第70話:夜会、再び
◆◆◆【ユーリス】
王城の大広間は、圧倒的な光の束が押し寄せていた。
天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが、ホール全体を黄金色の温かい光で満たしている。
鏡面のように磨き上げられた床には、華やかに着飾った貴族たちのシルクやベルベットのガウンが滑らかな影を落とし、宮廷楽団が奏でる厳かな旋律が、高い天井に反響する。
ライゼント王家の主催の夜会はいつも極上の煌びやかさで、ユーリスはどうにも落ち着かない。
社交に不慣れということもあるが、権力目当てでバルドゥルに寄りつく貴族たちへの警戒、バルドゥル本人が素を出してしまわないかという気配りも忙しい。
だが、今宵の理由は違っていた。
「アデル嬢がいるかどうか、気になるか?」
「バルドゥル様……お見通し、ですね」
整髪用のオイルで固めた髪をうっかり掻き上げてしまい、ユーリスは気もそぞろな己にため息をついた。
例によってバルドゥルの護衛の位置にいるのだが、装いは騎士装束ではなく、パーティ用の正装だ。
ユーリスは父親の名代、つまりシュトラウル侯爵家の代表として夜会に参加している。家族関係が回復した途端、家の名を背負うことになったわけだ。
けれど、ユーリスの隣に婚約者の姿はない。
「兄上のきまぐれで突然開かれた夜会だからな。里帰り中のアデル嬢が参城できずとも、気に病む必要はない」
「ですが……」
言いよどむユーリスは、大広間の隅に視線を移す。壁に張り付いているような令嬢はどこにもいない。
夜会でパートナーからエスコートされないことは、貴族令嬢には耐えがたい屈辱なのだと、サミュが言っていた。
彼は今頃、ファリナの手を引いて夜会を楽しんでいる頃だろうか。自分もアデルにそうできたらよかったのに、とユーリスは素直に思う。
「彼女にとって、このような場は苦痛の象徴に違いありません。もしかしたら、俺には二度と、エスコートするチャンスがないのかも……。いえ、それ以上に彼女が王都に帰って来ない可能性も……⁉ どうしたらよいのでしょう、バルドゥル様!?」
あわあわと顔を青くするユーリスは、バルドゥルの衣装に縋るようにしてしがみついた。
バルドゥルに挨拶に来ようとしていた貴族の男性が、その様子を見てぎょっと顔を引き攣らせて立ち去っていく。
バルドゥルは「また後程」と軽く手を振ると、泣き出しそうな親友をやれやれと見下ろした。
「お前の魂のゆりかごは、かの福音の乙女で満ちている。それは得も言われぬ祝福だ。しかし、強すぎる光はお前の心眼を曇らせてしまっている。……さぁ、顔を上げよ。我が比翼の友よ――!」
「へ…………?」
バルドゥルに促され、ユーリスは潤んだ瞳を瞬かせた。
シャンデリアの光が眩しい。眩しくて、仕方がなかった。
光の束の中心には、瞳と同じ明るいグリーンのドレスを纏い、金木犀の髪飾りをピンクブロンドの髪にあしらった令嬢がいたからだ。
彼女は合同訓練の手伝いに来ていた友人の女性と2人で、大広間の中央を歩いていた。優美な笑顔の花を咲かせる様は、かつてひとり孤独を噛み締めていた令嬢とは思えない。堂々たる美しさは、人々の視線と注目を一身に集めていた。
彼女はユーリスが騎士を目指した理由そのもの。
人を想い、笑顔を生み出せる料理人で。
嫉妬してしまうほど、誰にでも優しく、愛が溢れている。
近くにいるのにユーリスの手が届かない、愛しくてたまらない婚約者――。
「アデル……!!」
(どうして過去の俺は、君の手を握っていなかったんだろう……。俺はもう、アデルのいない人生なんて考えられないのに……!)
不安な気持ちが解けていき、ひたすらに「会いたかった」という想いが胸を衝く。
それは絶対的な恩人で友人である、バルドゥルへの忠心を揺らがすほどで、積み上げてきた騎士としての己を自ら打ち砕くような感覚だった。
ユーリスの心は、ひたすらにアデルを求めていた。
「バルドゥル様……非礼を承知で申し上げます。どうか、俺に婚約者を迎えに行く許可をお与えください……ッ! 」
ガバっと勢いよく頭を下げたユーリスを見て、バルドゥルが紅眼を見開かれる。数秒間の沈黙の後、彼は豪快に笑い飛ばしながら告げた。
「許可などいるものか! ただ盟友として、お前の幸福を願うまでだ!」
「う、いたッ!」
バルドゥルがユーリスの背中をバシンッと叩いた。
それなりの痛みにユーリスの体は逆向きの海老のように反れ、そのままよろよろと数歩前へと進んだ。
バルドゥルは“ただの”友として、ユーリスを送り出してくれた。
(ならば、俺も)
王国騎士団の副団長としてではなく、“ただの”ユーリスとして彼女の前に立とう――そう決意したユーリスは、唇をぎゅっと引き結び、大広間を駆けて、駆けて――。
「アデル!」
「ユーリス様」
思わず、大声で名を叫んだユーリスをアデルがハッと振り返った。




