第8話:どろどろ&とろとろ
【続アデル】
「ひえぇっ」
グレゴがレオの口に、どろどろを注いでいく。
レオが白目を剥き、体をびくんっびくんっと痙攣させる様子を目の当たりにし、アデルは震え上がった。
「こ、これはいったい⁉」
「朝飯だよ」
「私が知ってる朝ご飯とだいぶん違います……!」
栄養ドリンクのジョッキが空になると、グレゴはようやくレオを解放した。
レオは「おえぇ」とえずきながら、口の端に垂れた液体を手の甲で拭っている。顔には血の気が、四肢には力が戻りつつあるようだが、精神的なショックは大きそうに見える。
「ご……ごちそう、さまです……」
「おう。訓練しっかりな!」
「うぅっぷ……無駄ですよ……。団長や副団長は、オレらなんかとは次元が違う。あの人たちみたいになんて、なれっこない……。もう辞めたい……」
「なにヤワ言ってやがる。ほれ。仲間の分!」
「えぇ……」
レオは泡立ったどろどろのジョッキを両手に持たされると、吐き気を堪える表情でグレゴに一礼し、立ち去っていった。大きな背中がしょんぼりと丸くなっており、哀愁を漂わせている。
あぁ……辞めたいなんて言わないでぇっと、アデルが心配の眼差しをレオの後ろ姿に注いでいると、グレゴは投げやりな口調で説明を始めた。
「ここ数年、どうにも若い奴らが育たねぇの。魔獣が凶悪化してるから、団長たちが訓練から見直してるんだが……。まぁ、それが一番キツイんだろうなぁ。毎日飯が喉を通らないほど、くったくたのボロ雑巾でさぁ」
「だから、あの栄養ドリンクを?」
「そ。あいつらほっといたら、水しか飲まないから。無理にでも栄養摂らさないと、現場でくたばっちまう」
グレゴは空のジョッキを洗い場に浸け、ため息をひとつ吐き出した。
(騎士様たちのことを想ってのメニューだったのね……。そうよね。ここの料理人の仕事は、騎士様たちの丈夫な体を作ることだもの)
「このドリンク、味見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「お好きなだけどーぞ」
グレゴから木の匙を受け取り、アデルは鍋の中のどろどろをひと匙掬い取った。ちょうどコポォッと謎の気泡が目の前で弾け、鼻をツンと刺すような刺激臭が広がる。
この栄養ドリンクが、新人騎士への嫌がらせや拷問ではなかったことにはホッとしている。王国騎士団が皆で新人を守り、育てようとしている姿勢も推すべき素敵ポイントだ。
けれど、想像と現実の差に落胆していないと言えば噓になる。
アデルが夢に見ていたのは、推したちが食事を楽しむ食堂風景だ。
かつての騎士団長は、「人の笑顔を作るのは、いつの時代だって “うまい飯”だ」と言っていたし、あの日の宴に溢れていた、指の先まで血が通うような温かい空気をアデルは忘れない。
(でも、魔獣と戦うために、人々を守るために……何よりまず、推したちを生かすために必要なことは――)
ぺろり。
「!!!???」
木匙を舐めたアデルの体に電撃が走った。
目の前でチカチカと光が炸裂し、口からわけのわからない言葉が漏れる。
舌、喉、胃袋から全身にビリビリとした痺れが駆け抜け、形容し難い臭みと吐き気を催す味に眩暈が止まらない。目が覚めるような刺激が、体内で唸っている。
「うへぇ……!」
(まずすぎる……)
出勤初日。
アデルは全身からぷしゅぅぅ……と湯気を立ち昇らせながら、その場で気絶してしまった。
アデルはカーテンの隙間から差し込む西日によって、目を覚ました。
かなり深く眠っていたらしく、頭がすっきりとしている。心なしか、体も軽い。
風になびく白いカーテンの向こうからは、赤土の地面の屋外修練場が見える。清潔感のあるベッドの周囲が布製のパーテーションで囲われているので、きっとここは医務室だ。
騎士様が使うべき場所を自分などが占領してしまうなんて……と、アデルは自己嫌悪で頭を抱えながら、もそもそとベッドから這い出た。
「起きたか!」
パーテーションの外から聞き覚えのある男性の声がしたので、アデルは「はい!」と、努めて元気な声を上げた。
そろり……と顔を見せたのは、料理長のグレゴだった。
グレゴは申し訳なさそうに眉尻を下げ、頭を気まずそうに掻いている。アデルが倒れた責任を感じているのか、しゅんと落ち込んだ空気を漂わせていた。
