↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/26

第十話 独楽と少年



「どちらの物乞いの子かと思えば、若君ではございませんか!」



 下女マツの声が庭に響く。



「なんというお姿……!その、煤で汚れたボロ布は一体どこから持ってこられたのです。

 さてはまた、市の浮浪児(あぶれもの)に混じって、独楽(つぶり)を回しに行かれましたね!?

 命の危険も顧みず、平民の真似事などなされて……!」


 マツは父が生きていた頃から、この家で働いてくれている下女だ。

 遊びに出かけて戻ってきた息子、直澄(なおすみ)の姿を見て、悲鳴を上げたのだろう。


 ちょうど内裏(だいり)から帰ってきた俺は、そんな場面に出くわしたのだ。



「これには深いわけがあるのだ、マツ!

 家の庭で回したって、私の独楽(つぶり)はちっとも面白そうに回らぬ」



 言い訳になっていない言い訳をする我が息子。



「「深いわけが」ではございませぬ!

 若君は、市井のあぶれ者とはお身分が違うのでございます」



「されど、東市のあやつらの独楽(つぶり)は、まるで生き物のように飛び跳ねて、ぶつかり合うのだぞ!

 今日こそは私の独楽(つぶり)で、市の一番強いやつを負かしてやろうと思っただけなのだ。

 それにな、思うのだ。身分など関係ない、独楽(つぶり)が回ればみな同じなのだとな」



 何言ってんだ、このアホ息子は。

 まったく、あれほど一人で行くなと言っているのに。



「あそこには人をさらって売るような、おそろしい人買いも潜んでいるのです。

 もし若君に万一のことがあれば、殿にどうお詫びすればよいのですか!

 さあ、さっさとその見苦しい衣を脱ぎ捨てなされ!

 殿が内裏(だいり)からお戻りになる前に――」



 マツは俺を見つけて、ハッと口をつぐむ。

 だがアホ息子は空気も読まず、俺のもとへ駆け寄ってきた。



「父上! ちょうど良いところにおいでになられた!

 お聞きください、私の独楽(つぶり)は今日、東市で三つを弾き飛ばしたのです!」



 得意げなバカ息子。

 さらに汚れた服から飛び散った泥が、俺の服にかかる。


 とりあえず、アホ息子の頭にゲンコツを落としておいた。



「――イッ!」



「あぁっ、殿のお召し物が!」



 マツが悲鳴を上げる。

 マツよ、手間を増やしてすまん。


 そういえば、石鹸ってどうやって作るんだっけ……。


 この時代の洗濯は重労働だからな。

 健康のためにも、衛生面は優先した方がいいのではないかと思えてくるのだった。





――――――――――





 さて、今日は符の開発とチート住宅計画を進めよう。


 俺は床に、先ほどまで開発していた札を置いた。

 『病魔退散の護符』だ。



(何かお悩みですか? 深刻な表情をされていますが)



 そう、俺は悩んでいる。

 『病魔退散の護符』を作るのに、エーテルを三日分も使ってしまうのはいかがなものか、と。

 来月――文月(ふみづき)(七月)に行く予定の怪僧調伏までに、ある程度、家の方向性をつけておきたいと思っていたからだ。


 近江国の甲良郷(こうらごう)まで行くとなれば、滞在期間も含めて帰ってくるのは半月ほどかかると思っていいだろう。


 それに、藤原淑姫(ふじわらのよしひめ)の隠居住宅も建てないといけない。

 この調子なら、冬までに家が完成するのかも怪しくなってしまう。


 怪僧調伏中にも、九郎(くろう)たちだけで作業できるよう、いろいろ準備が必要だと思うのよ。

 この調子で家の者の人数分『病魔退散の護符』を作ってしまえば、それだけでもう出発の時期になってしまう。


 どうにかエーテルコストを下げつつ、『病魔退散の護符』を作れないものだろうか。



(そうですね。

 考えをまとめるため、『病魔退散の護符』がどのような要素でできているのか分解してみましょう)



