第八十六話 睡眠不足で毛穴が開く
『菊理姫様!お導きを!』〜定時で帰りたい領主は、今日も魔法犯罪に追われます。〜
主人公櫻子とヒロの出会い編スタート!
毎日23時更新!
時系列
〜しくじり元公爵令嬢とこじらせ忌守君〜
〜英雄の誕生〜 ←鬱展開あり閲覧注意
〜定時で帰りたい領主は、今日も魔法犯罪に追われます〜
パソコンの画面に並ぶ文字が、ゆっくりと滲んでいく。
瞬きをする。
目を擦り、もう一度画面に視線を戻した。
紀州で発生した一連の事件について、捜査本部から届いた報告書。確認すべき箇所に印をつけ、必要な資料を添付して返信する。それだけの作業だ。
それだけのはずなのに、文章を目で追う速度が、先ほどから明らかに落ちていた。
カーソルが点滅している。
次に何を入力しようとしていたのか、思い出すまでに数秒かかった。
……いけない。
背筋を伸ばし、椅子に座り直す。
仕事部屋に鳴り響くPCのタイピング音。
私は、黒い缶に緑の爪痕があるパッケージのエナジードリンクを飲む。
ズズズーっとエナジードリンクに差されたストローから音が鳴る。
「むわぁ…」私の口から自然とそんな声が出る。
「……もう、寝たらどうや?」反対側の机に座り、仕事をしていたヒロが声をかけてきた。
「これをほって寝たらな……明日の私が大変になんねん……」私は目を擦ってPCの画面を見つめる。
視界がぼやける。
意識が遠のく。
いけない…。寝てはいけない…。
しご……と………。
翌日、目が覚めたらベッドだった。
最近は、いつもこうだ。
仕事部屋で意識が遠のく、気がついたらベッドの上。
時計を見る。
深夜の2時前。
私は、もう一度仕事部屋へ行く。
ヒロが出てきた。
「寝ときよ…酷い顔やで」ヒロの呆れた顔が見える。
「仕事…仕事が……」私の喉からそんな声が漏れる。
「仕事ゾンビが何ができるんよ?休息取るのも仕事のうちやで……」そんな声を掻き消すような電子音。
ヒロのスマホが鳴った。
「電話?」
「ちゃう。最低限寝る時間知らせるアラーム。櫻ももう寝ようや」
「でも……」
ヒロの大きな手が私の顔を包む。
「寝やんのやったらキスするぞ!ええんか?」ヒロがそんなわけのわからん脅しをしてきた。
私は、ぼーっとヒロの顔を見る。
面長で少し鼻が大きい。
切れ長で琥珀色の瞳。
髭を生やして、男らしい。
意識が再び遠のく。
私……弱くなっちゃったかも……。
これぐらいの仕事なのに……。
どうしよう。魔術師……伝達者……続けないと……。
◇◇◇
「おはようございます」
「おはようございます」挨拶を返す。
昔からの癖で整列をする時は無駄に力がはいってまう。
眠い。ここは戦場じゃない。
長々と営業がなんか喋っとる。
知らんし。
目をつぶって少し意識を飛ばす。
「今日もよろしくお願いします!」
その声で目を開ける?
朝礼を終え、今日の作業予定を確認する。
新車の用品付けが三台。うち一台はナビと前後ドライブレコーダー、もう一台はETCと各種アクセサリーの取り付けだ。
作業指示書を手に、工場へ向かう。
真新しい車体がリフトの前に並んでいた。
納車前の新車は、当然ながら傷ひとつ許されない。工具を持ち込む前に、車体の状態を確認する。取り付ける用品と部品を照合し、必要なものを作業台に揃えた。
あくびを噛み殺しながら作業を進める。
頭を動かさないで体を動かす。
頭は出来るだけ省エネモードにしたい。
「田中!ライトチェックかまん?」同僚の川野から声をかけられた。
車検のライトチェックか……。
「え?なんぼっすか?」そう言いながら車の前に出る。
川野が運転席からライトを付けた。
「はーい、はーい、はーい、オッケーです」
次に足回りを見る。車の後方に回り、立つ。
「はーい、はーい、足回りー、切ってー、踏んでー、離してー、もう一回。オッケーです」
「田中、おおきに」川野からそんな言葉が飛んでくる。
「うぃーっす」適当に返事して作業に戻る。
俺は半分意識を飛ばしながらオートマスタイルで作業をする。
今日はこのまま何も考えず、定時で帰りたい。早く昼休憩にならんかな?昼寝がしたい。
あくびをする。
「田中!気を緩めるなや」工場長の怒号が飛んできた。
うるせー死ね。
表向きの仕事が進んでいく、俺は睡眠をちょこちょこ挟みながら仕事をこなした。
◇◇◇
体育係の元気な掛け声が聞こえる。
ちゃんと体操をする面々。
「アップ!」私のクラスの子が声をかけた。2組はなんのことかわかるので一列に整列する。
しかし、他クラスの1組はわからないのか戸惑っている。
「1組さんは、2組さんの真似っこしてー!ぶつからないように気をつけて!」そう声をかける。
1組がゾロゾロと真似をする。
「ダッシュ!」体育係が声をかけて一斉にダッシュをしはじめる。
「スキップ!」号令がまたかかる。私は1組の様子を見る。oh……何人か出来ていない子がおるな……。
「ギャロップ!」「サイド!」私のクラスの子たちが号令をかけながらウォーミングアップをしている。
それを観察しながらラジカセを用意する。
「櫻子先生の体育、本格的ですね」そんなことを主任の田所に声をかけられる。
合同体育で私が主で動かしたのは初めてだ。私のクラス流のウォーミングアップは初めてか。
「よく、体動かさないと怪我に繋がるので」短く答えた。
「ふー」あくびをしないように息を吐く。
「櫻子先生、お疲れのようやね」
「そんなことないです」
嘘だ。最近の睡眠時間は2時間ほどだ。さっきも生活の動画を見ながら寝かかってしまった。
とりあえず、この5、6時間目の合同体育をなんとかこなして仕事を切り上げる!
