第71話: その名は“最推し”
◆◆◆【アデル】
「アデル‼」
「ユーリス様」
聴き慣れた男性の声に振り返ったアデルは、少しだけ大広間の人混みに視線を彷徨わせた後、銀髪の貴公子の姿を認めた。
アデルはハッと息を吞んだ。そのまま呼吸が止まるかと思った。
群青色の生地に金糸の装飾が施された衣装には、騎士装束にはない上品さと高級感が漂っている。髪も前髪の半分が後ろに流されていて、普段は見えない白い額に色気が滲む。耳には新緑を閉じ込めたかのような美しいグリーンの石をあしらった耳飾りが付いていて、彼がアクセサリーのよく似合う人だったという発見が、アデルの心を高ぶらせた。
とどのつまり、ユーリスがかっこよすぎて昇天するかと思ったのだった。
「はわ……っ、パーティ衣装激レアSSR……メロすぎぃ……。王国騎士団ブロマイドに収録したい……」
「ちょっとアデル。そういう空気じゃありませんわよ」
駆け寄ってくるユーリスに見惚れ、うっとりとした呟きを漏らすアデルの横腹を、コレットが肘でつつく。
「あなたが夜会に参加したいと言うから、わたくし超スピードで支度を手伝ったのですわ。それはあの男にメロつくためじゃありませんでしょう?」
「そうだった! ありがと、コレット」
アデルは面倒見の良い親友に小さく手を振ると、数歩前へと進み出た。
只ならぬ空気を醸すユーリスとアデルを避けるようにして、あるいは面白がるようにして、会場の貴族たちは2人が邂逅する場を大広間の中心に空けた。まるで引く波のようだった。人々からの好機の目と、「なにごとだ」と言わんばかりの囁き。ざわめく会場が緊張を高めていく。
「アデル……俺にエスコートをさせてくれないか……?」
ユーリスがぎこちない動作で白いグローブに覆われた手を差し出した。
アデルが「……はい」と言い、そこに自分の右手をそっと重ねると、緊張気味手を握り返された。
まるで、初々しい少年と少女のよう。
宮廷楽団が伝統的なワルツの楽曲を奏で始めると、2人は少しずつ音楽に合わせて体を揺らしていく。
(あ……ユーリス様と初めてのダンス……。ふふっ。リズム、滅茶苦茶だ)
「……、……ッ……いたッ……」
他のカップルと衝突し、ユーリスの額に冷や汗が浮かぶ。優美な音楽を追いかけようと必死に床を踏む足はずっと自信がなさそうで、アデルの腰に当てている手のひらはぷるぷると震えていた。明らかに不慣れなダンスに苦戦している。
アデルは貴族学校でダンスの練習をしていたし、学校主催のダンスパーティーも経験したことがあった。踊る相手はその都度異なっていたが、ユーリスはそのうちの誰よりも動きが硬く、はっきり言って下手くそだった。
ユーリスは羞恥に耐えているのか、頬が赤い。
上級貴族、あるいは副団長としてのプライドが傷ついてしまったのだろうかと、アデルは「大丈夫ですか」と顔を覗きこむようにして尋ねた。
薄い唇がためらいがちに動く。
「すまない、アデル……。君とのダンスが楽しくて……踊るどころではなくなっている……」
「どゥっ!!」
思わず変な声が出てしまった。
何を言っているんだ、この可愛い生き物は。
コレットやサミュであれば、「いや、踊れよ」と一刀両断しかねないが、アデルの胸は苦しいほどに高鳴っていた。
やっと触れ合える距離に来てくれた婚約者。
手を重ねると、相手の熱と鼓動が伝わってくる。
近くの推しは理想を体現した存在ではなくて、かっこいいこともあれば、かっこ悪いこともある。凛々しい顔をするときもあれば、かわいい顔を見せてくれる日もある。
それはきっと、アデル一人では引き出すことができなかったものだ。
だから。
「私、“王国騎士団箱推し”はやめません……!」
アデルはユーリスの手を強く握り、優雅な弦楽器のリズムに合わせてクイと引いた。
思いがけずリードされたユーリスだったが、そのことよりも婚約者から発せられたひと言がショックだったらしい。金色の瞳の奥が揺れ、声を詰まらせている。
「……ッ、……やはり、俺では駄目か?」
「いえ。ダメなんかじゃありません」
「なら、なぜ?」
動揺と困惑で足が止まりそうになるユーリスを無理やり音楽に乗せ、アデルはくるりとターンした。レースたっぷりのドレスがふんわりと膨らんだ。
アデルは高らかに言い放った。
「ユーリス・シュトラウルという宝石は、王国騎士団の箱の中で磨かれてこそ、唯一無二の輝きを放ちます! 私は箱の内側……厨房から、そのお手伝いがしたいのです!」
アデルのピンクブロンドを飾る「初恋」の花が、シャンデリアの光を受けて瞬く。
「どうか『特等席』で、私の料理を召し上がって……極上の笑顔をお見せくださいませ。あなたは私の“最推し”なのですから――!」
「あ、アデ……」
「好きです。ユーリス様」
とうとう足が固まってしまったユーリスの体を、アデルは優しく抱きしめた。
鍛え上げられた逞しい肢体は、以前よりも少しだけ痩せてしまったように感じる。また、自分の料理でお支えしていかないと……と、アデルは照れくさい気持ちを隠して、すりりと胸板に顔を寄せた。
愛の重さは違うのかもしれない。
ユーリスが幼少期から抱えていた想いには、アデルはきっと敵わない。
けれど、大きさなら負ける気がしなかった。王国騎士団を丸ごと愛するアデルだ。それこそ、ユーリスをぷちっと潰してしまうくらいの大きな愛情を捧げる覚悟はできていた。
「食べたいものはありますか? 何でも言ってくださいね」
「じゃ、じゃあ……アデル――」
「そういうんじゃなくて」
恥ずかしそうに声を振り絞ったユーリスをアデルは真顔で一蹴した。
どこまでも恰好がつかない“最推し”の婚約者だ。
その後、「じゃあ、スパゲッティで」「パスタって言いましょうよ」というやり取りをしながら、2人は夜会を目一杯楽しみ――。
帰りの馬車で、初めてのキスをした。
薄い唇に何度もついばまれ、角度を変えて味わわれる感覚は、思考が白く塗りつぶされ、全身がとろけていくかのようだった。
「アデル。愛している」
耳の奥に囁くような低い声を滑りこまされ、脳に甘い痺れが駆け抜ける。
その声で名前を呼ばれるたびに胸が高鳴り、愛を囁かれるたびに体の温度が上がっていった。
彼の金色の双眼に映る自分の顔を見て、アデルは自らが選んだ“最推し”が与えてくれる幸福を静かに噛み締める。
一生応援し続けたいと思える絶対的な存在のことを、“永遠の推し”というらしい。そんな存在が自分にできたことをアデルは心の底から喜ばしく感じた。
「私も愛しています。これからも、ずっと――」
次が最終話です。結末を見届けていただけますと幸いです。