[DISPLAY] -----------------------------



【病魔退散の護符】


・符頭:「泰山府君(たいざんふくん)」

 日本語版 道教パッケージの「泰山府君(たいざんふくん)関数」。


・符身:「急封鬼神符号《きゅうほうきしんふごう》」

 病気――つまり「病魔」という対象指定。


・符胆:「五行(木・火・土・金・水)の結び印」

 周囲のエーテルを集める部分。

 継続的に集めるが、量は微量。


・符脚:「急急如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》」

 符の起動スイッチ。


----------------------------------------



 まあ、俺のエーテル総量も『聖なる矢』三発分から八発分に進化している。

 この護符を作り始めた頃は最大容量が六発分だったから、今なら多少は余裕がある……と思いたい。


 とはいえ、こういうのをいちいち『聖なる矢』換算で考えるのもややこしいな。



(わかりました。『情報重畳表示(スマートオーバーレイ)』に、『聖なる矢』のエーテル使用量を1としたエーテルポイントを表示します)



 視界の端にメーターとともに、EP8と表示される。

 もちろん、普段から表示されているとうるさいので、オンオフは可能だ。



(『病魔退散の護符』の消費量と構成要素を表示します)



[DISPLAY] -----------------------------



【病魔退散の護符】


・符頭:「泰山府君(たいざんふくん)」(作成時消費EP:5)

・符身:「急封鬼神符号《きゅうほうきしんふごう》」(作成時消費EP:10)

・符胆:「五行(木・火・土・金・水)の結び印」(作成時消費EP:2)

・符脚:「急急如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》」(発動・作成時消費EP:1)


合計作成消費EP:18


----------------------------------------



 ――『急封鬼神符号』が重っも。

 ここがエーテルコストのネックなのか……。



(しかし、ここは削除することができません。

 『泰山府君(たいざんふくん)関数』には様々な計算が含まれているので、ここでの指定が無いと機能しないのです)



 ――うーん。

 代わりになるものはないのかなぁ。



[DISPLAY] -----------------------------



【隠行符(おんぎょうふ)】


・符頭:「摩利支天(まりしてん)」(作成時消費EP:5)

・符身:「名前」(作成時消費EP:1)

・符胆:「五行(木・火・土・金・水)の結び印」(作成時消費EP:2)

・符脚:「九字」(作成時消費EP:2)

・符脚:「急急如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》」(発動・作成時消費EP:1)


合計作成消費EP:11


----------------------------------------



[DISPLAY] -----------------------------



【鬼神不入(きしんいらず)の護符】


・符頭:「泰山府君(たいざんふくん)」(作成時消費EP:5)

・符身:「鬼神不入(きしんいらず)」(作成時消費EP:10)

・符胆:「十二神将(じゅうにしんしょう)」(作成時消費EP:5)

・符脚:「急急如律令《きゅうきゅうにょりつりょう》」(発動・作成時消費EP:1)


合計作成消費EP:21


----------------------------------------



(【病魔退散の護符】に使われている『急封鬼神符号《きゅうほうきしんふごう》』が重いのは、この符号が病魔という広い範囲を扱っているからだと思います。

 アプリの検索条件でいう『病気すべて』を選んでいるような状態なので、処理が重くなるんですね。

 この部分を『個人の名前』に限定すれば、大幅に軽くできますが、それでは『泰山府君(たいざんふくん)関数』のシステム自体がエラーを起こしてしまう可能性がありますのでお勧めできません)



 ――なるほどねー。

 閻魔様の『泰山府君(たいざんふくん)関数』は『摩利支天(まりしてん)関数』に比べてできることが多いから、「何々をしたいです」と書き込まないといけないんだ。そこに名前を入れてもって感じ?



(名前を入れることにより、何に効果を発揮したいかは指定できますが、ここに現代の病名を記したところで、むしろ『泰山府君(たいざんふくん)関数』と相性が悪くなるので増えてしまう可能性があります。

 そもそも病気を指すソースコードを私は持っていないので、削るアプローチは現実的ではないでしょう)



 ――うーん。じゃあ『九字(くじ)』は?

 符頭に『九字(くじ)』を入れれば、結界を張れるんじゃない?



(はい、結界を張ることは可能ですが、病原菌は防げませんよ。

 悪霊などの攻撃になら、一定の効果は発揮しますが)



 ――あ、そうか。

 病魔とかあるから霊的なものと思っていたけど、病気は霊とは違うか……。

 ん? じゃあ、『泰山府君(たいざんふくん)』はどうやって守ってるの?



