第68話:タイのちコイ①
【アデル】
海辺のクレッセント領の風は、いつも潮を含んでいる。
アデルは王都で暮らすようになってからそのことに気が付き、潮の香りが好きだったことも同時に知った。
そして何より、クレッセント領は海鮮物が美味しい。
「今夜のご飯は、《あっさりアサリと金鱗鯛のアクアパッツァ》でーす♪」
あっさりアサリは、あっさりと収穫できてしまうことから名付けられた小さな貝だ。けれど、その旨みはあっさりどころか濃厚で、いい出汁が出る。
そして、金鱗鯛は鱗が純金のように輝く美しい白身魚だ。鱗はアクセサリーや塗料の材料に使用され、身はふっくらと柔らかくて美味。外も中も美味しい縁起物のお魚である。
アデルは今、結婚記念日を迎える両親のために、とっておきのディナーを作っていた。そのための実家帰省休暇である。
シュトラウル領から王都に戻り、飛ぶ勢いでクレッセント領に発ったので、とんでもなく移動が慌しかった。だが、体に鞭打ったお陰で愛する両親を無事に祝うことができるので、娘としては頑張った甲斐があった。
「あぁ~、父さん嬉しいよぉ。アデルちゃんがわざわざウチに帰ってきてくれたんだもん。何か手伝おっか? 手伝うよ? 手伝わせて?」
屋敷の厨房をうろうろしているのは、アデルの父ことロレンツ・クレッセント伯爵だ。
抜群の交易手腕を持ちで、顎鬚の似合うダンディな男性。過去、アデルに異国食材に触れる機会をくれただけでなく現在もいい仕入先を繋いでくれている有難い存在なのだが、口を開けば家族愛が炸裂する人だった。
「じゃあ、お父様はあっさりアサリの砂抜き係ね! 会場はリビング!」
「分かった! 命に替えても!」
アデルに塩水と貝の入ったボウルを手渡されると、ロレンツはくるくると踊るようにしてリビングへ消えていった。
これで少し静かになるはずだ。
(お父様、いい人なんだけど、ちょっと騒がしいのよね……)
ロレンツはハキハキとよく喋り、表情も豊かだ。愛に溢れ、それを照れて隠すこともない。ユーリス様とは真逆だなぁと、アデルはぼんやりと銀髪の青年を思い浮かべる。
そんなユーリスが、ついに明確にプロポーズをしてきたのだから驚きだ。
「夫、か~~……」
実家に戻って来たのは、もちろん両親の記念日を祝うためだが、一度冷静に彼との将来を考えてみようと思ったからだった。
物理的な距離と料理。それが乱れたアデルの心を落ち着かせるものだった。
金鱗鯛の鱗を包丁の背でジャッジャッと弾くようにして取っていると、まるで金貨が山になっていくようで面白い。
ユーリスの瞳の色とも似ている。いや、お金と瞳を似ていると言ったら失礼だろうか。
気付いたらくだらないことに思考が飛んでいて、アデルはユーリスに申し訳ない気持ちになった。
(きっとユーリス様、今頃落ち込んでいるわ。私がプロポーズを保留にしちゃったから……。食事も喉を通ってないかも……)
まさかユーリスがグレゴに特製栄養ドリンクを盛られているとは知らないアデルは、ガリガリにやせ細っていく彼を想像し、胸を痛めた。
では、あの時プロポーズを承諾したらよかったのか。その問いにアデルは素直に頷くこともできない。
「俺だけを見てほしい」
ユーリスがアデルに告げた言葉は、箱推しをやめてほしいという意味と同義のはずだ。
(そう……しなきゃいけないのかな……)
「手伝うわね」
無言で鱗を剥ぎ続けていたアデルのもとに、母イグレーヌがやって来た。ブロンドヘアの美しい、おっとりとした母は、料理が苦手だというのに白いエプロンを纏っていた。
「野菜を洗うことなら得意なの」
「ふふっ。じゃあ、よろしくお願いします」
適材適所をわきまえているのか、イグレーヌは流し台の桶に水を張り、艶やかなミニトマトを優しく洗い始めた。
イグレーヌはぽやぽやとしていて、いかにも「いいところの貴族のお嬢様」といった性格なのだが、家族の心の機微については昔から敏感な人だった。アデルがデビュタントで緊張していた時も、料理で大失敗して落ち込んでいる時も、いつだってさりげなく隣にやって来てくれる。
「お父さん、ちゃあんと貝を見守っていたわよ。素直でかわいいわよね」
「お母様は、お父様の“かわいい”ところが好きなの?」
「そうねぇ。お仕事を頑張るお父さんは、かっこよくて素敵。でも、ふとした瞬間に見せてくれるかわいい顔もいいわよね」
イグレーヌは洗ったミニトマトを銀のバットの上に丁寧に並べている。別に並べなくてもいいのだが、「かわいいトマト」と呟く彼女を見ていると、アデルはつい口元が緩んでしまった。
「お母様もかわいいわ」
「あら、嬉しい。アデルもかわいいわよ。見つめていると、幸せな気持ちになるの」
「……そう? でもその概念、ちょっと分かる」
金鱗鯛の鱗を手頃な器に移す。
綺麗に洗って、穴を開け、紐に通したら、綺麗なブレスレットができそうだ。エリーゼにプレゼントしたら、喜んでくれそうな気がする。
シロツメクサの指輪のお礼だ。彼女からもらったそれは、今は分厚い料理の本に挟んでいる。しなびて捨てるのがもったいないので、押し花にするのだ。
(ユーリス様は、どうしたのかな……指輪……)
「……妹さんと遊んであげるユーリス様もね、かわいいの」
アデルがおもむろにユーリスのことを語り出したからか、イグレーヌはミニトマトから目を離し、「どんなふうに?」と微笑んだ。
「妹さんのこと、すごく大事なんだと思う。でも小さい子への関わり方が分からないから、されるがままになってて。お人形さんみたいに花冠を被せられて、恥ずかしそうなんだけど拒まないの」
「あら。意外だわぁ」
「そうでしょ? あ、意外と言えば、ユーリス様って実はお茶が好きみたいなの。よく食材の買い出しに同行してくださるんだけど、毎回どこかでお茶をしないかって提案なさるの。ティールームやお菓子の情報を手帳にメモされてるのを見たわ……!」
「それはびっくりねぇ。じゃあ、お茶の時はどんなお話をするの?」
「えっとね、バルドゥル団長の話が多いかな。始めは一問一答の会話だったんだけど、回を重ねるうちに盛り上がるようになって。この間は“バルドゥルマスター”の座をかけたクイズ大会をしたわ!」
「まぁ、面白い人」
「うん、ユーリス様って面白いの! 私の作る料理に一生懸命感想を言おうとしてくれるんだけど、子どもの食レポみたいで。ちっとも語彙が増えなくて……ふふっ。思い出したらおかしくなっちゃった……。でもね、言葉にしなくても、表情で分かるの。静かに目を閉じて味わっていたり、頬がほころんでいたり……」
「アデルは彼のことをよく見ているのね」
イグレーヌはうんうんと何度も頷きながら、アデルの話を聴いていた。引き出していた、ともいえる。
いつの間にか、アデルはたくさんユーリスのことを語っていて、自分でも少し信じられなかった。
アデルは「副団長」の“かっこいい”ユーリス以外もよく知っていた。
かわいい。面白い。一生懸命。素直な表情……。それらを解釈違いではなく、好ましい一面としてちゃんと受け入れていて、今ではそれを含めてユーリスだと認めることができている。
だからこそ、思う。
「私……ユーリス様に酷いことを言ってしまったかもしれない……」




