第60話: 侯爵家のお茶会
【アデル】
「ユーリス様が生まれたお家……。推しの生まれた場所……すなわち聖地……⁉」
「勝手に神格化するんじゃない。俺は10に満たない頃から騎士団にいたから、この屋敷への思い入れは少ないんだ」
アデルが侯爵家の屋敷をキラキラとした瞳で見回し、空気を肺一杯に吸い込んでいると、ユーリスが首根っこを捕まえて釘を刺してきた。
「そうなんですか……」
ちょっと残念に思いながらも、アデルは再び内装を見渡した。
侯爵家のお屋敷は大貴族の邸宅というよりかは、歴史ある図書館といった雰囲気だった。内装は極めて簡素で、無駄な装飾品はほとんど見当たらない。その代わりにたくさんの部屋に高さの不揃いな本棚と、そこに並ぶ膨大な数の書物の背表紙が目に付いた。
出窓からは外壁を這う青い蔦が見え、その葉越しに差し込む木漏れ日で読書をしたら気持ちがよいだろうなと、アデルは想像せずにはいられなかった。
「お茶でもいかがですか?」
そう提案してくれたのは玄関で迎えてくれた侯爵夫人で、本当に空腹になっていたアデルは「ぜひ!」と食い気味に頷いた。
けれどユーリスは「俺がいない方がいいでしょう」と、棘のある口ぶりをして、階段へと向かってしまう。
「えっ、ユーリス様! おやつ食べないんですか⁉ 最近は3時になったら欠かさず食堂にいらっしゃるのに」
「お、俺が食い意地が張っているみたいに言わないでくれ! ……父上、ダリアさん、アデルを頼みますッ」
顔を赤くしたままぷいと背を向けて、ユーリスは自室へと駆け込んでいった。
「ユーリス!」
侯爵が瞬間的に声を荒らげ、息子を追いかけようとした。しかし、車いすでは階段の下までしかたどり着けず、侯爵は憤りを覚えた様子で深いため息を吐き出した。
「まったくあいつは……」
「あなた。アデルさんの前よ」
侯爵夫人が侯爵の肩に手を置き、優しく窘める。彼女の表情もまた雲がまとわりつくかのような暗さが見て取れる。
侯爵夫人――ダリアさんは、多めに見積もっても30代後半といったところか。上品さと快活さを混ぜたような美しい人だ。
両家顔合わせの時はユーリスのことで頭がいっぱいだったので気が付かなかったが、彼女はユーリスとはまったく似ていなかった。
あぁ、もしかして。そう思ったアデルの思考を侯爵夫人は代弁してくれた。
「びっくりさせてごめんなさいね。私、ユーリスの継母なのよ。だから、あの子にたくさん気を遣わせてしまっているの」
***
侯爵と別れ、侯爵夫人に食堂へ案内してもらったアデルは、「ほう」と本棚を覗く。
これまで見せてもらった大広間や応接室、居間などの本棚には、小難しそうな歴史書やロマンス小説、絵本なんかが収められていたが、食堂は料理や食材関係の本が中心らしい。チーズや燻製といった、食材の保存性を高めるレシピが記された本が多かった。
アデルが興味津々に本棚を見つめていると、侯爵夫人が「お好きに読んでくださいね」と穏やかな笑みと共に紅茶とシフォンケーキを差し出してくれた。
見るからにふわふわな卵色のケーキだ。ぽってりとした白いクリームには爽やかな香りのハーブが添えられている。可愛らしい花模様の皿も相まって、乙女心をくすぐる一品だった。
「わぁ、美味しそう!」
「お夕食の前だから、少し軽めにしてみたわ」
「侯爵夫人様がお作りに?」
「ふふっ。ダリアでいいわよ」
口元に指をあてて上品に目を細めるダリアに促され、席に着く。
あの後、アデルは一度ユーリスの部屋の前まで行ってみたが、「俺がいると盛り下がる」と言い張り、彼は巣ごもりしてしまった。
(反抗期の若者ですか⁉)
まぁまぁ酷い。アデルが希望したとはいえ、婚約者を伴ってきているというのに。
とはいえ、相思相愛の婚約者ではない。ユーリスがアデルに四六時中寄り添っているのもおかしいかと思い直し、アデルは気持ちを切り替えてシフォンケーキにフォークを沈めた。
軽い口当たりとふわっとした食感は、まるで雲を食べているかのよう。優しくて素朴な甘さはどこか懐かしさを感じさせる。
「たまりません~」
「そう言ってもらえると、自信がつくわ」
ダリアは髪を束ねていた紺色のリボンをしゅるりと解くと、アデルの斜め前の席に腰を下ろした。波打つ小麦色の髪色は、健康的な肌の色によく合っている。
ふわふわの髪が羨ましい……とアデルが思っていると、食堂に小さな影が現れた。
小麦色の髪に金色の瞳を持つ少女は、7~8歳くらいだろうか。青いワンピースのフリルをひらひらと揺らしながら、小走りで母親の背に隠れる。そしてと、おずおずと恥ずかしそうに顔を半分だけを覗かせた。
「……はじめまして」
「ぬあぁぁっ!」
(純粋無垢な天使からしか得られない栄養がここに!)