(『泰山府君(たいざんふくん)関数』というパッケージには物理世界の病気というのも含まれています。

 人間の生命力に関する処理が多く含まれていますので、そういった意味でできる範囲が広い関数なのです)



 ――じゃあ、『泰山府君(たいざんふくん)関数』から病気に対する効果だけ抜き出せないの?



(『阿頼耶識(あらやしき)言語』で書かれているので難しいですね。

 『末那識(まなしき)言語』なら解析できますが……。

 確かに『泰山府君(たいざんふくん)関数』から病気を回避する計算式を取り出すことができれば、『符頭』にそれを記述し、『符身』に所持者名を記述するだけで、病気避けの効果を発揮することは可能でしょう)



 ――うーむ。

 だけど、神仏関数は『阿頼耶識(あらやしき)言語』だからわからないと……。


 あ!


 じゃあ『末那識(まなしき)言語』でできている『聖なる矢』は?



(はい、それなら可能です。

 まずは賀茂忠行(かものただゆき)邸で書いた『聖なる矢』の符術コードを表示しましょう)



[DISPLAY] -----------------------------


【聖なる矢の符】


・符頭:「聖なる矢」(作成時消費EP:1)

・符身:「指定可能」(作成時消費EP:0.2)

・符胆:「自身のEP」(作成時消費EP:0.2)

・符脚:「起動スイッチ」(発動・作成時消費EP:0.1)


合計作成消費EP:1.5


----------------------------------------



 かるっ。

 なんだこれって感じだ。



(無駄なノイズ情報は入っていませんので。

 『書けルンです』を使うことによって、『末那識(まなしき)言語』を「日本語(符術用)」に翻訳し出力しているのです)



 ――なるほど。

 平安の符は、『神仏関数』というパッケージ情報を使っている。

 対して俺の書いた符は、Yuiさんが『末那識(まなしき)言語』から必要なものだけを抜き出して、日本語にしていると。だから軽いんだね。



(はい。そのため、同じような効果を持つ術でも、エーテル効率に大きな差が生じるのです)



 ――なら、ここから使える部分を探してみよう。



[DISPLAY] -----------------------------


【聖なる矢の構成要素】


・「EPをエクトプラズム化」(発動消費EP:0.1)

・「エクトプラズム硬化(矢)」(発動消費EP:0.1)

・「エクトプラズムに『火』関数付与」(発動消費EP:0.3)

・「エクトプラズム『火』に『浄化』関数付与」(発動消費EP:0.4)

・「射出」(発動消費EP:0.1)


----------------------------------------



 ――ずいぶん細かく分かれるんだね。


(はい。もっと細かな要素はありますが、それは私が純友(すみとも)様の生命維持用のエーテルを用いて、その度に操作しているので、ここには入れていません)



 ――え、操作するエーテル使っていいの?



(自然回復量よりも少ない、ごく微量なので問題ありません)



 ――この『浄化』って、そもそも何なの?



(『浄化』は、あらゆる有害なエネルギーを反転させて、肉体に対して無害なものへと書き換える処理です。

 たとえば餓鬼などの化け物は『負のエーテル、アストラルエネルギーの塊』なので、『聖なる矢』の『浄化』で『正』に強制変換されると、存在を維持できなくなって消滅してしまうわけです)



 ――じゃあ、肉体にとって負の細菌を正に変えることは可能だろうか?



(可能です。この『浄化』関数は、汚れや毒にも効果があります。

 その病原菌のレベルに対応したエーテル量は必要ですが、体に負の作用を及ぼす菌を浄化――排除することは可能ですね)



 ――おお。なんか夢が広がる効果だ。



(呪符として使う際には、『九字(くじ)』の結界と一緒に使うのはいかがでしょうか?

 『九字(くじ)』は『破邪』なので、エクトプラズムや霊体にしか効きませんが、この力に『浄化』を足し、体を囲む『破邪』の結界に『浄化』の力を加えるのです)



 なるほど。『九字(くじ)』をそのまま使うんじゃなくて『浄化』を足すわけか。



[DISPLAY] -----------------------------


【浄化の護符】


・符頭:「九字(くじ)」(作成時消費EP:2)

・符頭:「『浄化』関数付与」(作成時消費EP:0.1)

・符身:「所持者」(作成時消費EP:0.2)

・符胆:「五行(木・火・土・金・水)の結び印」(作成時消費EP:2)

