持つ想像力――本人の持つセンスによって、理解することができるかもしれません)
確かに、賀茂忠行など、すぐさま『聖なる矢』を再現できたのだ。
もしかしたら、この道教的な技も、仏教に落とし込めば、彼にも理解できるかもしれない。
俺も貴族の端くれ。
幼い頃、密教の経典をテーマにした法会に行った際、ありがたい講経を聞き、若干だが勉強していた……ハズ。
「良源殿、顔を上げてください。
……貴方が日々行っている観法や加持祈祷は、心、言葉、体――すなわち『三密』をもって力を練り上げているのでしょう」
良源は顔を上げ、真剣な眼差しで俺の言葉を聞き入っている。
「ですが、心――すなわち一念から直接『風大』や『火大』を生み出すのは、精神への負担が大きすぎる。
そうではなく、己の肉体の外側、そして内側を流れる『身中の風』そのものに目を向けるのです。
身体の中を、『風大』が川のように流れていると観想してください」
『五大』とは仏教で、万物を構成する五つの要素だ。
地とは、大地、堅固さ、安定性、骨や肉などの身体の組織を表す。
水とは、水、潤い、まとまり、血液や体液などを表す。
火とは、火、温熱、成熟、体温や消化作用などを表す。
風とは、風、成長、流動性、呼吸や体内の気の動きを表す。
空とは、空間、障りのなさ、無限の広がり、隙間や精神を表す。
この五つを『五大』と呼んでいるのだ。
「身中の……風の川……」
「そうです。そして、その川の流れの途中に――頭頂、眉間、そして下腹部の位置に、観想によって『護摩の炉』を作り出すのです」
良源の喉が、ごくりと鳴った。
「その三つの炉に火を灯し、身体中を巡る『風大の川』を、その炎に向かって吹き付けるのです。
風が吹き込めば、炉の炎は爆発的に燃え上がる。
燃え上がった火大の熱は、再び風を暖め、さらに強く、速く身中を駆け巡る。
すなわち、心で無理やり『五大』生み出すのではなく、身中の風と火を互いに循環させ、相乗の勢いで力を増幅させるのです」
「……ッ!」
良源は天を仰ぎ、ぶつぶつと呪文のように教わったことを繰り返す。
「心――意で増幅させるのではなく……身中の風を直接、護摩の炉にくべる……。
風が火を煽り、火が風を熱して、無限に巡る……なんという、なんという恐ろしい発想……!」
良源は地面に胡座をかき、すうっと深く息を吸い込んで印を結んだ。
彼の目が、異様な集中力によって据わっていく。
(――不動明王の剣の印ですね。
なるほど、『不動明王関数』を炉に使うのですか。純友様の炉には『赤帝関数』を使用しています。
確かに身体強化という面ではこちらの方がいいですね。ぜひ使わせていただきましょう)
胸の前で結んだ両手。
良源は左手の人差し指を、右手の拳で包みこみ、しっかりと結びつけている。
「ノウマク サマンダ バザラダン センダ マカロシャダ!
ソワタヤ ウン タラタ カンマン――」
そして、昨日の戦場でも聞いた真言を詠唱する。
(不動明王の慈救呪――
敵への攻撃でなく、自己の怒りの制御のために使用していますね。
怒りのアストラルエネルギーを安定させ、得た制御能力により、体に秘めたエーテルを動かしています)
彼の体を光のようなものが巡っているのが見える。
俺もこの『エーテル循環システム』によって、体がパワーアップしているから、彼のエーテルの動きがなんとなく感じられるようになったようだ。
「ノウマク サマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン ノウマク サマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン!!」
凄いな。
彼の中に巡っているエーテルが膨れ上がっていくのを感じた。
――ゴオッ
良源の足元から凄まじい風が巻き起こった。
法衣が狂おしく羽ばたき、その全身から、カッと白い水蒸気が吹き出す。
『下丹田』、『上丹田』、『百会』へと駆け巡るエネルギーが、彼の肉体を内側から急激に加熱し、汗が瞬時に蒸発しているのだ。
「おお……おおおっ!」
良源は己の掌を見つめ、そのあまりの力の満ち方に驚喜の声を上げた。
その熱のせいか肌は赤色に染まり、その姿はまるで不動明王のようだ。
(不動明王関数を上手くイメージに落とし込み、アストラル操作に使用しているからですね。
賀茂忠行邸では失敗していましたが、修行で染み付いている不動明王を使うことで、上手く再現しています。
――天才と呼んでいいでしょう)
彼が地を踏み締めると、次の瞬間、まるで突風が吹き抜けたかのように、十数メートル先まで一瞬で移動していた。
その恐るべき速度は、もはや人間離れしている。
――俺より凄いんじゃね?