「ごめんな。女の子には、ちょっと刺激が強すぎたな」
(『ちょっと』じゃないんですが……)
「謝らないでください。私が自ら味見を希望したんですから。それにお陰様で、体がとても楽なんです。あれを口にしたら、信じられないくらいとても体が軽くなりました!」
「嬢ちゃん。ありがとな」
アデルがベッドに腰掛けたまま腕を持ち上げ、ぐるぐると回して見せると、グレゴは寂しさの滲む自嘲気味な笑みを見せた。
アデルとしては世辞抜きの本心だったのだが、社交辞令だと解釈され、あっさりと流されてしまった。あの栄養ドリンクをジョッキ一杯飲んでいたら、数日間寝ずに厨房に立っても平気な気がする。
けれど正直、例の香りや味を思い出すと顔が引き攣ってしまう。リピートしたいものではないことはたしかだ。
騎士たちを「生かす」ことに重点を置いているため、食事の「美味しさ」や「楽しさ」から離れてしまっているのだ。
アデルももちろん、戦場での食事に効率性が求められることは知っている。
どんな過酷な環境でも腐らないように保存性を高め、いつ敵襲を受けても動けるように、手早く摂取できる形状になっていることが多い。呼び名もレーションだったり、野戦食だったりする。
若い騎士たちが、そういった食べ物に慣れる必要があることも理解できる。
(でも食堂は、そういう場所でいいのかな。何かまだ、私たちにできることは――……)
食堂から逃げていった新人騎士たちの姿をアデルが頭に浮かべていると、グレゴが「これ、よかったら」と、手のひらサイズの紙包みを差し出してくれた。中身は、鮮やかな黄色が美しいオムレツを挟んだサンドイッチだった。
「うわぁ! いいんですか?」
「おう。昼、食べ損ねただろ? 特製オムレツサンドだ!」
アデルはグレゴに促され、その場でサンドイッチをいただくことにした。
包み紙を暴くと、辺りにふわぁっとバターの芳醇な香りが漂った。中身はオムレツだけというシンプルな一品なのに、その香りでアデルの胃袋はきゅるきゅると切ない音を鳴らして止まらない。
ごくり……と唾液を飲み込み、すぐにサンドイッチにぱくついた。
柔らかなオムレツが、口の中でとろっととろけ、卵とバターの濃厚な味わいが広がっていく。生クリームの風味も感じる。
軽く焼かれた白い角パンとの相性も抜群だ。
表面がカリッ、中はふんわりとしたパンは、優しくオムレツを包んでくれている。
バターたっぷりのオムレツの後味が重くなり過ぎないように工夫をしているのか、パンには薄くマスタードソースが塗られている。主張し過ぎない辛さがほどよいアクセントになっており、その辛みが、食べれば食べるほど食欲を掻き立てる。
アデルはすっかり夢見心地だった。
「ぺろりです~」
「もしいけそうなら、追加作るぜ?」
「いいんですか⁉」
「あぁ。やっぱ、『美味しい』って言ってもらえると嬉しいからなぁ」
グレゴは、前のめりになってコクコクと頷くアデルに豪快に笑ってみせた。
けれど、やはりその笑顔もどこか寂しそうだった。
(グレゴ料理長も本当は、騎士様たちに美味しいものを食べてもらいたいんじゃ――)
アデルにも分かる。
その人のことを想って作った料理を食べてもらえなかった悲しさや、美味しく食べてほしいと願う気持ちが。
(ユーリス様は私の料理に興味がない……。でも、新人騎士様たちは、興味がないから食べないわけじゃないはずだもの)
「グレゴ料理長!」
厨房に向かおうと立ち上がったグレゴを、アデルは凛とした声で呼び止めた。
◆◆◆【ユーリス】
一方、その頃――。
「ユーリス!」
任務を終え、駐屯所に立ち寄ったユーリスのもとに、サミュが駆け込んできた。
早く副団長室に戻りたいというのに、サミュが通路を開けてくれる気配はない。彼は苛立ちを露わにしていた。
「どうした。用なら、手短に頼む。俺はバルドゥル様から頼まれごとを――」
「アデルさんを食堂の料理人に推薦したんだろ? ひと言くらい言ってよね。突然医務室に担ぎ込まれてきて、びっくりしたんだから」
丸眼鏡の奥の吊り目をいっそう吊り上げているサミュの言葉に、ユーリスは耳を疑った。
「え……?」
「は……?」
ユーリスとサミュの視線が交差、のち沈黙。
そして――。
「聞いていないぞ、アデルーーッ!」
ユーリスの動揺全開の悲鳴が、駐屯所中に響き渡った。