・符脚:「起動スイッチ」(発動・作成時消費EP:0.1)


合計作成消費EP:4.4


----------------------------------------



(コストが軽減されましたね。こうすることで、一日一枚、もう少し成長すれば二枚は作成できます。

 『五行の結び印』によって周囲にある少量のエーテルを使用しているので、出力はそれほど高くありませんが、病原菌などの微少生物には十分な効果を発揮します。

 この護符なら、少し汚れた水を飲んでも問題ありません。

 体に付く汚れ、軽い汗や微量の泥、蚊程度の虫や寄生虫なども浄化し、排除することが可能です。

 怪我をしても、怪我が治るわけではありませんが、ある程度の汚れなら、感染症の心配もほぼ皆無と言っていいでしょう)



 え、すご過ぎない?

 マツの洗濯も楽になるし、蚊を防げるのもいいじゃん。


 樟脳はクスノキの確保が難しくて頓挫していたところだった。


 しかも、この札で浄水槽とかも作れそうだ。

 井戸に貼るだけでも良さそうだし。



(井戸ほどの容量になると、お札の処理能力を超えてしまいますね。

 あと、大きなゴミや容器自体の汚れが強力な場合、浄化が追いつきません。

 手漕ぎポンプなどを作り、そこに貼るということなら可能ですが、汚染水の滞在時間が短いので、濾過した水を瓶に溜め、そこに入れた水を浄化するのが妥当でしょう)



 いやいや、それだけで十分よ。

 これは符によって、住宅チート化も進みそうだ。



 ――オレの考えた最強の住宅。



 やっば。

 厨二病感満載の妄想に、ワクワクしてくるぜ。





――――――――――





 そして数日後。

 俺は直澄(なおすみ)、瑠璃(るり)、純乗(すみのり)と一緒に東市へ来ていた。



 チート住宅を建てるための物資を買うためだ。



「父様、私は白粉(おしろい)など付けずとも大丈夫です。

 あの粉っぽい感覚にどうしても馴染めませんので……」



 瑠璃(るり)がこう言っているのは、俺が貝殻を探していると言ったせいだろう。


 ただ、貝殻が欲しいと言ったのは、瑠璃(るり)の白粉(おしろい)のためではない。

 漆喰が作りたいがためであった。


 チート住宅と言っても、いきなり現代家屋を作り出すことはできない。

 そこで俺が考えたのは、江戸時代の漆喰で塗り固められた土蔵だった。


 平安時代の寝殿造は夏場は涼しいが、冬は寒い。

 かといって土壁を作ってゴテゴテにしようものなら、夏場にはたちまち湿気にやられてしまうだろう。


 その点、蔵なら漆喰で固められているため、「耐火性」「防湿性」はばっちりだと思うのよ。

 家自体は小さくなるかもしれないが、日本のこの気候で快適に暮らそうと思えば、これが最良なのではないだろうか?

 イメージするなら、前世で流行った古民家の蔵をリノベーションして、ホテルとかにするやつみたいな。


 ただ、それをYuiさんに相談したところ、問題点として採光と換気、あとは製作期間が二年ほどかかるだろうと言われた。


 確かに蔵には窓などあまりないイメージだ。

 結構暗そうだしな。


 そこで、この前の符の研究で思いついたんだが、『聖なる矢』の構成要素、「エクトプラズムに『火』関数付与」を使うのはどうかと思いついたわけよ。


 周囲のエーテルを『五行の結び印』でゆるゆる吸いながら、「エクトプラズムに『火』関数付与」をごく小火力に絞る。

 それを和紙か何かの行灯の中で使っていれば、光は赤いが光源になるんじゃないかって。



(いいアイデアですね。どうせなら『浄化』の機能も追加しませんか?

