第59話:到着!推しの生家!
【アデル】
「わぁ……大きなお屋敷ですね!」
子どものような感想が口をついて出てしまう。
黄金色の田園風景が途切れる高台に、シュトラウル邸は大樹のようにそびえ立っていた。
古びた赤煉瓦造りの広大な屋敷は、何世代にも渡って増改築を繰り返した形跡を残しており、壁のあちこちには青々とした蔦が這うようにして茂っている。どっしりとした館構えは肥沃な大地の支配者を思わせ、アデルは侯爵家の刻んできた歴史の長さと威厳に圧倒されていた。
「王城と比べたら小さい」
「そりゃそうですけども」
門の前に停車した馬車からアデルが降りようとすると、ユーリスがサッと手を差し伸べてくれた。旅の間に何度かそうやってエスコートされたが、未だにお互いが慣れずにいて、動作はどこかぎこちない。
アデルがそっとユーリスの手に自分の手を重ねようとすると。
「ユーリス! お前なのか⁉」
屋敷の玄関からぴりついた男性の声が飛んできて、アデルもユーリスも同時にびくりと全身を震わせた。
声の方を向くと、車輪の付いた椅子――車いすを使用人に押してもらって移動してくる壮年の貴族男性が、幽霊でも見たかのような顔でユーリスのことを見つめていた。ハードなパンが好きな当主、シュトラウル侯爵だ。
てっきり彼が病床に伏していると思い込んでいたアデルは、面を食らってしまった。
「父上が倒れられたと叔父上から聞いたのですが……」
倒れておらず、座っている。そう言いたげなユーリスは、ゴロゴロと車輪を回して馬車の近くまでやって来た侯爵の前で、目線を合わせるために膝を折った。
アデルは一人でいそいそと馬車のステップを下ると、侯爵に向かって慌ててお辞儀をした。
「シュトラウル侯爵閣下、お久しぶりでございます。お怪我を召されたのですか?」
「アデルさん……! まさか君まで来てくれるとは……。気苦労をかけて申し訳ない。どうやらエドガー……弟が事を大袈裟に伝えたようだ。私はややあって高所から落ちてしまってね。利き腕と片足が折れてしまったのだよ」
「まぁ! そうだったのですね。お痛みはございませんか?」
「今は落ち着いているよ。中身はこうして元気だしね」
侯爵は目尻に皺をきゅっと寄せ、チャーミングに微笑んだ。右腕と右足にギプスがくっついているが、左手を陽気にひらひらと振っている。強がりではなさそうなので、アデルはひとまずほっと胸を撫で下ろした。
(良かった……。お家を揺るがすような一大事ではなさそうね)
そう思ったのはユーリスも同じだったらしい。ただ、穏やかな感情ではなさそうである。ユーリスは低い位置から父の顔を睨み上げていた。
「そうならそうと、なぜ俺に便りの一つでもくださらないのです? まんまと叔父上にしてやれたではないですか」
「なにゆえお前にいちいち伝えなければならん。お前こそ、帰郷の連絡を寄越さなかったではないか! 普段まったく音沙汰がないというのに、突然戻ってきおって!」
突如飛び散った火花にアデルは空いた口が塞がらない。
「えっ⁉ ユーリス様、里帰りをお伝えしていらっしゃらなかったのですか?」
「……内容を考えているうちに着いてしまった」
「なんで⁉」
ということは、アデルがやって来ることを侯爵家の人々は知らなかったことになる。息子はともかく、その婚約者が急に現れたら困惑するに決まっている。
「わわわ……侯爵様! 突然の来訪、申し訳ございません!」
「いいのだよ、アデルさん。身内が振り回してしまってすまないね」
「……王都に戻ろう、アデル。用は済んだ」
「え、ちょ……ユーリス様⁉」
せっかく侯爵が門前まで出て来てくれたというのに、ユーリスは下りたばかりの馬車に戻ろうとしていた。
チラリと動いた彼の視線を追いかけると、屋敷の玄関のドアからおそるおそるこちらを覗いている少女と、気まずそうな表情を浮かべている女性の姿があった。小麦色の髪には見覚えがある。お子様プレートの妹と魚を食べるのが上手い母だ。
何か言いたげな視線を送る彼女たちと、息子に対して眉を険しくする侯爵。そして居心地の悪さから逃げ出したそうに背を向けようとするユーリス――。
4人の間に流れるぎくしゃくとした空気を肺に浅く吸い込みながら、アデルの直感が「放っておけない」と静かに告げた。
料理を美味しく食べる人に悪い人はいないのだ。
「あー、私、すっごくお腹が空いちゃいました。これじゃあ、すぐに王都に帰れないかも!」
なかなかの名演。アデルの訴えにより、ユーリスはしぶしぶ実家に宿泊することを決めたのだった。