アデルは不意打ちの破壊力に体を仰け反らせ、眼球を焼かれそうなほどの光に目を細めた。
可愛いの権化と言うべき美少女は、「お子様プレートの子」――ユーリスの義妹のエリーゼだった。
「エリー。はじめましてじゃないのよ? アデルさんとは5歳の時に一緒にお食事をしたのよ」
「そだっけ?」
「覚えているかと思ったのに……。ごめんなさいね、アデルさん」
「いえ、とんでもないですっ」
眉をハの字に下げるダリアは、エリーゼの柔らかそうな頬をむにむにと指で揉んでいる。まるで東方のオモチのようだ。
「私、3年も顔を出していませんでしたし。これを機に皆さんと仲良くなれたら嬉しいです」
アデルがにこりと笑うと、エリーゼの緊張も解けたようだった。母に自分のおやつをねだると、彼女の分のケーキも用意された。紅茶は苦手らしく、果物のジュースを注いでもらっている。
その後は和気あいあいとした空気の中、アデルは王国騎士団でのユーリスの活躍について尋ねられ、ファンとして火力強めに語った。
彼が副団長として団長を支えていること。戦場で優れた采配を振るっていること。部下たちから慕われていること。新人対抗試合で選手の指導役になったことや、狩りで鹿を仕留めてくれたことなど、盛りだくさんだった。
「最近はよく食堂にもいらっしゃいます。以前はレーションや干し肉をガジガジされているのが日常だったようなんです。それは任務の時のご飯に回していただいて――」
「わぁ、がじがじだって!」
「アデルさん、ユーリスのことをよく見てくれているのね」
アデルが干し肉を齧るユーリスの真似をしていると、エリーゼはケラケラと大笑いし、ダリアは目を猫のように細めた。
玄関から遠巻きにユーリスのことを覗いていた2人は、彼のことを恐れているかのように見えた。
だが、それは距離を測りかねているだけで、本当はユーリスのことを好意的に思っていたのだ。彼のことを邪魔だなんて微塵も考えてはいない。
「いいな、アデルちゃんは。ユーリス兄さま、エリーのこと嫌いなんだ。だから、遊んでくれないの」
「エリー、そんな言い方しないの。ユーリスはお仕事が忙しいだけだから、ね?」
「だってお手紙もくれないし、帰っても来ないよ。今もお部屋に引っ込んじゃってるし」
エリーゼがフォークで皿のクリームの残りを撫でながら、不満を漏らした。
その姿に既視感があり、アデルの胸の奥がぎゅっと締まった。
(……前の私とよく似てる)
振り返らず、ひたすら騎士として邁進していたユーリス。バルドゥルのそばで辣腕を振るい続けていた彼は、アデルだけでなく、家族からも目を背けていたのだろうか。
だとしたら、きっと寂しい。呼びかけてもこちらを見てもらえない気持ちは、人一倍よく分かる。
そして何より。
(ダメです、ユーリス様……。このままじゃ、いつかあなたは一人になってしまう。こんなに素敵なご家族が、離れていってしまいます……っ)
私があなたにしたように。
(何か、私にできることは……)
「アデルさん、少しいいかな?」
食堂の入口から低い男性の声がした。車いすに乗った侯爵が手招きしており、アデルはダリアとエリーゼに軽く頭を下げると、彼の方へと駆け寄った。