 光が赤から白に変わるだけでなく、空気清浄機のようにハウスダストや空気の汚れも除去できるようになりますよ)



[DISPLAY] -----------------------------



【浄化灯の符】


・符頭:「EPをエクトプラズム化」(発動消費EP:0.1)

     「エクトプラズムに『火』関数付与」(作成時消費EP:0.1)

     「エクトプラズム『火』に『浄化』関数付与」(作成時消費EP:0.4)

・符身:「符の少し上」(作成時消費EP:0.1)

・符胆:「五行の結び印」(作成時消費EP:2)

・符脚:「起動スイッチ」(発動・作成時消費EP:0.1)


合計作成消費EP:2.8


----------------------------------------



(これなら消費EP3未満で作成できますよ。

 周囲から吸い上げるエーテル量も、スマートフォンの待機電力くらい、ごく微量です。いくつ設置しても、環境のバックグラウンドに負荷をかけることはありませんね)



 この符を開発したことによって、蔵マイホーム化計画が一気に現実味を帯びてきた。

 もちろん採光窓や換気口も作るのだが、なるべく減らしたほうが保温性はいい。

 それでは補えない箇所が結構できるだろうから、この札で補っていきたい。


 さて、それなら問題は漆喰作りと製作期間だな。


 とりあえず漆喰には石灰、海藻の海蘿(つのまた)、あとは繊維質の苧(からむし)が必要になってくる。

 海蘿(つのまた)は租庸調の調として毎年納められているが、今年は結構余っていたので、それを安く払い下げてもらおうと思っている。



 フッフッフ。

 主計(かずえ)で働いていて初めて良かったと思えたぜ。

 何せ大量だから、市で集めるのは一苦労だ。


 石灰、苧(からむし)だが、石灰は貝殻を焼いて作る予定。

 苧(からむし)に関してはそこら辺に生えているのだが、加工が必要なので市場で買うことにした。

 なんせ両方とも大量に必要なので、個人で採取して作るのは時間がかかり過ぎてしまう。



「苧(からむし)は沢山ありますが、貝殻は少ないですね……」



 お、瑠璃(るり)は嫌と言いながら、白粉(おしろい)を気にしていたのか?



「いえ、最近の父様(ちちさま)はいろいろ楽しいことを思いつくので、今度は何を作るのか楽しみなのです」そう言ってキャッキャと笑う。



 前世から考えると、こうやって笑ってくれる娘がいることが、どんなに幸せか。

 しみじみ感じる。



「あ!! 猛(たける)ッ!

 父上! これより独楽(つぶり)にて、漢の勝負をしてまいりまする。いざっ!」



 直澄(なおすみ)が友達を見つけたのか、弾丸のように走っていってしまった。

 純乗(すみのり)が俺の方を見て、やれやれという顔をする。



「すまんが純乗(すみのり)、見に行ってやってくれ」



 純乗(すみのり)は頷いて、追いかけていった。



「あんなもの、何が楽しいんでしょうか」



 瑠璃(るり)は呆れた顔で、彼らが向かった方角を眺めていた。





 ――――――――





   ――チーン

      ――チーン




 ――皆々、お立ち会い。お耳を傾けられよ!



 その時、賑やかな市場の辻の一画。

 物売りの声や行き交う人々の足音が響くなか、筵(むしろ)の上で、一人の法師陰陽師らしき、怪しげな格好をした男が鉢を鳴らし、声を上げた。



 何が始まるのかと興味津々で、皆、立ち止まり始める。



「この承平(じょうへい)の世、夜に北野の原から吹く風の、なんと冷ややかなことか――」



 少し掠れているが、よく通る声で男が話し始めた。



「前年の落雷、先帝の崩御、そして都を覆う瘧病(おこり)の流行……。

 これらがすべて、人の仕業であるはずがございませぬ。

 これぞ世に満ちる怨念、もののけの仕業にございます」



 男はそう言って、聴衆を見渡した。

 そして、ある程度聴衆が集まり、耳を傾け始めたと思うと、話を続ける。



「……今宵お話しするのは、ほんのひと月前、右京の一条大路、紙屋川の近くにある荒れ果てた邸で起きた、世にも恐ろしき怪異にございます」



  ――おお、あれか


      ――聞いたことあるわ


    ――ああ、おそろしや



 聴衆が口々に話し始める。



 なんだ?

