第69話: タイのちコイ②
【アデル】
「私……ユーリス様に酷いことを言ってしまったかもしれない……。変わらないで……そのままでいてくださいって……。人は変わるものなのに」
アデルは王国騎士団の新人歓迎会の夜を思い出していた。
その言葉を告げた時、ユーリスはどんな顔をしていたのか――推し活という幸福に浸っていたアデルは、彼の表情をよく見ていなかった。
「それが分かったなら、大収穫よ。これからはきっと、変化を楽しむことができるわ。あとはアデルがそれを行動で示せばいいんじゃない?」
「プロポーズを承諾しろってこと?」
「あら、プロポーズされたの?」
悪戯っぽく目を細めるイグレーヌにアデルは「異議あり。今のは誘導です!」と言い返すが、それ先の言葉の否定にはならない。
鯛の胸びれを切り落としながら、アデルは「まぁ、そういうことなんだけど」と頬を赤くした。
リビングからは、ロレンツの特大の鼻歌が聞こえてきた。たいそうご機嫌に貝を見張ってくれているらしい。
なんとなく恥ずかしくなり、アデルは声を少し落として話を続けた。
「私の抱く『好意』と、ユーリス様が抱えている『愛情』? の重さが、すごく違う気がして……。私でいいのかなって、不安になるの。今まで“推しの一人”だったユーリス様……彼の人生に深く関わっていくことが怖い……。それに結婚したら、箱推しだってやめなくちゃいけないかもしれない……。けど、ユーリス様が、自分だけを見てほしいと思う気持ちも分かるの。傷つけたくない、とも思う……」
葛藤と口に出すと、なんだか子どもの駄々のように聞こえてしまい、アデルは無意識に体を縮こめた。鯛を捌く手つきにも思いっきりがなく、ちまちまと作業を進めていた。
イグレーヌはリビングに視線を向けながら、何度か頷いた。
「お母さんもね、結婚が怖かったわ。私って、意外と都会育ちのお嬢様でしょ? だから、海辺の田舎町に嫁いで、仕事で忙しいお父さんの帰りを待つ生活が想像できなかったの。たくさんのことが犠牲になるんじゃないかって、考えたりして」
「そうだったの? 恋愛結婚だから、そういう不安ってなかったのかと思ってた」
「そりゃあ、あるわよぉ! だってあのお父さんよ?」
ロレンツの鼻歌に今度は歌詞がついた。家族への愛を謳う内容に、アデルとイグレーヌは思わず顔を見合わせ、吹き出してしまう。
「想像できない未来って、怖いわよね。幸せな今を続ける方がいいんじゃないかって、思いたくなるもの。でもお母さんは、どうしても『特等席』に座りたかったの」
「特等席?」
「そう。お母さんにとっては、『ロレンツの隣』」
イグレーヌは手拭き布で手をふきふきしながら、洗い終えた野菜を誇らしげに眺めている。ミニトマトと赤と黄色のパプリカだ。
「そこだけは誰にも譲りたくなかったから、何があっても結婚したいと思ったの。……アデルにはある? 『特等席』」
母の金色のまつ毛がぱちぱちと瞬き、アデルを見つめる。
「……」
アデルは銀髪の婚約者に想いを馳せた。
彼の隣には、彼が敬愛するバルドゥルがいて、友人のサミュがいて。後ろには騎士の仲間たちがいて。家族も少し離れたところから見守っている。
(私の席は――場所は……)
目を閉じると、人々が楽しげに交わす会話や、カトラリーが食器に擦れる音、「美味しい」という声が聞こえてくる。賑やかな食堂のテーブルは満席で、アデルの席はない。
アデルは厨房にいて、カウンターを挟んだ正面に食事をしているユーリスがいるのだ。
「『特等席』は、ユーリス様が座る場所……! 私はできたての料理を作って、お出しして……、ユーリス様が美味しそうに食べる姿を一番近くで見ていたい!」
アデルの新緑色の瞳が、窓から漏れ入る明るい太陽の光を受けて輝いた。
ようやく、ユーリスの言っていた「特別」の意味を、アデルは自分なりに理解できた気がした。
ユーリスはアデルにとっても「特別」な存在になっていたのだ。
「あらあら……“コイ”してるわねぇ」
「んん~? “タイ”じゃなくて?」
いつの間にかキッチンを覗いていたロレンツが、イグレーヌと顔を見合わせて首を傾げる。
両親の会話を聴いて初めて、アデルは自分が恋をしていると気が付いた。
これが恋。胸の痛みもトキメキも、ユーリスを思えばこそのもの。
不安が消えてなくなったわけではない。けれど初めて自覚した感情は、飴細工のように甘く、キラキラとしていた。
「あぁ、そうだ」
ロレンツが思い出したかのようにして、一通の手紙を胸元から取り出した。王家の紋章が封蠟に押されている。
「王城で夜会があるんだってさ。アデルちゃん、どうする?」
ロレンツの何気ない問に、アデルは唇を引き結んだ。




