第七十七話 数歩の距離ー嘘つきな男ー
『菊理姫様!お導きを!』〜定時で帰りたい領主は、今日も魔法犯罪に追われます。〜
主人公櫻子とヒロの出会い編スタート!
毎日23時更新!
時系列
〜しくじり元公爵令嬢とこじらせ忌守君〜
〜英雄の誕生〜 ←鬱展開あり閲覧注意
〜定時で帰りたい領主は、今日も魔法犯罪に追われます〜
山を下る頃には、東の空がわずかに白み始めていた。
エンジンの振動が、冷え切った身体に伝わってくる。
前を走る櫻のApe。その小さな背中を俺は一定の距離を保ちながら追いかける。
魔道具のインカムは無言。
何を話せばわからん。
何かあったような気がするが……。記憶が曖昧なところがある。
多分朧記魔法を使われたな。俺は、大和から逃がされる時に……使われたことがある。
知られたくない何かなのだろう。このまま見ない方がいい。
俺は、気持ちにまた蓋をした。
眼下に広がる紀州の山々。そこに、季節外れの雪が積もった場所が見える。
ガータロの里が肉眼で確認できるようになってきた。
高度を下げて里に降り立つ。
奴隷紋の解呪ができなかったガータロの死体が子供たちによって運ばれていく。
子供が子供を慰める。
それを中央騎士団の者も交えて手伝っている。櫻が降らせた真っ白な雪の中。緋色の軍服がひどくが目立つ。
「何があった?」徳田さんが肩を怒らせて歩いてきた。
「奴隷紋のガータロから助けを呼ばれ……」俺が説明しようと口を開く。
「私がしくじりました。また、やりすぎました」櫻が下を見ながら話す。
「…………伊達三等魔佐に謹慎を言いつける。部下の田中三等魔尉は伊達三等魔佐の監視をすること」そう短く告げた。
「伊達三等魔佐の監視を実施します!」そう言い、形式的に敬礼をする。
徳田さんの目が櫻を見て、下を向き、そうして、立ち去った。
俺は櫻を見た。
櫻は地面を見ている。何を考えているのだろう?
ため息をつく。とりあえず……今日は、俺は休みや。
櫻の勤め先も、まだ夏休み期間中や。休暇をとりやすいやろう。
ゆっくり寝て。訓練して。そうして………日常を取り戻そう。
「田中君、今日は、水曜日よな?」三条さんが声をかけてきた。
「そうです」
「会社は休みやな。私の屋敷に来なさい。そして、君も休め」三条さんがオッドアイの目の目頭を押さえながら話す。
「……そう言われましても……」俺は躊躇う。
軍命なら従わないといけんでも………何となく櫻と二人きりにして、そっとして欲しかった。
「田中!三条さんの言葉に甘えや。お前は、なんでも一人で抱えすぎや」丸山さんが背後から声をかけてきた。
俺はそちらを振り返る。
「そんなことないっすよ。実際、なんも出来んです。一人だと……」そうして、櫻を見た。
そう、一人だったらここまで来れなかった。
櫻がおったから……ここまで来れた。
俺は、櫻が逃げ込んだ滝を思い出す。
綺麗な星空。清く澄んだ紀州の水が、強かに滝壺に落ち、淵に渦巻く。
静かでよく眠れそうなとこやったな。
そうして、本来の目的を思い出し………複雑な気持ちになり、すべての理不尽を飲み込むことに疲れてきた。
「けったいな顔してるで。年上に甘えよ」丸山さんがタバコを出した。
赤ラークだ。
「じゃ……俺の代わりに櫻をお願い出来ますか?」そんな提案をする。
勢いよく櫻が顔を上げた。
「嫌や!徳田さんから命令されたんは、ヒロやろ!」櫻が俺の腕を掴む。
その小さな手がとても暖かかった。
「……わかったわ。側にいたるよ」そう静かに話す。
ほんまにこれで良かったんやろか?