 噂になっている怪異でもあるのかと、俺も耳を傾けた。

 隣に居る瑠璃(るり)は、俺の袖をギュッと握りしめる。



「その邸には、かつて五位の某(なにがし)という高貴なお方が住んでおいででしたが――先の疫病の折に一族もろとも絶え果て、今や夜な夜な狐狸(こり)が鳴く廃屋と化しておりました……」



 右京の一条大路の向こうは荒れ果て、今は住んでいるものも少ない。

 そんな廃屋があっても、おかしくなかった。



「そこへ、大内裏の火を差配する主殿寮(とのもづかさ)の官人、伴惟正(とものこれまさ)という男が、邸の検分と留守居を命じられたのでございます」



 ふむ。

 俺は聞いたことのない話だが、内裏(だいり)のすぐ近くの話だ。

 暗闇に慣れた主殿寮(とのもづかさ)の者が頼まれそうなことではある。



「夜になり、一条大路の闇は深まるばかり。

 惟正(これまさ)が灯した灯明の、わずかな胡麻油の炎だけが、破れた蔀戸(しとみど)の奥を赤黒く照らしておりました。

 風が吹くたびに、帳(とばり)が生き物のように揺れる――」



  ――ひゅう


     ――ひゅう



 側に吊るしてあった帳(とばり)を揺らしながら、口で風の音を鳴らす法師陰陽師。



「男は恐ろしさを紛らわそうと――

 邸のなかでも最も頑丈な、窓なき納戸――塗籠(ぬりごめ)の鍵を開ける」



  ――キィ


     ――キィ



「埃を被った古い調度品の奥には、錦の袋に包まれた一面の古鏡がございました――」



 そう言って、袖から出した青く錆びた銅鏡を聴衆に向ける。



「取り出してみれば、手入れを怠った鏡面は、青緑色のサビ――緑青(ろくしょう)にすっかり覆われ、主の死を物語るように曇り果てております」



 ――これほどの良品を、朽ちさせるはもったいない。



 法師陰陽師は男らしげな低い声で言う。



「惟正(これまさ)は懐の布を取り、灯火の下で、ぐっと鏡の面を拭いました。数度こすると――」



    ――きゅっ


   ――きゅっ



「緑青(ろくしょう)の奥から、青白く、鋭い金属の鏡面がヌウと現れた……。

 鏡は炎の光を反射して、ギラリと光る。

 惟正(これまさ)がふと、その鏡に我が身の顔を映してみた時のことにございます――」



 話と同じように布で銅鏡を拭いていたのだが、それをまた聴衆に向けた。



  ――ひィ!


    ――きゃあッ!



 いつの間にか、鏡に目のようなものが描かれている。

 まるで手品のようだ。



「……映ったのは、己の顔だけではございませんでした。

 鏡のなかの、己の背後の闇。

 そこに、何かが映っていたのでございます。

 それは、破れた襖(ふすま)の隙間から、じっとこちらを覗き込む、世にも恐ろしい一対の眼」



 目が描かれた銅鏡を、聴衆へぐるりと向ける。



「そう、それはこの邸で無念の死を遂げた、前主の娘の怨霊にほかなりませぬ」



 ――誰か、そこにいるのか!



「惟正(これまさ)は肌に粟を生じ、激しく振り返りました。

 されど……背後には誰もおりませぬ。

 ただ、暗い部屋の奥に、風に揺れる帳(とばり)が見えるだけでございます」



 ――気のせいか。灯火が揺れたのだな。



「冷や汗を拭い、惟正(これまさ)は再び鏡に目を落としました。

 すると……どうでしょう。

 鏡のなかの己の背後にいたはずのその『眼』が、いつの間にか、惟正(これまさ)の肩のすぐ後ろ、耳元にまで迫っている。

 髪を長く振り乱し、怨みに満ちた顔が、鏡の底にへばりついている!」



 大きな声を出す法師陰陽師。



「現実の惟正(これまさ)は、恐怖のあまり身動き一つできませぬ。

 されど……鏡のなかの『惟正の像』が、現(うつつ)の己に反して、勝手に動き出し……にたりと人間とは思えぬ禍々しい笑みを浮かべたのでございます」




 ――ひいッ!




 横の瑠璃(るり)が、法師陰陽師の上げる悲鳴のような声にビクッとする。

 俺は背中をそっと撫でてあげた。



「惟正(これまさ)は悲鳴を上げ、鏡を床へ投げ出しました」




  ――カラン


     ――カランッ




「カランと高い金属音が響き、鏡はうつ伏せに転がった。

 男は這うようにして塗籠(ぬりごめ)から逃げ出し、命からがら夜を明かしました――」



 放り投げた銅鏡を、法師陰陽師が拾い上げる。



「……しかし、怪異はそれで終わりませなんだ。

 次の日から、惟正(これまさ)の様子がおかしくなったのでございます。

 水たまりを覗いても、磨かれた椀の底を見ても、あるいは夜の深い闇を見つめても、そこがすべて『己を映す鏡』となる。

 そして、そこに映る我が姿は、決して己と同じ動きをせず、常に鏡の奥から、じっとこちらを嘲笑う」



 ――私は、あちら側に引きずり込まれる!