そして、定時ダッシュした後に内宮の書類整理!今日は、早く寝る!
と!言うかハイボールを飲む!
最近、飲酒ができていない。
私のガソリン!
「櫻子先生……目の下の隈……酷いで?ほんま大丈夫?」田所先生がそう声をかける。
「大丈夫です!今日も喧嘩なく、怪我なく、平和に1日を終えます!」両手をグッと握りながら話す。
そして、ステージに立つ。
「はーい!じゃ、背の順2列!」号令をかける。
初めてのダンス練習だ。
揉め事など起きないだろう………。
軽快なリズムを流し始める。
みんな楽しそうだ。いい滑り出し!
そう、思っていた。そう!思っていたのに!
「いやぁぁぁぁ!」一人の子が大きな声で駄々をこねた。
そうして、隣の子を殴る。
田所先生が飛んでいく。
素早い動きで引き剥がし、落ち着かせる。
あの子か、スイッチ入っちゃったな…。調子いいって話やったんだけど……。
「櫻子先生は続けて!」田所先生が叫ぶ。
「はーい!じゃ、先生に注目!なんの曲やった?」
「妖怪時計!」
「そうやねー!妖怪時計の曲が好きな人ぉ!」
「はーい!」元気よく手を上げる子どもたち。
2年生の可愛らしさに癒されつつ授業を進める。
もう一度曲を流す。
ホニャニャ♩ホニャニャ♩
何人かはもう、振り付けを踊っている。
よしよし!色々あったけどつかみは大丈夫かな?
動きを確認しながら運動会のダンスを踊る。
そうやって午後が過ぎていく。私の体力ゲージが限りなく0になりそうだ。
でも、耐えろ。内乱の時よりはマシだ!
そう、自分を鼓舞して仕事をするのであった。
◇◇◇
海から吹き上げる風が、緑に覆われた小高い山の斜面を抜けていく。
その山の裾には、古くから人々の信仰を集めてきた社が鎮座していた。
弥勒寺山
その山ほど近くに一棟の洋館が建っている。
淡いクリーム色の外壁に、深い緑の窓枠。幾何学模様を描く窓ガラスには月明かりが反射している。
緩やかな曲線を描く屋根と優雅な玄関ポーチ。
その前に私とヒロが立っている。
中に入りたくない……。
でも、中に入らないと仕事が進まない。
「お先にどうぞ」ヒロが声をかけてきた。
「ヒロこそ!お先にどうぞ!」
「嫌や!」
「私だって嫌や!」そうして、ヒロのゴツい体を押す。
嫌や!嫌や!お互いがお互いの体を押し合っている。
「櫻子殿と田中殿は何をしているでござるか?」そこに声をかけられた。
バンダナを頭に巻いて、アニメTシャツ。それに、皮のベスト。
一人のオタクがいる。
誰だ?この子?知らないんだけど。なんで私の名前知っているんだろう?
「伊能……おったんか……」ヒロが苦虫を噛み潰したようにオタクに話しかけた。
「え!?伊能君?」
私は、社交会のタキシードや軍服姿しか知らない。
私服が……ダサすぎる……。
「中で徳田隊長が待っているでござる!ささ!特別本部に入るでござる!」
伊能に背中を押される。
「え!ちょ!」
「あかん!心の準備が!」
私たちバディが情けない声を上げる。
重い扉が開かれる。
吹き抜けのホールが目に飛び込む。磨かれた黒い木の階段が2階に伸びている。
魔石入りのランプが淡く室内を照らし出している。
「やっと来たな!不良娘!」無駄にでかいハキハキした声が頭上から降ってくる。
肩幅が大きい、筋肉質の老人。
髪を短く刈りそろえて、左頬に傷。
今日も緋色の軍服を着て、風を切りながら2階から降りてくる。
徳田さんの緋色のマントが揺れる。
「遅くなり申し訳ありません」壊れた機械のように返事をする。
「よし!捜査をするぞ!まずは、何処を潰せばいい?」徳田さんが物騒なことを話してくる。
「………まずは、わかっていることを確認しましょう?いきなり、家宅捜査は致しません」
「ぬるいなぁ!櫻子君はぁ!」紫の瞳が私を見下ろす。
「慎重と評価して頂きたいです。伊能君の他の騎士団はどうされたのですか?」
「過労で療養中でござる」伊能がとんでもない事をサラッと言った。
「は?」私の口から淑女らしからぬ声が出る。
「ここは紀州だ!魔素を取り入れながら無限に動けるぞぉ!ガハハハハ!」徳田さんが笑いながら近づいてきた。
「と!言うことでよろしくでござる!」ガシッと私たちの肩を掴む伊能君。
彼の目の下にも隈が酷い。
最近の書類の多さはこれが原因か!?
己の体から魂が抜けて霊世へ行くのをなんとか耐える。
私はヒロと目を合わす。お互いの顔に【逃げたい】そう書いてあった。
ここからクレイジージジイの脳筋捜査が始まったのであった。




