第58話:シュトラウル領を目指して
【アデル】
視界の端から端まで続く黄金色の穀倉地帯――そこをアデルとユーリスを乗せた馬車が小さく揺れながら進んでいく。
シュトラウルの小麦は、前年の秋に種を撒き、冬の厳しい寒さを経験させる。そうすると春に一気に成長し、初夏にはおいしい実りになるという。
アデルが「そろそろ収穫の時期ですか?」と問うと、ユーリスは車窓から外を見つめながら、「おそらく」と自信なさげに呟いた。
その曖昧さの理由は、彼がこれまでの人生で家業に深く関わって来なかったからだろうか、とアデルは静かに顎に指を添えて思う。
アデル自身はクレッセント伯爵家が関わる交易に非常に興味があり、父の商談に同行したり、仕入れリストの管理を手伝ったりしてきた。遠い地域や異国の文化を知るのが面白く、それが自分の愛する料理に結び付くと信じていたからだ。
(さすがに騎士と農業じゃ、かけ離れすぎているし……、これくらいが普通なのかな……)
窓の隙間から入って来るカラッとした空気を吸い込む。
年中温暖な王都とも、港町のクレッセント領とも異なる人生初めての場所――シュトラウル領にアデルはユーリスに伴う形で訪れていた。
「貴重な休みを見舞いに使わせてしまってすまない」
「いえ。お気になさらないでください。事務長から有休消化を口酸っぱく言われていたくらいなので」
「君が休みを取らない話は有名だが、旅行先が俺の実家というのがな」
馬車の正面に腰掛けるユーリスはどこか落ち着かず、普段は凛々しい眉はハの字に傾いている。
アデルは掛ける言葉を間違えてしまったかもしれない……と、不安を隠しきれていない彼を見て、唇を引き結んだ。
昨日、ユーリスの叔父であるエドガーがもたらした凶報。それは、シュトラウル侯爵が倒れたというものだった。
詳細は不明だが、万が一があっては困るからと、エドガーはユーリスに帰郷を促した。ユーリスは急に職務に穴を空けることを気にしたが、バルドゥルが「行くべきだ」と後押ししたことにより、翌日の出立が決まった。
その時のユーリスの青い顔は、今の彼よりもさらに深刻だった。
すぐにでも逃げ出したい気持ちを押し殺し、必死に己を奮い立たせているような痛々しさに、アデルは強く「放っておけない」と感じた。
そして、そのままの勢いでバルドゥルに休暇の申請を行い、ユーリスの帰郷への同行を申し出たのだ。
「アデル嬢、我が友を頼んだ」
バルドゥルから激励を受け、「推しの笑顔は私が守ります!」と勇んで駐屯所を出たアデルだったが、果たしてユーリス本人が同行者の存在を心強く思ってくれているかどうかは分からずじまいだった。
馬車の中でユーリスが浮かべる笑顔はどこか自嘲地気味で、緊張は未だほぐれていない。
「今日は『婚約者』として来ていますから。侯爵様をお見舞いするのは当然のことです」
「『婚約者』……か。嬉しいよ、ありがとう」
(あれ。また間違えたかな……)
ユーリスがよく口にする「婚約者」という言葉を使ってみても、彼の表情は曇ったままだ。薄っぺらいハリボテじみた声掛けを見抜かれているような気がして、アデルは気まずさを喉の奥にしまい込む。
道中、何度か貴族御用達の宿に泊まったが、ユーリスが気を利かせてくれたようで、2人の部屋は別だった。
互いに推し活に精を出している身なので、相応しい対応だなと思う一方で、アデルはユーリスの内心が気になってそわそわとしていた。
そもそも、自分はユーリスにくっついて彼の実家に行き、いったい何がしたいのだろうかと、今更になってアデルは「うーん」と悩み出している。
(衝動的に来ちゃったけど、もしかしてご迷惑なんじゃ……? 婚約者といっても恋人じゃあないし、家族水入らずを私が邪魔しちゃうことに……? 侯爵様に大事があって、今後の爵位継承の話なんかになったら、私も関わる内容ではあるけど……)
黙って車窓の景色を眺めるユーリスの感情が読み取れない。
アデルが侯爵家の人々と会うのは、3年ぶり。王都の料理店で行った両家顔合わせの食事会以来だ。
すらりとした体形で、ユーリス様と同じ銀髪に金色の瞳のシュトラウル侯爵。角のある眼鏡の奥の瞳に聡明さが滲んでいて、落ち着いた紳士だった。ハードなパンがお好きなようで、さりげなくバケットをおかわりされていた。
侯爵夫人は、アデルの母よりもひと回りほど若く見えた。波打つ小麦色の髪が快活そうな笑顔を際立たせていて、母というよりも姉のような親しみを覚えたことを記憶している。魚の食べ方がとても綺麗だった。
そして侯爵夫人は年端のいかない小さな少女を連れていた。ユーリスの年の離れた妹だ。侯爵夫人と同じ小麦色の髪に、侯爵と同じ金色の瞳をしていた。アデルが気を利かせて店に依頼していたお子様プレートディナーを嬉しそうに食べていた。
ふわふわと脳裏に料理店での思い出が浮かぶ。
侯爵家の人々はマシンガンのようによく喋るアデルの父クレッセント伯爵に圧倒されながらも、朗らかに応対してくれた。優しそうなご家族だなというのがアデルの抱いた印象で、楽しい食事の席だった。
ただ――。
(あの時……ユーリス様がやたらと早食いだったなぁ。あと、真鯛のポワレを『焼き魚』、ヒヨドリのロティを『焼き鳥』って呼んだり……んん? あの日は舞い上がってて気づかなかったけど、ユーリス様の『食』への興味のなさって、割と深刻なのでは……? 両家顔合わせで戦場みたいな食べ方をするって、けっこうまずいんじゃ……?)
「ユーリス様って、お偉い様方とのお食事会にも行かれてますよね? これまで何も問題ありませんでした??」
「えっ」
突然なんだとユーリスは目を丸くした。
「よく噛んで、よく味わって食べる! これができないと、侯爵様に安心していただけないかと思います」
「うぅん……よく分からないが、肝に銘じておく」
アデルがあまりに真面目な顔をしているからか、ユーリスはコクリと大きく頷いた。
「まったく……君がいると心強いよ」
細められた切れ長の目は、ぎこちなかった彼の笑みを柔らかく見せていた。
何が正解か不正解か分からない。
一方的に推すだけでなく、人に寄り添うことはとても難しい。まるで真っ白なレシピ帳のようだと、アデルは思ったのだった。