朝日がゆっくりと俺らを照らしていく。
櫻の帝王緑の瞳を縁取る目元が赤く腫れ上がっている。
こんな風に女を泣かせる趣味も、一人の女と一緒にいるつもりもないんやけど………。
黙って揺れる櫻の瞳を見つめる。
美しいその瞳の中にとてつもない嘘つきな男が静かに映し出されていた。
空間移動魔法の術が解けた。
俺は静かに三条さんの肩から手を離す。
門を背にして、俺は目の前の屋敷を見上げる。
大きな瓦屋根が幾重にも重なり、その奥には洋風の塔屋が空へと突き出ている。白漆喰の壁に、深い色合いの木材。玄関へと続く石畳の両脇には、手入れの行き届いた庭木が静かに佇んでいた。
和の様式に、異国の華やかさ。
長い年月をかけて築かれた財と権威が、建物の隅々にまで染みついている。大和の古い建築様式と、異国から伝わった技術が溶け合う、華族の邸宅らしい佇まい。
以前にも訪れたが、見慣れない光景。
今日は、特に遠く感じる。
………疲れたな。
戦場より疲れたかもしれん。こんな疲労感初めてだ。
俺は、小さくため息をついた。
隣の櫻を見る。
こいつも限界やろう。
せめて、今日ぐらいは、公爵令嬢に戻してやりたい。
「中に入って風呂に入ろうや。うちは温泉をひいておる。田中君もゆっくりしたまえ。櫻子君と一緒に入るか?」そう言いながらオッドアイの瞳が光る。
「勘弁してくださいよ。なんの冗談ですの」俺は顔を引き攣らせる。
そこに眠そうなロッキーが俺のポケットから顔を出した。
「そう………」ロッキーが喋りかける。
ロッキーあかん!喋るな!
ロッキーが自分の口に手を置く。櫻が一度自宅に帰って、ロッキーも一緒に連れてくる、という話だったが……。
ロッキー!余計なことは喋るなよ!俺が心の中でロッキーに伝える。
ロッキーの目がくりっとこちらを見た。
こくこくと首を縦に振るロッキー。
「もう、隠さないでもええんやけど……」三条さんの目が冷たい。
いや!絶対隠さないといけない問題のような気がする。
オッドアイの目が怖い。もし、ここで櫻と体の関係持ってます、なんて暴露して、しかもセフレだとバレたら責任を取らされてしまう。
責任か……。横の櫻を見る。
櫻は別の人がええやろう。俺みたいなダメ狐より………。
華族の奥様として、綺麗な服を着て、そして不自由のない暮らしの方がええ。
そっちの方が櫻には何十倍も似合う。
「行こう」三条さんが歩き出す。
その後に続く櫻。その二人の後ろ姿。
そこに大きな壁を感じる。数歩しか違わない距離。
華族と忌守。
ーーなんかあったら助けてくれや。
丸山さんから差し出された手。
ーーよろしゅう。
俺の手を躊躇わず握り返した三条さん。
ーーおもろい奴やのう。
そう言って肩組みをした豊富。
ーーバディじゃなくて彼氏ですよねぇ?
ーーリンクコーデとか仲良しですね。
俺に礼儀正しく挨拶を返した小野兄妹。
見えていたはずの壁がバラバラと崩れ落ちる音が聞こえる。
目の前の櫻が振り返る。
「ヒロ?」帝王緑の瞳が俺を見つめる。
帝王緑………インペリアルグリーン。最も高貴で、濃く鮮やかなエメラルドのような深緑色。
「あぁ、今行くわ」
俺の瞳は琥珀色だ。
アンバー………太古の木樹の樹脂が化石になった宝石。きらりと光る瞳を思い出す。
おっかない時もあったし、優しい時もあった。
三条邸に足を踏み入れる。
俺は、菊理姫様のお導きに従うようにした。
この道が正しいのかなんて、俺にはわからん。
ただ、櫻が振り返って待っている。
それだけで、今は十分やん。
ふと、幼い頃から耳にしていた歌の一節が、胸の中をよぎった。
月依旧
人难留
故乡远
梦难求
若有来生重回首
愿与故人共泛舟
そうして…三条邸の敷地を躊躇いなく、そしてしっかりと歩んだ。
櫻の数歩後ろについて。