(純友様の持っているEPをもっと上げる必要がありますね。
何年も修行している僧に追いつくのは、並大抵では無理だということでしょう)
慈眼房も試しているようだが、上手いこといってないようだ。やはり良源が特別ということなのか。
若いしイケメンだし。
いいなぁ。
良源の才能を目の当たりにして、俺の中のこの時代の人たちに対する侮れなさが爆上がりする。
技術が進んでないだけで人は人なのだ。
やはり天才ってどの時代にでもいるんだな……。
照りつける陽射しが、少しずつ西へと傾き始めている。
来るべき今宵の決戦に向け、俺たちはこうして着実に、自らの内に刃を研ぐように力を蓄えているのだった。
【第二十一話・用語解説】
■ 平安・仏教用語
・五大
密教・仏教思想において、万物を構成するとされる五つの要素。地(堅固さ・骨肉)・水(潤い・血液)・火(温熱・体温)・風(流動性・呼吸や気の動き)・空(空間・障りのなさ)の五つを指す。
・三密
密教の修法における、身(印を結ぶ)・口(真言を唱える)・意(本尊を観想する)の三つの行を指す。この三つを一致させることで、仏の力と一体化するとされる。
・観法
瞑想によって特定の対象(仏や真理など)を心に思い描き、その境地に至ろうとする密教・仏教の修行法。
・法会
仏教における儀式・法要の総称。
・講経
経典の内容を講義し、その教えを説くこと。
・験者
修行によって呪術的な験力を得た者への呼称。特に修験道の行者を指すことが多いが、広く法力を持つ者への敬称としても用いられる。
■ 現代知識・道教用語
・内丹術
道教における修行法の一つ。体内の「精・気・神」を錬り上げ、不老不死の境地(丹)を得ることを目指す。
・錬精化気
内丹術における最初の段階。下丹田に集めた「精」を、呼吸と意識の集中によって、より流動性の高いエネルギーである「気」へと変化させる工程。
・還精補脳
内丹術の用語。錬られた「気」を督脈を通して脳へと引き上げ、脳を養うとされる工程。
・督脈・任脈
中国医学・道教における経絡(気の通り道)。督脈は体の背面(会陰から頭頂)を、任脈は体の前面(下腹部から喉元)を走るとされ、内丹術ではこの二つを気が循環する回路として重視する。
・上丹田・下丹田
道教における「丹田」のうち、上丹田は眉間(両眉の間)、下丹田は臍下に位置するとされる、気が集まる要所。
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※AIを文章の校正・改稿、設定整理、資料調査、アイデア検討等に活用しています。また、一部の本文にはAIが生成した文章を直接使用しています。物語・世界観・登場人物・展開等の創作および最終的な文章の判断は作者が行っています。
※本作に登場する仏教用語・哲学用語・科学用語は、実在する思想・学説・科学的知見を参考にした、作中独自の解釈です。現実の思想・学説・科学的見解を厳密に説明するものではありません。
※本作に登場する歴史上の人物・出来事は、実在の史実を題材としておりますが、人物像・人間関係・行動・出来事などに作中独自の創作・改変を含みます。史実とは異なる部分がありますので、歴史創作としてお楽しみください。