「そううわ言を言い残し、惟正(これまさ)はわずか数日のうちに、瘧病(おこり)のごとき高熱を発し、そのまま息を引き取りました。

 魂を、鏡の底の冥道(めいどう)へ、毟(むし)り取られたのでございます……」



 法師陰陽師は、そこでふっと声を切った。


 筵(むしろ)のまわりに集まった聴衆の顔を、なめるように見据える。

 人々は息を呑み、東市の喧騒も忘れて硬直している。




  ――スッ




 法師は妖しく微笑み、懐から何枚もの木札の符を取り出した。



「皆々、明日は我が身でございますよっ!

 怨霊の刃、もののけの呪いは、いつこの東市の辻を通りかかるやも知れぬ。

 さあ、夜道に惑わされぬよう、鏡の底に魂を吸われぬよう、この陰陽道秘伝の『物忌(ものい)みの符』を懐に忍ばせられよ。

 これさえあれば、いかなる邪気も身に近づくことはございませぬ。

 さあ、悪霊が恐ろしければ、今のうちにお求めになりませ、お求めになりませ……!」




  ――お、俺買います!


    ――わ、私も!


         ――俺も!




 法師陰陽師は、ホクホク顔で野菜や米、布と『物忌(ものい)みの符』を交換している。



 ――Yuiさん、あの符って、まさか……。



(偽物ですね。人間の想像力によってアストラルエネルギーを動かすことは可能ですが、エーテルによる回路は作られていませんので、プラシーボ効果レベルでしょう)



 俺の袖を引っ張る瑠璃(るり)。



「父様(ちちさま)――途中、袖に隠した目の絵が描いてある鏡に変えておりました。

 いかさまにございますから、おやめになった方がようございますよ」



 娘よ。

 父が無駄なものを買いそうに見えたのか……。


 しっかりとした娘に育ったものよ。

 でもこの法師が大きな声を出した時は、しっかり怖がっていたよな。


 俺は瑠璃(るり)の頭をわしゃわしゃと撫でる。



「やめてください!」



 怒られた。

 そんな娘に苦笑しながら、俺たちはこの場を離れるのであった。






【第十話・用語解説】


■ 平安用語・密教用語


・東市

 平安京の東側に設けられていた公設市場。本作では、主人公たちが生活用品や建築材料などを買い求める場所として登場する。


・独楽(つぶり)

 軸を中心に回して遊ぶ玩具。本作では直澄たち子どもが遊んでいる。


・主殿寮(とのもづかさ)

 宮中の殿舎や調度などに関わる役所。本作では伴惟正が所属する役所として登場する。


・塗籠(ぬりごめ)

 壁や戸などで閉じられた部屋。本作では怪異の舞台となる屋敷の一室として登場する。


・泰山府君(たいざんふくん)

 本作では、病や生命に関わる力を司る「神仏関数」の一つ。病魔退散の護符などに使用される。



■ 現代知識


・漆喰(しっくい)

 消石灰などを主材料として作る壁材。本作では家屋や蔵の壁を白く塗るために利用される。


・海蘿(つのまた)・苧(からむし)

 本作では漆喰などの建築材料として利用する植物・海藻。海蘿は海藻の一種、苧は繊維を取るための植物として扱われる。




====================



※AIを文章の校正・改稿、設定整理、資料調査、アイデア検討等に活用しています。また、一部の本文にはAIが生成した文章を直接使用しています。物語・世界観・登場人物・展開等の創作および最終的な文章の判断は作者が行っています。

※本作に登場する仏教用語・哲学用語・科学用語は、実在する思想・学説・科学的知見を参考にした、作中独自の解釈です。現実の思想・学説・科学的見解を厳密に説明するものではありません。

※本作に登場する歴史上の人物・出来事は、実在の史実を題材としておりますが、人物像・人間関係・行動・出来事などに作中独自の創作・改変を含みます。史実とは異なる部分がありますので、歴史創作としてお楽しみください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。